2020年11月アーカイブ

GoToや海外渡航解禁は大丈夫?

川端 GoToキャンペーンの本格化や国際的なビジネス移動の解禁が始まりましたが、大丈夫なのでしょうか。

西浦 感染予防の観点からは、これらは決してよい要素ではありません。私自身はこれまで「感染者が増えた場合の備えがない限り、移動の解禁は困る」と、リスク軽視を危惧する立場から発言をしてきました。でもGoToをやるとなれば、私たちがいくら「ダメです」と訴えたところで、経済的理由で始まってしまう。だとしたら一歩大人になって開き直り、専門家として何ができるかを考えるしかありません。その認識でさまざまな人たちが水面下で手を取り合い、GoToで感染者が増えた場合に詳細を分析できる環境を整えてきたのです。それは内閣官房のアナウンスにも多少反映されています。重症化リスクの高い比較的高齢な方たちが集まって地方へ出かけ、宴会を開くのはNGだけど、四人家族が車で近隣県へ旅行するのは気をつけて感染対策をしつつであれば大丈夫ですよ、と。一人ひとりが賢くなって注意を守れるのなら、それに越したことはありません。
 国際移動についても、二週間の行動計画が正確に把握できるとは思えないし、二週間を空港付近で過ごしてもらうのも、全接触者に毎日検査をするのも、難しいでしょう。こんな場合こそ、研究者の出番ではないかと思っています。旅行者の接触・行動履歴や、ハイリスクコンタクトの観察記録を集めて管理・分析できれば、どんな旅行行動が危険なのかが分析できます。そこから感染流行中の国際移動については、ここに気をつけてくださいという大まかなガイドラインを作ることができる。そうすれば、たとえ不十分でも可能な範囲の経済活動をしながらこの感染症とつきあっていくことができるかもしれない。政策提言をされる分科会の先生方は、なんとかポジティブな方向を見つけようとしているのだと思います。

デジタルと分科会は機能しているか

川端 期待されていたコロナ感染者の情報把握・管理支援システム「HER‐SYS」や接触確認アプリ「COCOA」といったデジタルツールがうまく機能していないと報道されていますが。

西浦 ハーシスやココアは実装面で課題が多かったためワーキンググループが作られたのですが、各実装セクションの方が努力された結果、最近は入力データのエラーが検証されて正確になったと伺っています。以前は濃厚接触者かどうかもわからないような人の登録データもエラーにならず入力されてしまっていたし、接触者の追跡調査情報の有無もバラバラだったのですが、そこは是正されましたね。
 ハーシスは今後機能していくはずです。問題はモニタリングが継続できるかどうか。継続の見込みが立ってようやくサーベイランスが成功といえますが、今その少し手前の状況です。
 良いニュースとしては、遠くない未来に、これまでの感染者データを公開できるように厚生労働省も地道に頑張ってきてくれたことです。中枢にいなくても誰もがデータにアクセスできるようになり、分析が一気に進む可能性があります。

川端 分科会には経済の専門家も加わり、最初は非常に勢い込んでさまざまな提言をされようとしていましたが、その後うまく融和して議論が成立しているのでしょうか。

西浦 会とは別の話ですが、国が専門家をうまく使い切れていない可能性があるのかもしれません。先進国としては本来、経済と感染症対策の両立をスローガンに最適化を図った上で、何が有効かつ必須の感染症対策で、両立のゴールはどこなのかを示すような研究を複数打ち立てておくべきだったのですが、今の日本には分科会の外で関連研究の試みがごくわずかにあるだけという厳しい状況です。流行対策による経済活動へのインパクトを定量化できる専門家がいないわけじゃないのに、声をかけて使い切れていないということです。もちろん、今入っていらっしゃる先生方は各分野の大家ですし、意見交換の場として分科会は機能していると聞いています。ただ、政策策定上で最も適切な専門性を持つ経済学の専門家を選定した上で成長させながら使っていくという、役所本来の目的の達成に貢献しているのかどうか私にはわかりません。

人材が足りない!

川端 西浦さんがどこかで「日本は一〇〇人規模で人を雇うのが苦手だ」とおっしゃっていたのが印象に残っているのですが、やはり諸外国と比べてもFETP(実地疫学専門家養成コース)が少ないのでしょうか。

西浦 もちろん、日本でも以前に増してアメリカのCDC(疾病予防管理センター)のような機関が必要だという声が高まるでしょう。今回の流行を経て、感染症の疫学者不足を皆で痛感しましたし、人材育成のためにもCDCの必要性が政策として議論されていく最中だと思います。専門のコンタクトトレーサー(接触追跡者)を一定規模確保できると非常に良いですね。日本は未だに無症状の人まで大規模に検査しようと議論していますが、どのような形であれ、検査をすれば無症状あるいは軽症の感染者が見つかり、彼らの行動をトレースする必要性が出てくる。これまで検査が進まなかった一因は、保健所に接触追跡が実施可能な人材が十分な数いなかったからでもあります。
 ただし、箱だけ作っても、日本は行政の膠着度が高いので動かない機関になるリスクもあります。皆が臨時で寄り合ってできた専門家会議のような協力体制はいずれにしても確保しないといけなくて、あとは未来に向けて良い人材が育成される場が確保できれば。

川端 今回、僕が最も気になったのは、西浦さん以外に西浦さんの分析をチェックできる専門家がいなかったということです。普通はどんな第一人者でも、周辺分野から意見やアドバイスがもらえるものですが、今回に関しては本当にいなかった。人口学や数理生態学の先生方も奥ゆかしくて、専門内で意見は出されても、メディアでの援護射撃や批判はなかった。これは非常に不健全な状況ですし、そのことで不信感を抱いてしまった人もいたかもしれません。
 もう一つは、データを出せなかったということです。実際のデータと計算方法を開示できないがゆえに、説得力を欠いてしまった。西浦さんが非常に困難な使命を受けて頑張っているのは明らかなのに、場違いな批判ばかりされているのがいたたまれなかった。お忙しい最中に直接連絡して状況を聞くことはとてもできない。そこで僕はなんとか西浦さんのツイートから状況を読み解こうとしたり、神戸大学の中澤港先生と『ナショナルジオグラフィック日本版』で連載「新型コロナ、本当のこと」を立ち上げて解説したりしていたのですが。

西浦 確かにいただいた反応の一部は極端だったり、専門的にポイントから外れているものもありましたが、海外でも同様にグラグラしていましたよ。著名な専門家たちが集まるアメリカでさえ、意見が揺れていた。プロが複数名いることで少しは緩和されるでしょうが、しんどさがなくなることはないのだろうと思っています。でも、私以外の手練れがいないことによる科学コミュニケーションの混乱は真摯に受け止めないといけないことです。今後の育成努力を通じて是正していこうと考えています。

国民監視の中で進んだ感染対策

川端 東京大学の稲葉寿先生が書いていました。「数理モデルの精度を含め、今回はいろいろな批判があったけれど、少なくとも理論疫学による推定なしの時代にはもはや戻れない」と。至言だと思いました。勘や占いで決めるのとは全く違う、数少ないデータからでもその時点での最良の判断の幅を示してくれたのは大きかった。

西浦 そうですね。致死率がどの程度でどんな被害が出る感染症なのか、そのベースの知識は最初の二ヵ月でかなり正確にわかりましたから。少なくとも経験と勘よりはよいコンパスを得たことになります。ただ、その実装には、専門性を政策判断の場にスムーズに浸透させることが最低限必要です。疫学や公衆衛生の専門家でこの状況を経験した人がいれば翻訳者になってもらうことができますし、国の研究機関で理論疫学の研究チームができて政府への翻訳を担う人が常駐できれば、なお理想的です。それくらいのリテラシーが必要なのです。こうしたことが普通に受け入れられるようになれば、社会科学関係での動揺が起きることも少なくなるのでしょう。
 その意味では今回、研究室の皆がやりがいのある仕事であることを実感してくれたのがうれしかったですね。私と同様の覚悟を引き受けるかどうかは別にして、自分たちの研究の重要性を感じ、どんなプロセスを経れば、国や総理の決断に影響を与えられるのかを体験できたことは大きかったと思います。一〇年後、彼らにお任せして僕がゆっくり隠居できれば理想的ですね。簡単じゃないことはわかっていますが。(笑)
 日本におけるコロナの流行の特徴は、やはり国民の監視の中で進んできたということだと思います。政治家もどうしたらいいのかわからず、一方に向かうと反対側からどよめきが起こって揺れる。それを繰り返しながら対策を行ってきた。その意味で、今回、菅総理に交代したからといって、感染症対策が大きく変わることはないと思います。
 とはいえ、今後どう流行を制御するのか、国としての方向性を明確に出す必要はあるでしょう。大規模流行が起こっていないことを根拠に、大局的に政策が間違っていないことを結果論的に述べているような体制が続くことは健康的ではありません。明確なポリシーを透明性と責任感を持って示せないと、無責任だと思われてしまうでしょう。このままのらりくらりと上がり下がりを続けながら抑制策を維持してワクチン普及を待つのか、多少流行が大きくなることも是認しつつ経済政策を優先的に打つ方向を目指すのか。明示的に自己矛盾のない方針を述べたほうが、国民の動揺や意見の乱立を防げるでしょう。制御が健康的でポジティブな方向に進んでいくよう、切に願っています。

(西浦博著、川端裕人〔聞き手〕『新型コロナからいのちを守れ!――理論疫学者西浦博の挑戦』が十二月十日、小社より刊行予定)

構成:高松夕佳

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

イヌイットにも近代化の波が

岸上角幡さんはいろいろな探検活動をされてきましたが、最近はグリーンランド(デンマーク領)のシオラパルクを拠点に活動なさっているそうですね。極夜を探検したり、今は犬橇をやっているとか。

角幡はい、シオラパルクに通い始めて五年になります。北極圏での探検、中でも極夜での活動に興味を惹かれて、今までは自ら橇を引いていたのですが、犬橇だったらもっと狩りができて、活動範囲がさらに広がるように感じたのです。そこで、今年の一月から本格的に犬橇を始めました。橇も自分で作り、犬の調教も自らやっています。すべての工程に自ら関わることで、人間が移動することの意味や、狩猟という行為を理解できるのではないかと考えているのです。だから、イヌイットを研究してきた岸上さんにはいろいろとお聞きしたいと思っていました。

hyou.pngカナダ・グリーンランド周辺地図

岸上それは光栄です。私はカナダやアラスカのイヌイットを文化人類学の観点から研究してきましたが、カナダのイヌイットは、私が調査を始めた一九八四年時点で既に犬橇をほとんど使っていませんでした。その要因は、六〇年代からスノーモービルが使われ始めたことと、犬が伝染病で一気に数を減らしてしまったことです。今、犬橇をやるとすれば、それは観光客向けかドッグレースのためです。一方、グリーンランドではまだ犬橇が使われているようですね。特にシオラパルクは、今もイヌイット文化が色濃く残った数少ない場所です。

角幡最近ではスノーモービルも見かけるようになりましたが、今も基本的には犬橇が現役です。シオラパルクは人口が三〇人くらいの小さな村で、隣にカナックという人口約六四〇人の少し大きな村があります。この一帯の狩猟組合では、スノーモービルを使うと音で動物が逃げてしまったり、ガソリンが必要だったりするので、狩りは犬橇で行うと決めているようです。とはいえ、今では長期の旅ができるのは五十代以上の年長者だけですね。若い人も犬橇を扱えますが、近場の狩りでしか使いません。昔はシオラパルクのイヌイットが、シロクマ猟のため、冬に凍結したスミス海峡を越えてカナダ側にも渡っていたそうですが、今は国境警備が厳しいので行きません。そもそもシロクマ猟自体に規制が入り、今は村で年間八頭しか獲ることが許されていない。だから遠征するうまみがないのです。
 シロクマの毛皮は、彼らの重要な現金収入になったのですが、今はオヒョウ、日本の回転寿司でもエンガワとして食べられている大きな鰈ですね。そのオヒョウ漁がここ五年くらいで随分儲かるようになって、みんな夢中になってやっています。

トナカイの一種、カリブー猟でもスノーモービルが活躍。1990年撮影(写真提供◎岸上伸啓)

岸上グリーンランドとカナダでは、イヌイットが商売をできるか否かに大きな違いがあります。グリーンランドではイヌイットが獲物の肉や魚を売買していますが、カナダでは法的な制約があり、イヌイットによる商業漁業や獲物の売買はほとんど行われていません。一方で、毛皮の販売は例外的に認められている。ところが、ワシントン条約で、ホッキョクグマにも制約がかかったので毛皮の売り先がありません。今、残っている可能性はアザラシの毛皮を中国に売ることぐらいでしょうか。
 グリーンランドのイヌイットは現金収入を得る術があるので、それがイヌイット文化を守り、自立した生活を行う上で大きなポイントになっていると思います。

角幡シオラパルクのイヌイットは自分たちのアイデンティティを強く持っていますね。若い人はスノーモービルや近代的な道具を柔軟に使っていますが、それでも多くの人がスノーモービルよりも犬橇のほうが優れていると思っています。例えば、犬橇は故障しないとか、不安定な氷も乗り越えられるとか、僕も随分犬橇の良さを説かれました(笑)。でも、隣村のカナックに行くと、オヒョウ漁で儲けた人がスノーモービルを使い、活動範囲をさらに広げているようです。

岸上私はカナダのハドソン湾沿岸のイヌイットを調査してきたのですが、二〇年前までは厳冬期にはカリブー(野生トナカイ)の毛皮の上下を着て、アザラシ皮で作った手袋、靴を履いて狩りをしていました。けれど、今着ているのは市販の製品です。服装も随分変わりました。

角幡カナダといえば、僕は二〇一一年に冒険家の荻田泰永君とカナダのレゾリュートからベイカーレイクまで踏破したことがあるのですが、あまりイヌイット文化は感じませんでしたね。だからこそシオラパルクに魅せられたところもあるのですが。シオラパルクの狩猟用ズボンは今もシロクマ製で、緯度の高いこの地では、やはり毛皮が暖かく、使い勝手がいいようです。ミトンもボクシンググローブのように湾曲して作られているので非常に使いやすい。伝統に錬磨された道具の良さを感じます。

岸上現代において、イヌイットが自らの文化を保ちながら生きていくのは、結構難しいものがあります。かつては日常生活の延長で、狩りをして毛皮を売ることができたけれど、最近は新たにイヌイットアートを制作したり、賃金労働に従事してお金を稼いでいます。あとは国から先住民に交付される補助金。狩猟をするためには、ガソリンや網やテントを買うためのお金が必要ですから、たくさん稼げるイヌイットほど、いわゆる「伝統的な」生活を続けることができるのです。

角幡余裕がないと伝統生活も守れないとは、皮肉なものです。

狩猟して気づいた「土地」と「時間」

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岸上角幡さんは今、狩猟しながら移動することをテーマにしていますが、どんなところに魅力を感じたのでしょう。

角幡以前は、食料などを載せた橇を自ら引いて探検していました。手持ちの食料も減ってくるので、途中で狩りもしながら歩きます。でも、ウサギやジャコウウシなら仕留められるけれど、アザラシは難しい。自分で歩いて獲るには限界があるのです。アザラシは、呼吸をしに氷の割れ目に上がってくるところを狙うのですが、気配を感じるとサッと潜ってしまう。そして別の場所に現れる。そんな状態なので自分で歩き回っていると体力がもたない。でも、犬橇だったら対応できるし、そうすれば活動範囲が広がると思いました。
 また、事前に用意した食料だけで探検すると、食料がもつ期間しか動けないし、食料が尽きる前にどこかに到達することが目的になる。すると、直線的に無駄なく効率良く、要するに近代的なやり方で動くことになります。しかし狩りをすると、完全に視点が変わって、先の予定は立てられなくなる。今目の前にあるものがすべてになり、その場に組み込まれていく感覚になるのです。
 そうすると土地に対する興味が強く出てきます。この先の海氷ではアザラシが獲れるのか、向こうの陸地にはジャコウウシがいるのか、などと考えるようになる。今、目の前にある土地がものすごく切実なものになるのです。目的地を設定したこれまでの移動は、直線的で、言ってしまえば周りの風景を切り捨てていたわけです。一応、目には入っているけれど、切実なものではなかった。しかし、ここで体験した狩猟者としての視点は新鮮で、これは突き詰める価値があると思いました。
 この時考えたのは、人間が移動する意味、モチベーションです。今、僕らは地図の存在を当たり前に考えますが、地図がない時代には、食の確保や住環境の良さを求めて移動していたわけです。狩猟をしながら旅することで、現代の人々が切り捨てた土地の潜在性、本質を体感できる。旅を通じて現代の価値観とはまったく逆のものを表現できるのではないかと思ったのです。

岸上狩猟者の目線というのは非常に面白いですね。人類には極地まで含めて何百キロ、何千キロと移動してきた歴史があります。イヌイットも一九五〇年代までは、季節に応じて動物を追い、移動することが即ち生活でした。ところが五〇年代から定住化が始まった。ここでイヌイットの生活様式も変わってくるのです。
 もう一つは時間の考え方です。私は調査者なので、イヌイットの皆さんにたくさんインタビューしたい。だから、村のおじいさんに、何月何日の何時に話を聞かせてください、とお願いします。相手もOKしてくれる。そこで当日行ってみると、おじいさんは狩りに出ていて、いないのです。そういうことが何回もある。もしかしたら、自分は調査者だから嫌われているのかとも考えたのだけれど、どうやらそうではない。イヌイットの人たちは、天気が良ければ猟に出たい。臨機応変で、今のことしか考えていないのです。なぜなら、嵐になれば猟に出られず、今の好天が一番重要だからです。
 またある時、三週間後にモントリオールに戻りますと村の人に伝えたら、「なんでお前は三週間後のことがわかるんだ」と笑われました。つまり、明日のこともわからないのに、どうして三週間も先のことがわかるのだというのです。最近はイヌイットの子どもも学校教育を受け、日曜日にはキリスト教の教会に通っているので、現代的な時間の感覚が身についています。けれど、夏場のキャンプの時だけは、時間のない生活になります。
 狩猟者の目線は、時間という概念も変えるように感じます。

角幡実は僕も「時間」をもう一つのテーマとしているのです。登山や探検は、目的地があり、それに合わせて計画を立てます。つまり、将来の目標に向けて、修正しながら行動していくのが一般的です。けれど、どうしても時間に管理され、未来に縛られてしまう。その煩わしさが嫌になって、一度、北海道の日高山脈で、地図を持たずに釣りをしながら漂泊する登山をしました。そこで気づいたことは、地図には時間が組み込まれている、ということでした。例えば、漂泊を始めて一〇日目に、七〇メートルほどの巨大な滝に突き当たりました。もし、その時僕が地図を持っていたら、この滝を越えればなだらかな場所があり、テントを張ることができると判断できたかもしれない。あるいは、さらなる急勾配があるので、滝を登る前にここで一泊したほうがいいと考えたかもしれない。でも、地図がないから見通しがまったく立たないのです。つまり、地図の中には未来が表象されている。地図を見ながら山に登る時、人は地形だけでなく、未来を見据えて状況判断をしている。だから地図を持たずに山に登ると、未来が見えなくなり、その巨大な滝がものすごい威圧感を与えてくるのです。
 自分が「現在」というものだけに組み込まれると、目の前の偶然性に左右され、今この瞬間によって未来が次々と更新されていく時間の流れになる。ものすごい広がりのある世界が現れるのだと感じました。本当の狩猟民は、未来の予定に縛られた僕らから見ると計画性のない、いい加減な人のようだけれど、そうではなく、まったく別の時間感覚で生きているだけなんですね。僕はまだそこまでなりきれていないから、旅の途中で獲物が獲れると「これで何日行動できる」と考えてしまう。同時に、計画性のない旅に出ると、未知の不確定状態から確定状態になる瞬間に、強烈な解放感を伴うこともわかった。きっとそれが生のダイナミズムなのだろうとも感じました。

岸上一方で、シオラパルクの人にGPSくらいは持っていけと言われませんでしたか。(笑)

角幡言われました。「なければ、お父さんに買ってもらえ」と。(笑)

岸上イヌイットでも今の若い人はみんな持っていますね。必需品です。

なぜ人は極北を目指したのか

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角幡ところでイヌイットはいつからグリーンランドで生活しているのでしょうか。イヌイットについての研究も更新されていると聞きました。

岸上今ある考古学の説では、この地の文化には、大きな転機が三回あったとされています。まずは紀元前二四〇〇年頃のサッカック文化、次に紀元前四〇〇年頃のドーセット文化、そして紀元一二〇〇年頃のチューレ文化です。使われていた道具が、それぞれの文化で異なっているのですが、従来の研究では、既存グループが進化して新たな文化を築いたのだと考えられてきました。しかし、最近のDNA解析により、それぞれのグループに血のつながりがないことがわかったのです。気候変動によって人々が移動して、それによって既存グループが押し出された。今はそう考えられています。

角幡チューレ文化の人たちは、ロシアからベーリング海を渡って移動してきたと言われていますが、それを裏付ける証拠はないのでしょうか。

岸上残念ながらありません。今、人類学者や考古学者の間では、チューレの人々は気候変動によって生息域が変わった北極クジラを追いかけて移動してきたという仮説が有力です。そしてチューレの人々と、既存のドーセット文化の人々が争った形跡もない。混血化した形跡が一ヵ所だけあるのですが、それ以外は見当たらず、同化もしていないと思われます。だから血のつながりも文化も、くっきりと断絶しているのです。
 ただ、紀元一〇〇〇年前後にアラスカ沿岸の人々が、東はグリーンランド、西はシベリアまで行き着き、新しいチューレ文化が広域に築かれたことは確かです。しかし、その後に寒冷期がやってきてクジラが獲れなくなります。そこで、その地域ごとに獲れる動物、例えばセイウチやカリブーや北極イワナ、また地域特性に依存して文化の多様化が起こりました。
 イヌイットの、犬橇を駆り、雪上にテントを張り、移動するという生活様式は、起源が古いものと思われがちですが、実は紀元一六〇〇年頃に確立したものです。クジラ漁をしていた頃は定住していて、結構贅沢な生活だったこともわかっています。

角幡不思議なのは、なぜ人間は環境の厳しい極北を目指したのかということです。以前、山極壽一さんと対談した時、山極さんは極寒地のメリットとして、大型動物がいること、食べ物が腐敗しにくいことを挙げていました。その通りだと思います。でも、熱帯地域のほうが動物は小さくても数が多いし、極寒はただそれだけで死にもつながるので、そこまで無理して極北を目指さなくてもよかったのではないかとも思うのです。

岸上寒冷地に行くほど動物の個体が大きくなって資源量が豊かになり、捕食の効率が良くなるので、それが人類を極北に向かわせたとは考えられます。一方で、寒さのリスクをなぜ受け入れたのかは、わからないところもある。やはり人類として生き残るには、寒冷に耐える技術も、一定程度の人数も必要です。考古学の研究によると、二万年前には人類はシベリアの極北圏まで到達しているので、この頃に防寒の技術や社会組織が形成されたのだと推測されます。ちなみにイヌイットが現れたのは四五〇〇年前なので、実はシベリアから来た中では最終グループなのです。

角幡カナダ北東部のバフィン島に「ケッタッハー」というシャーマンがいたのをご存じですか? 一八五〇年頃に霊からの啓示を受け、「約束の地がある」とグループを募って北に向かった人です。そして一〇年以上かけて辿り着いたのがシオラパルク近くのエタという集落です。当時、シオラパルクを含むグリーンランド西部には地域全体で一五〇人くらいしか住民がおらず、滅亡寸前だった。犬橇を作る技術はあったけれど、カヤックや弓矢を作る技術は失われていた。カリブーを狩る時は、なんと石を投げていたというから、かなり原始的です。それがケッタッハーの一団が来たことによって、技術が再導入されて復活する。だから実際に、シオラパルクの人たちはカナダのポンド・インレットの人たちと親戚で、今でも電話で連絡を取り合うそうです。

岸上ええ、私が調査を始めた八〇年代には、この二つの地域の人たちは行き来していましたね。スミス海峡もしっかり凍っていたので、シロクマ猟も一緒にしていました。

角幡『一万年の旅路』というネイティヴ・アメリカンの口承史がありますが、これにもシャーマンの女性が一団を引き連れていく話がある。このように、シャーマニズムが機能していた社会では啓示を受けて人間が移動することがあったのではないでしょうか。土地に対する純粋な好奇心によって、冒険に飛び出してしまう。人間には、飛び出さずにはいられない精神があると思うのです。

岸上有力な説明かもしれません。人間は元々保守的で、ある場所で食料が調達できれば、よほどのことがない限り移動はしません。なのに、より環境が厳しい極北を目指した。これに合理的な説明はつけがたく、それこそ啓示という理屈は成り立つのかもしれない。でも、学者が移動の理由を考える時、グループ間の争いがあったとか、土地の人口が増えて食料供給が追い付かなくなったという説に固執しがちです。なぜかというと、集団移動だからです。少数の人間ならば、過酷な地への移動を啓示や好奇心で説得できるかもしれませんが、一族郎党、女性や子供も引き連れて動くには、相当な理由がなければ難しいはずです。  ちなみに「約束の地」という発想は、キリスト教の影響です。同じようなことがアラスカでも起きていますし、年代的にもありえます。

誇り高いイヌイット

角幡シオラパルクの人たちは、自らがイヌイットであることに強い誇りを持っています。カナダのイヌイットは近代化と都市化が進んでいますが、イヌイットとしてのアイデンティティは強いのでしょうか。

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岸上強いですね。カナダのイヌイットは、全体の二五%がトロントやモントリオールといった都市に移住してきましたが、人口増加率が高いので、元々のイヌイットの居住区も廃れるどころか、人口が増えている。日本のように過疎化で悩むようなことはまったくないのです。ただ、近代化は進んでいて、先にお話ししたように貨幣経済が進んだことによって、伝統文化の維持が難しくなってはいます。
 イヌイット全体の気質として、自律性の高さが挙げられるでしょう。人に口出ししたりしないし、一方で、口出しをされたくもない。

人口の増加に伴い拡大するケベック州アクリヴィク村。2016年撮影(写真提供◎岸上伸啓)

角幡非常にプライドが高いですね。僕がシオラパルクで橇の道具をいじっていると、よく若い子に「ナッアーン(そうじゃない)」と否定されました。今日は天気がいいねと言えば、風がちょっと吹いているから天気は悪いと、これまた否定。なんでもかんでも否定するので、頭にくる(笑)。つまり、俺たちはイヌイットだから何でもできるが、お前たちカッドゥナー(外国人)は何もできないと。でも、確かに発想の柔軟さは強く感じます。そこらへんに落ちている金属片を使って銃を直したり、使えるものは何でも使って生きている。

岸上レヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」ですね。素材を寄せ集めて繕う。人類は元々そういう能力を持っているのだけれど、近代化する過程でその能力をなくしてしまってもいる。私も昔、イヌイットが壊れた機械をジーッと見て考え、直してしまったのには驚きました。氷の大地で、物事を柔軟に考えられないと生き残れなかったのでしょう。その能力が今も息づいている。

角幡イヌイットは体力よりも、思考の柔軟さに重きを置いています。「ニヨカヨッポ」つまり「お前は頭が悪い」、頭を使えとよく言われました。

岸上一方で、若い人は犬橇をやらないでしょう。角幡さんについてはどのような評価だったのですか。

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角幡毎年のように長い旅をしているので、そこは認めてくれているのを感じます。若い人は、犬橇も狩りも上手だけど、近場でしか乗らないので、僕が一ヵ月かけてフンボルト氷河まで行ってきたと知ると、「ナウマット(よくやった)」とほめられました。よくバカにされるけれど、本気で活動しているので、それは伝わっていると思います。

10頭の犬と、自作の犬橇(写真提供◎角幡唯介)

岸上カナダにいるイヌイットは、猟はスノーモービルとライフルを使って行うし、六〇年代以降はほぼ全員がキリスト教を信仰するようになり、近代化と西洋化がかなり進んでいると言えます。しかし、イヌイットとしての確固としたアイデンティティもある。例えば動物観ですが、彼らは人間も動物も同じ霊魂を持っていると考え、動物を獲ったら、その霊魂を厚くもてなし、動物の主の国に送り出します。そうすることで、また動物がやってくるという循環の思想があるのです。キリスト教が浸透しても、端々にこういった土着信仰が残っていて、イヌイットの精神と、近代化や西洋化とが、矛盾せずに共存しているのです。

角幡先住民の神話では、動物がよく擬人化されて登場しますが、それこそまさに、人間と動物が同じレベルに生きていることを表している例と言えるかもしれません。
 狩りをして旅をすると、動物を撃った後はどうしても罪悪感が残ります。自分はこの動物を殺してまで生きる権利があるのかという自省が生まれる。その要因の一つは、目にあるような気がします。例えばジャコウウシが撃たれて絶命すると、その瞬間に瞳孔がカッと開いて黒目の焦点がずれる。その時スーッと魂が抜け、生から死へと移行したことを感じるのです。もう一つは群れの仲間の反応です。ジャコウウシがどれくらい賢いのかわからないけれど、一頭が撃たれ死んだことを、仲間たちは明らかに認識している。だからそれほど高等な知能を持つ動物を殺していいのか、とも考えてしまう。
 自分が狩りをして感じたのは、動物の擬人化は、この罪悪感に由来するのだろうということです。要するに狩りをすると、自分の殺しを、殺された動物の目で見る、そういう視点の転移が起きる。動物を自分と同じ地平で捉えるようになるわけです。

岸上イヌイットは農業も牧畜もできない地域で、狩猟をしながら何千年と生きてきました。それゆえに動物の命をいただいて生きているという意識は強い。動物の生命に対しても敬意を払っているのだと思います。

西洋の価値規範が問う捕鯨

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角幡岸上さんはイヌイットのクジラ漁についても研究されていますが、イヌイットは最近の捕鯨規制をどのように受け止めているのですか。

岸上イヌイットは、捕鯨規制に声高に反対運動をしたりはしませんが、やはり複雑な思いでいると思います。今、欧米人が主張する捕鯨規制は、彼ら自身のクジラ観が変わった結果、できたものです。一つは十六世紀頃から商業目的として、主に油の採取のために乱獲し、いくつかの種のクジラを絶滅させてしまったことへの反省がある。もう一つは動物保護の観点で、クジラは知能が高いから苦痛を与えて捕殺してはいけないという考えが広まったことがあります。

角幡とはいえ、人間は殺生せずに生きていくことは難しい。知能が高いから殺してはいけないという理屈で結論づけるには無理がありませんか。日常的に食べられている豚だって相当に知能が高いと言われている。けれど、狭い柵に閉じ込めて飼育し、若いうちに屠畜するわけです。豚はよくて、クジラがダメという理屈には整合性がない。もう一つは歴史文化です。イヌイットはずっとクジラを獲り、食べて生きてきた。生活に必要な分を獲ってきただけ。伝統的な生業としてクジラを獲ってきた人々には、その権利が認められるべきだと感じます。

クジラ漁に出るアラスカ北西部沿岸の先住民イヌピアット。2010年撮影(写真提供◎岸上伸啓)

岸上私は先住民捕鯨でも商業捕鯨でも、クジラの絶滅を回避しつつ、食べるために獲るのであれば問題ないと考える立場です。
 一方の捕鯨反対運動には、大きく三つのパターンがあります。一つは動物福祉を理由にするグループで、クジラ・イルカ保護協会や国際動物福祉基金などです。知能あるクジラに苦痛を与えてはいけない、他の家畜の食用飼育であっても、みだりに苦痛を与えないようにしなければならないと考えますが、先住民捕鯨は例外的に認めます。二つ目は動物解放運動グループで、シー・シェパードがこれに含まれる。人間と同等に動物も生きる権利があるとし、すべての捕鯨に反対します。三つ目は予防原則の団体で、グリーンピースや世界自然保護基金(WWF)などです。深刻な環境被害が予想される場合には、科学的因果関係が明確に立証されなくとも対策を講じるべきだとします。科学的管理を遵守するならば、先住民捕鯨には反対しません。

角幡日本は今年六月末に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退して、七月から商業捕鯨を再開しました。これについてどうお考えでしょうか。

岸上お答えするのは難しいですね。今まで日本は、IWC加盟国として南極海で調査捕鯨を行い、調査した後のミンククジラを販売し、食べてきました。IWCを脱退したことで、排他的経済水域内の近海で商業捕鯨が自由にできるようになった。しかし、それでも捕獲数に関する厳しい算定方式があって、その上限内での捕鯨です。すると実は、調査捕鯨時より捕獲できる量が少ない。さらに南極海のクジラは良質なエサを食べているので、安全で美味しい肉が取れた。捕鯨に関して言えば、質・量ともに落ちるかもしれません。あえてメリットを挙げれば、近海での捕鯨ができるようになったことで、冷凍せず、生のままでの販売が可能になりました。生肉の流通は一つの変化です。
 日本のIWC脱退は政治的要素が大きいのでしょうね。今の日本において、クジラ漁に関心のある人はそれほど多くはありません。しかし、国会で捕鯨の推進に関する決議をすると、党派関係なく、ほぼ満票になるのです。民主主義の国ではありえない数字だと思います。つまりは外圧への反発、日本の文化や食べ物に口出ししてくるな、という怒りがあるのだと思います。

角幡日本と欧米とで、長らく感情的な対立になっていますね。

岸上はい、感情や立場が複雑に絡み合い、非常に難しい問題になっています。日本を含め、多くの国は民主主義の下にありますが、政治力、経済力を持っているグループが多数派になると、一気にそちらに価値規範がなびいてしまう。声が大きい人が勝ち、少数派は非常に苦しい立場になります。
 確かに、ある宗教や民族には女性蔑視や暴力が容認される風習があったりして、人権についての理解を促さなければならないこともあります。一方で、西洋の価値規範をすべての人々に強要していいのかという問題もある。文化人類学を研究する一人として非常に悩むところですが、重要なのは、バランスを取ることなのだと思います。個別の文化も尊重されなければならないし、あらゆる人が持つ人権も尊重されなければなりません。社会や経済、文化は時代とともに変わります。価値規範も変わる。だから捕鯨についても、一般化できる答えはないのだと思います。

角幡今は圧倒的に西洋の価値規範が強いから、欧米人は異文化の人々に対して無自覚に自分たちのルールを強要するところがある。文脈は異なりますが、僕が探検や山登りを続けてきたのも、時代の常識や価値に、異論を唱えたいところがあるからです。合理性や効率から離れたところに、生のダイナミズムがあるのだと思います。イヌイットの歴史や文化について、また教えてください。



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河野規制改革大臣に聞く日本経済再生

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ビットコインで町おこし

坂井 河野大臣は、長年ツイッターやYouTubeで発信されています。情報公開や説明という目的もおありでしょうが、もともと新しい技術がお好きなのでしょうか。

河野 私はアメリカのジョージタウン大学に留学したのですが、在学中最後の論文を書く時に、友人がコンパック社の初期のパソコンを買ったのです。CRTディスプレイに緑色の文字が出て、「タイプを間違ったら消せる」「文字を選択すると入れ替えられる」と、それまでのタイプライターではできないことができることを見せられた。
「すげえな、俺にも貸せよ」と、手書きの文章を最後に印刷する時に貸してもらって、便利なものがあると感動しました。卒業後は富士ゼロックスに入社し、そこでは全世界のゼロックスがネットワークでつながれていて、電子メールのやりとりが行われていることに驚きました。次に部品メーカーに転職するのですが、机にパソコンがポンと置いてあるものの、通信はしていない。そこで総務の人に「このパソコンつながってないよ」と言ったら、コンセントの差し込み口を確認して、「大丈夫、つながっていますよ」って。(笑)
 日本ではITが普及するまでに少し時間がかかりましたね。私は一九九六年十月に衆議院議員に初当選するのですが、ホームページを立ち上げようと言っても、事務所のスタッフに「いやいや、誰が見るの?」と言われる始末。じゃあ俺がやろうと、自分でホームページを作って、以来、いまだに私がいろいろいじっています。事務所では「あれは本人の趣味です」となっていますよ。(笑)

坂井 テクノロジーへの関心は留学時代に遡るのですね。河野大臣は仮想通貨にも早くから関心を持たれていて、二〇一四年四月の「東京ビットコイン・ミートアップ」に参加しています。同年九月には、平塚の飲食店で、仮想通貨ビットコインを利用してはしご酒をする「平塚ビットシティプロジェクト」も開かれた。この時期は、とある交換所のハッキング事件が注目されて、ビットコインへの世間のイメージはあまりよくなかったと思うのです。それでも大臣は情報を集め続け、イベント開催までなさったわけですよね。

河野 平塚でビットコインのプロジェクトをやったのは、町おこしのためです。平塚は横浜、鎌倉と箱根の間にあって、日本や外国からの観光客を呼び込みたくても、どうしても通過点になってしまう。何か仕掛けが必要だろうと考え、そこで思いついたのが、注目が集まっていたビットコインです。「平塚ではビットコインで酒が飲める、飯が食える」となれば、面白がってくれる日本人、外国人が集まるのではないかと考えた。そこで一四年の九月に、数十軒の飲食店の中から七軒を三五〇〇円分のビットコインを使ってはしごしてもらう実験をしました。それまでも、紙のチケットを使ってはしご酒をするイベントはありましたが、仮想通貨を使えばもっと便利なはずです。一方で、ビットコインは値動きが大きいので、最初に入金した分が、店を回っているうちに価値が下がっちゃって「精算できません」ということもありました。翌日、事務局で「すみません」と不足分を現金で補充して回ったりもしましたね。
 仮想通貨という便利な物を使えばどうなるのか覗いてみた。新しい知恵をもらおうと思ったわけですね。

坂井 ビットコインはブロックチェーン技術が支えています。これは記録の新技術で、権利の電子証明書を安全かつ簡単に発行できるようになる。例えば一〇億円のビルを一〇億枚の電子トークンに分割するといったことができる。一〇億円のビルを共同で所有したり、証券のように自分の持ち分だけ売ったりできるようになる。この技術は資産の管理や売買に非常に便利なのですが、日本は金融庁の規制が強く、そうしたサービスを運営するのがとてもやりにくい状況です。
 国の役割の一つは法規制をかけることなのでしょう。一方で法規制は、イノベーションを阻みもします。今世界では、国家間で規制の上手いかけ方競争のようなことが起こっています。強い規制は国際競争に不利です。このような国家間競争についてはどうお考えでしょうか。

河野 日本は世界一の高齢化社会に突入していて、医療や介護の人的・金銭的な負担、国としても財政的な負担が大きくなっています。一方で技術も発達していて、例えばスマートウォッチで自分の健康状態を知り、健康を改善することもできるようになっている。日本の技術力をもってすれば、医療におけるハードやソフトを作れるはずなのですが、規制が障害となって、薬の開発が遅れるドラッグラグや医療機器の開発が遅れるデバイスラグが生じている。日本は高齢化率トップなのに、いつも医療面で世界に後れを取ってしまうのです。これはまずい。むしろ日本が医療、介護の最先端を走らなければなりません。そのためには、厚生労働省の従来の規制の考え方を一八〇度変えてもらわなきゃいけない。それができないんだったら人を代えるか、もう、規制の監督を厚労省から別なところへ移すしかない。
 もはや「頑張ります」「しっかりやります」は通用しません。規制の担当省庁、担当部局には今までとはまったく違う方向に進んでもらう。そのことを認識しているか、行動できるかが、今問われています。

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〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

コロナ禍の日本で話題

 二〇一九年に韓国で放映されたドラマ「愛の不時着」は、新型コロナウイルスの感染拡大で外出が制限された今年、日本でも話題となった。財閥令嬢で上場企業トップのユン・セリが、パラグライダー事故で北朝鮮に不時着し、偶然出会った北朝鮮軍将校のリ・ジョンヒョクと恋に落ちるという筋書きだ。もう一つのラブストーリーとして、北朝鮮に逃亡してきた韓国実業家の男性ク・スンジュンと、ロシア留学帰りのチェリストの北朝鮮女性ソ・ダンとの悲恋も描いている。主役はもちろん、脇を固めるキャラクターの高い演技力や魅力と相まって、韓国のみならず、日本でも多くの視聴者を釘付けにした。

「愛の不時着」は、二〇〇八年に実際に起きた事件がモチーフとなっている。プレジャーボートで遊んでいた有名女優が急な天候悪化で三八度線を越えて漂流し、北朝鮮警備艦の追撃を受けた事件である。女優は韓国海軍に救助されたが、こうした海上事故はたびたび起きている。ヒロインがパラグライダーで非武装地帯に不時着する設定は、実際に北朝鮮軍の特殊戦部隊がレーダーに感知されにくいパラグライダーを利用して潜入訓練をしたという情報から着想を得たという。

「愛の不時着」の見どころの一つは、北朝鮮を舞台にした前半部分だ。ジョンヒョクが暮らす北朝鮮の村の生活ぶりが、のどかで田園的に描写される。炭でおこした火で調理をする。共同洗濯場で衣服を洗い、大勢で集まりキムチを漬ける。停電は日常茶飯事で、室内で自転車を漕ぎ自家発電をしてテレビを見、蝋燭の灯りで夜を過ごす。韓国ドラマを視聴し、市場では韓国製の高級化粧品やアロマキャンドルまで手に入る。とりわけ、世話好きでおせっかいな村の女性、純朴で情に厚い兵士の姿がドラマでは実に生き生きと描かれており、等身大の北朝鮮の人々への親近感やエンパシーを抱かせる。

 脱北者に綿密な取材を重ねただけでなく、平壌演劇映画大学で学び、最高指導者の身辺警護などに当たる護衛司令部での勤務経験を持つ脱北者の作家が脚本の執筆に参加したことで、ドラマのリアリティが増している。韓国での初回放送では、北朝鮮を美化しているとの批判が起きたが、製作陣は徹底した考証を重ねたと抗弁した。また、北朝鮮を刺激しないよう、核開発や人権抑圧など政治的問題を連想させる描写は避けたという。

 ドラマ放映後、脚本家のパク・ジウンは、ドラマを通じて北朝鮮の文化を国民に伝え、南北統一教育に肯定的な影響を及ぼしたという功績で、韓国統一部から表彰された。

 一方、日本では「愛の不時着」にみるフェミニズム要素を高く評価する向きがあり、興味深かった。例えば、「ミソジニー(女性嫌悪)や有害な男らしさがなく、安心して視聴できる」「男女の関係が対等で、固定的な性別役割にとらわれていない」「自分の才覚で稼ぐ女性を全肯定している」「主体的で自立した新しい女性像」といった声だ。

 これに対し韓国では、このドラマについてこうした視点からの論評はほとんどない。むしろ、日本で「愛の不時着」がフェミニズム要素のあるドラマと評価されていることがニュースになったほどだ。

 フェミニズム的な視点に注目した見方は、日本のドラマにおけるジェンダーの描かれ方への異議や違和感、不満が鬱積していることを逆照射しているともいえる。韓国ドラマの中に先進性を見出し、日本のメインストリームに対するカウンターカルチャーとして位置付けようとする意味合いもあるのかもしれない。

 また、「愛の不時着」では、主役の北朝鮮軍将校ジョンヒョクが、ヒロインのセリのために料理をする場面が実に丁寧に描かれる。例えば、お腹がすいたというセリのために、ジョンヒョクは粉をこねて手動の製麺機で麺を打ち、味噌スープ麺を作る。セリがエスプレッソを飲みたがれば、市場の商人に買い付けてもらったコーヒーの生豆を大釜で時間をかけて煎る。自家焙煎した豆を石臼で丹念にすりつぶし、ネルドリップで丁寧にコーヒーをいれる。セリの体調を気遣い、早朝に二日酔いに効く豆もやしスープを作る。

 これらのシーンに胸がときめき、心打たれたという女性視聴者が日本ではとりわけ多いのだが、そこに一種の理想の男性像を見るのは、もっぱらケア役割が女性に偏っていることに起因する。

南北の格差社会の縮図

 優れたドラマには、社会の有り様や世相を映し出す時代の鏡としての力がある。「愛の不時着」は、その一つであろう。こうした観点から、このドラマの時代性をいくつか指摘したい。

 第一に、南北で広がる社会的格差の縮図ともいえる設定だ。

 ヒロインのセリは若くして自分の名前を冠するブランドを立ち上げ、経営者として大成功した超富裕層の女性である。大財閥の家系に生まれ、「私のことを知らない人がいたら北朝鮮のスパイ」と言い放つほどのセレブだ。

 恋愛相手となる北朝鮮軍将校のジョンヒョクもまた、一介の将校ではなく、北朝鮮で絶大な権力を持つ北朝鮮人民軍総政治局長の御曹司である。スイス留学帰りの元ピアニストという特権階級だ。

 南北で〇・〇一%に過ぎない超上流階級の男女の物語であり、いくらファンタジーとはいえハッピーエンドで終わらせることができたのは、ふたりが持つ特異なバックグラウンドと無縁ではないと思われる。

 前述のようにドラマでは、もう一組の南北男女の悲恋も軸となっている。平壌の富裕層の娘でチェリストのダン。彼女もまた、平壌で最大規模のデパートを経営する母と政府高官である軍人の叔父を持つ、財力と権力をバックにつけた特権階級だ。彼女の相手となる韓国男性は、詐欺や横領を働き指名手配を受け、北朝鮮に高飛びしてきた青年実業家スンジュンである。「コッチェビ」と呼ばれる路上で暮らす北朝鮮の孤児に、かつての自分の姿を重ね合わせるほどの貧困から身を立てたスンジュンには、頼れる親もバックもいない。こちらのふたりの関係は、スンジュンが殺されることで悲恋に終わる。

 二組の愛の行方は、北朝鮮でも韓国でも、どのような親の元に生まれたかで、成功や恋愛、そして生死すら左右されるという究極の格差社会の実態を強烈に示唆している。

 南北で、格差や階級をめぐる問題は目新しいものではない。韓国では一九九〇年代まで格差を表す比喩は「兵役免除は神の子、防衛兵(今はなくなった自宅通いの短期兵服務)は将軍の子、現役兵は闇の子」だった。近年は親の資産により「金」や「銀」「銅」「泥」のスプーンといった、自分の立ち位置を自嘲する造語が使われる。セリはさしずめ「プラチナ」のスプーンをくわえて生まれてきた女性だ。

 一方、北朝鮮には「出身成分」と呼ばれる独自の階層制度がある。九〇年代後半以降は、ドラマに見るように非公式な経済活動で富を築く者が出現し、共産主義型の「平等社会」から自由経済が作用した「格差社会」への移行が始まった。金融業、不動産業、運輸業、製造業といった北朝鮮の非公式経済は、新興富裕層の資本が大きく関与している。自由経済が活発化することで、北朝鮮でも経済格差が広がった。

 ドラマは、北朝鮮の特権階級が住む家や生活ぶりと、地方の村の人々の生活水準との間には、同じ国とは思えないほどの格差があることを示していた。南北が共有する現在の社会問題は、こうした格差拡大や不平等の深刻さであろう。(以下略)

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

れいわ新選組になけなしのお金を寄付した人たち

─野党は与党に対しての批判ばかりで、自ら提案をしている姿勢が見えないという批判がありますが。

神津 そこは多分に見え方の問題だと思います。例えば、国会の法案審議も八割方は政府案に賛成しているわけですが、表には見えない。森友や学園の問題は、世論調査でも国民の七割方はあやしい、おかしいと思っているわけですから、それを追及するのは有権者に対しての責務でもあります。
 しかし、疑惑や問題が根本的に解明されず、同じことを繰り返さざるを得ないために、批判だけしているように見えているのでしょう。

中島 野党も批判ばかりではありませんが、それが国民に届いていないのは事実でしょう。私見によれば、届きそうになった機会は、大きく見て二回あったと思います。
 一回目は二〇一七年に立憲民主党が結党した時です。希望の党は「リスクの個人化」と「パターナル」の小池都知事を担いだことから、理念の混乱が生じました。一方、枝野さんは、国民に対して「リスクの社会化」と「リベラル」という明確なビジョンを訴えました。
 そこをさらにラディカルな形で見せたのがれいわ新選組、昨年の参議院選の山本太郎さんでした。私はあの時、ポケットに数百円、数千円しかないような人たちが、そのお金を寄付する姿を見ました。本来ならばもっと以前に救われるべき立場だった人たち、しかも、政治に目を向ける余裕がなかった人たちが、山本さんの叫び声に反応して政治に関心を持ち、自分のなけなしのお金を出した。
 私自身、痛烈な反省をしなければいけないと自覚していますが、政党政治家も知識人も、もしかしたら労働組合も、こうした人たちに向けて声が届かなかった部分があったのだと思います。この点で、私は山本さんへの敬意を忘れてはならないと思います。
 しかし、立憲民主党もれいわ新選組も、政権交代という「もう一艘の船」とは認識されなかった。ここをなんとかしなければなりません。新しい立憲民主党を「きちんと乗り移れる希望ある船」にしていくことは、政治家と連合の皆さんの力にかかっていると思います。

次の政権交代の鍵は首長経験者か

─野党の声はなかなか国民に届いていないとのことですが、コロナ対応によって注目された知事たちは、いわば「もう一艘の船」になりうるでしょうか。

神津 コロナの問題をきっかけに、改めて知事さんを含めた地方自治に光があたったのは、リスクの社会化がいかに大事かということであり、そこに力を振るった知事が光を放ったということだろうと思います。
 菅総理の言う「自助・共助・公助」自体は重要ですが、新自由主義や自己責任論ばかりが横行すると、「自助が当然だ」という社会になってしまいます。公助と共助とをどう組み合わせれば、自助の力が発揮できるようになるかを考えることが大切です。
 日本の公助を充実させるためには、地方自治の役割は非常に大きいですし、公助と共助と自助を組み合わせるには、地方自治体の人たちの力がなければできません。財源の問題も含めて、地方自治体がもっと力を発揮できるようにしていかなければならないと思います。

中島 野党に支持が集まらないのは、この人たちに政権を預けられるのかという実務面での不安があるからだと思います。その背景に、旧民主党政権の失敗があるのは明らかです。私はすべて失敗だったとは思いませんが、多くの国民は野党が政権についたら「またあの繰り返しになるのか」という懸念を持っています。
 安定性という意味では、実務面で力のある知事や地方自治体の首長が、この再編にどう関わってくるかも大きなポイントになると思います。
 首長さんたちの対コロナ政策を私なりに検証した結果、注目しているのは、東京都の保坂展人・世田谷区長と愛知県の大村秀章知事です。こうした方々の実務の知見が野党に加わると、政権の一つの像が見えてきます。野党には現有勢力だけでなく、実務面でこの人に任せれば大丈夫だと思わせる安定性が重要ですから、首長が中央政治にも関わってくることが望ましいと思います。

神津 私も、地方自治体の首長として行政手腕を発揮し、かつ改革もきちんと進めてきた人が中央政界で力を発揮する流れが、もう少しあってもいいように思います。

中島 次の政権交代のパターンは、二〇〇九年のように野党が選挙で圧勝して政権を取る形ではなく、一九九三年のパターン。あの時は熊本県の細川護熙元知事を中心にした日本新党と新党さきがけでした。さきがけは自民党から割れて出てきたわけですが、もともとは滋賀県知事だった武村正義さんがいた。二人の知事経験者が政権交代を果たしたのです。

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未来の安定性に対するビジョン

─最後にあらためて「自助・共助・公助」を掲げる菅政権への注文を。

中島 日本がそれなりに豊かな社会として持続してくために重要なのは、社会としてスタビリティ(安定性)があること、「未来の安定性に対する安定的なビジョン」を持つことだと思います。
 例えば中小企業は、ここで転んでも公助が受けられるという保障があるから思い切って投資できる。逆に、企業が多額の内部留保を抱えているのは、安定性に対しての信頼を失っているからです。行き過ぎた新自由主義によって、誰も助けてくれないので自分ですべて抱え込まなければと思うから、国全体にお金がまわらない。安定性に対する国民みんなの合意を作るために、税制をどうしたらいいのか考えなければなりません。

神津 新自由主義は結局、すべてを自由にし、野放図にすればうまく収まるということだと思いますが、それは人間の無謬性を過信し、依拠することだと思います。しかし、人間に間違いはつきものですから、そんなにうまくいくはずがない。だからこそ、きちんとしたセーフティネットを張らなければなりません。
 セーフティネットにもいろいろなタイプがあり、現状は雇用調整助成金でなんとかしのいでいます。いまは「その場」をしのがなければいけないから必要な助成金ですが、「それだけでやっていけるか」と言うと、かなり難しくなってきている。
 究極のセーフティネットとして生活保護はありますが、自己責任論が災いして、本来使うべき人が使えない状況です。自殺者も増えているように、行き場がないと感じている人が増え始めています。
 GoToキャンペーンなどが始まり、このままなんとかなるんじゃないかという雰囲気になりかけていますが、雇用はこれからが危ない。セーフティネットをしっかり張っていくことが、一番大事なことです。

中島 私たちは、全くルールのないところで原理的に競争し合うことが、いかに破壊的なことかを知ったがゆえに、何百年もかけて近代社会のルールを作り、規制を作ってきました。それを行き過ぎた規制緩和で安易に解体するのは、歴史への冒涜です。
 もちろん、現代に合わなくなった規制があるのは事実ですが、そこを丁寧に調整していけばいいのであって、すべてを脇に置いて競争を唱えるのは文明以前への回帰ではないでしょうか。人間が長い時間をかけて培ってきた叡智に、きちんと目を向ける必要があります。

神津 なるほど。歴史の中で、新自由主義がどういう経緯で生まれてきたのか。あるいは、自己責任論が日本でいまなぜはびこっているのか。そういったことも、歴史の振り返りを含めて勉強していかなければいけませんね。

構成:戸矢晃一

 

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

新日本プロレスで取り組んだこと

―本日のテーマは、ウィズコロナ時代に、日本企業が"3カウント"を取られて敗北することなく、どのようにグローバルな経営を進めるかについてです。

伊藤 ハロルド・メイさんは本年十月二十三日をもって新日本プロレス(以下、新日本)社長を退任されますが、その前にはタカラトミーで社長を務めるなど、日本を代表する「プロ経営者」のお一人です。

メイ 私はこれまで日本企業三社、外資系三社で三三年間働いてきました。従って、日本の企業とグローバルな企業それぞれの良い点、悪い点をよく理解しているつもりです。
 生まれはオランダですが、父の仕事の関係で八歳の時に日本に来て横浜で暮らしました。外国人でありながら日本語でも考えることができ、日本市場の特性を消費者の目線からも熟知しています。
 実際、ビジネスにおいては、経営者として、日本企業、外国企業それぞれの文化に合わせて、硬軟とりまぜて対応してきたレアな存在だと自負しています。

伊藤 このたび新日本の社長を退任されることになったわけですが、二〇一九年に過去最高の売り上げを達成していますね。まず最初に、新日本での取り組みを、簡単に振り返っていただけますか。

メイ これまで私は新日本で、主にグローバルな展開を進めてきました。その象徴となったのが二〇一九年四月にプロレスの聖地として知られる米国マディソン・スクエア・ガーデン(以下、MSG)で開催した大会です。この時、一万六〇〇〇席のチケットがなんと一九分で完売したと言われています。これはMSG史上最速記録だったようですが、日本ブランドがマーケティングをきちんと行えば海外で成功できるという証明になったと思います。

伊藤 そこにいくまでに、心がけたことは何でしたか。

メイ 企業としての一体感です。それがないと大きな勝負に打って出ることができません。新日本で言えば、社員だけでなく選手にも、なぜ私たちがグローバル化に取り組み、MSGでの大会を成功させるべきなのかを分かりやすく説明できないといけないと考えました。
 タカラトミーの社長だった時は「赤字を黒字にする」という分かりやすいテーマがありました。しかし、新日本は私の就任時すでに黒字だったので、特に何か困っていたわけではありません。ただし日本市場がそもそも小さく限られている中では、この先、成長していくためにはグローバル化していかないといけない。そのことを、総務省の人口推計を用いて説明しました。それによれば、日本の人口は二〇〇四年を一〇〇とした時、今後一年間に約一%ずつ減る。つまり、五年で五%、一〇年で一〇%、日本市場が縮んでしまうのです。会社としてこれを看過するわけにはいかない、だから海外に目を向けるしかないと、理解を求めました。
 社員は私の話にしっかり耳を傾けてくれました。一方、選手も一緒に会社をもり立てていく仲間なので、選手とも一体感を持てるように丁寧に説明をしてきました。

「モノ」から「コト」へ

―メイさんはそもそもなぜ新日本の社長を引き受けたのですか。

メイ これまで私は主にメーカーで仕事をしてきました。歯磨きや飲料などの新商品・新ブランドを開発して日本のみならず外国にも売ってきました。新日本の社長を引き受けた当時も、「なぜ選んだのか」とよく質問されたのですが、まずプロレスが好きだったこと、そして私はこれから「モノ」に加えて「コト(体験)」が大きなビジネスになると考えました。新日本の素晴らしさを世界に伝えたかったのです。
 日本で「コト」で輸出に成功した代表例はアニメやゲームです。プロレスも輸出できると考えました。新日本では動画配信にも取り組んできましたが、四割が海外からの視聴です。また、選手も二〇人以上の外国人が契約しており、社内の環境が大きくグローバル化してきています。

伊藤 プロレスもそうですが、アニメやゲームといったソフトはまだ外国に売っていくことができますね。こうした「クールジャパン」に関連して、私が好きな経営学者であるコトラーの言葉で「マーケティングとは手練手管ではない。価値を理解して、顧客に伝えていくことだ」というものがあるのですが、これがまさしくクールジャパンにも当てはまるもので、われわれ自身が自らの強みを整理して顧客に伝えていくことです。日本はその努力が足りていません。

メイ 日本の製品であることに誇りを持つことですよね。日本はいいものを持っています。例えばスタジオジブリの作品や、『君の名は。』といったアニメ作品は世界的に高い評価を得ています。ゲームやポケモン、ハローキティといったキャラクターも世界中で愛されています。
 しかし、まだクールジャパンに対する政府の後押しが足りません。資金的な後押しはいろいろとやってくれているけれども、必要なのは日本製品を世界に出していくプロモーションであり、これは官民一体で動くことが多いと思いますが、「コト」を世界に打ち出していく仕掛けはまだまだ必要だと思います。日本のGDPのうち六割は「モノ」ですが、残り四割は「コト」です。その四割に見合うだけの力をかけているようには感じられない。ちなみに米国では日本と逆で、「モノ」と「コト」はそれぞれ四割と六割です。米国では音楽産業や映画産業に国として力を入れているのです。

現地に迎合せず日本の強みで勝負

伊藤 MSGでの大会開催がすごいことなので、もっと詳しいお話を伺っていきたいと思います。プロレスは、その国のカルチャーにも関わるものだと思います。米国に持っていってそのまま通用するとは限らない。勝算はあったのですか。

メイ 勝算はあると思っていました。というのは、プロレスは「格闘」で、これは人間の本能に関わるものだからです。英国、ロシア、どの国にも格闘技はあります。プロレスに親しんでいる国も多い。その中でも米国はプロレスに親しみがあり、日本の一〇倍以上の規模を持つ市場です。そこに、米国では見ることができない技の応酬がある、差別化した日本のプロレスを持っていったら米国人の心に響くのではないかと考えました。そのためにユーチューブでティーザー(予告動画)を事前に流して感触を探りました。その上で、「本物」を持っていったのです。
 ちなみに米国のWWE(World Wrestling Entertainment, Inc.)が世界で一番大きなプロレス団体ですが、その社名の通り「エンタメ」なんですね。一方、新日本は世界第二位の団体ですが、社のシンボルマークであるライオンマークにも書かれている通り「キング・オブ・スポーツ」、つまりプロレスをスポーツとして真剣に取り組んでいるわけです。
 実際、米国のプロレスはエンタメなので、マイク・パフォーマンスが見どころの一つであったり、会場の上空に花火を上げるなどして、観客を楽しませています。新日本はエンタメに偏ることなく、最初から最後まで戦います。スポーツ・格闘技としての本物のプロレスをしているのです。
 海外に日本のものを持っていく場合、しばしば「現地化」させようとしますね。でもそれでは駄目です。むしろ、日本のものをそのまま持っていく方が外国からすれば魅力的なのです。だから選手紹介も、英語ではなく日本語でアナウンスしました。ここがこだわりのポイントです。

伊藤 SNSの活用と、日本の魅力を「本物」として発信していくことが大切なんですね。

メイ 日本のGDPは世界第三位。これはすごいことです。しかし世界全体から見るとたった六%のシェアにすぎない。新日本もこれまでこの六%を見ていた。でも、残りの九四%の市場も攻めた方がよいのではないか。これは新日本のみならず、日本全体の商品・サービスがめざすべき場所でもあると考えています。日本はまだまだいけると思う。日本の商品の品質はとてもいいし、安全性も世界から信頼されている。それに日本に親しみを持っている親日家は、世界中にたくさんいますから。

伊藤 それで思い出しましたが、醤油も日本らしさがそのまま世界で受け入れられています。『論語』に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(人物が優れていれば協調しても主体性を失わない。器の小さい人物はたやすく同意するが調和しないの意)」という言葉がありますが、グローバル化の本質を突いています。グローバル化においても協調しつつ本質は失わないことが重要ですね。

メイ コカ・コーラ社は代表的なグローバル企業ですが、商品では現地化しているものがあるものの、ロゴなど会社の顔としてのブランドは統一しています。先生がおっしゃる通りバランスが大事ですね。そういった私の経験を、これからいろんな会社に助言していきたい。日本の価値が世界に伝えられていない、もったいないことが多いのです。

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〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

新陳代謝と創造的破壊

新浪 雇用調整助成金はしばらくは出し続ける必要がありますが、一方で将来的に厳しい産業が出ている現実もあります。そうした産業から別の産業への労働力移動を促すような雇用調整助成金へと重きを移していかなければいけません。
 また、とりわけ大企業の再編も必要です。解決策の一つとしては、規制改革によって銀行が例えば五年から七年程度の期限付きで二〇%までの資本を持てるようにすることも考えられます。銀行が融資だけなく出資することによって、優秀な人財が別の企業に行って業界を再編していく流れが生まれる。
 最後に中小企業に関しては、自助努力している企業へ人財が流れる仕組みを作るべきです。中小企業庁のあり方も見直して、自ら成長したいという企業へのサポートをすべく、補助金という従来のやり方から脱却する必要があります。

伊藤 銀行は取りあえずみんなを助けるということで資金を提供してきたわけですが、当然、不良債権が膨れ上がる恐れがある。これからは企業にABCDといったランク分けをせざるをえないし、政府もそういうことを考えていかなければなりません。想像以上のレベルで、景気対策をしていく必要があります。
 それから生産性について一言申し上げたいのですが、政府と民間で一つだけ異なる点があります。それは、政府は一つしかないということ。だから政府には、とにかく頑張って生産性を上げてもらうしかない。
 民間の生産性というのは、一律に上がっていくものではなく、申し訳ないけれども生産性の低い企業には市場から撤退してもらって、全体として上がっていくものです。そのためには、ある種の新陳代謝、新浪社長がおっしゃる人の移動も含めて、少し厳しい調整が必要かなと思います。イノベーションの大家であるシュンペーターは、イノベーションの本質は創造的破壊だと喝破しています。すなわち破壊がないところに創造はない。これは、今の日本経済にも当てはまると思います。なかなか厳しいことではありますが。

新浪 良い人財が大企業で面倒をみてもらえると安心していたら、終身雇用はもう持たない時代になった。早い段階で外に活路を見出していくようにしてさしあげることが実は本人にとってもいいし、日本全体にとっての活力にもなっていくのではないか。ベンチャーのような、昔はなかったものが生まれ、二十代や三十代前半が大企業の外に出始めた傾向はとてもいい。その中心がやはりデジタルです。スガノミクスはそういった動きをいろいろな施策で応援してはどうかと思います。

伊藤 重要なポイントは、スガノミクスがアベノミクスのレガシーを継いでいるということです。スガノミクスになったからといって、金融政策や財政政策が変わるわけではなく、その上に何をプラスするかです。
 アベノミクスのキーワードは需要喚起です。「三本の矢」を掲げましたが、結果的に有効だったのは金融政策と財政出動。この二つにより、なんとかデフレではない状態を作ったことは大きな成果です。
 他方、サプライサイドに関しては、コーポレートガバナンスの改革や、法人税の引き下げなど、いろんな課題に取り組んだのですが、政府が馬(企業や国民)を水場に連れていっても、残念ながら馬が水を飲まなかった(笑)。その状況でいくら需要喚起をしても、限界がありました。
 今サプライサイドで生産性を上げる力を持っているものは何だろうかと考えると、もちろん政府の規制改革は大事なのですが、それで経済が見違えるほど良くなるわけではない。日本のサプライサイドを動かす潜在力を最も有しているのは、やはりデジタル技術なのです。スガノミクスに期待したいのはサプライサイドの技術革新を邪魔しないように推し進めていく、そういう規制改革も必要だろうし、デジタル庁や、先ほどの中小企業庁のあり方も課題でしょう。
 このように、ディマンドサイドのアベノミクスと、サプライサイドのスガノミクスが両方連動していくと非常にいいのかなと思います。

スガノミクスの一点突破力

─GoToキャンペーンや携帯電話料金値下げという政策は、一見すると庶民に対してお得感を与え、需要を喚起するための施策のように見えますが、サプライサイドとどのように関わってくるのでしょうか。

伊藤 GoToキャンペーンは延々やるわけではないから需要喚起と変わらないと思いますが、携帯電話料金の値下げはサプライサイド的な面も強い。振り返ると二〇〇〇年の森喜朗内閣に同様の例があって、IT戦略会議が当時NTTの独占状態だった光ファイバー網を開放させたところ、それをきっかけに、NTTがITを中心とした新たな事業展開するようになったということがありました。ですから、携帯電話の事業会社が高い売上高利益率に安住していると、さらなる発展は望めませんが、あえて料金を下げさせることによって、5G時代の新たなビジネスを作ることにつながる可能性がある。
 どうですかね、菅総理はサプライサイドというと言い過ぎかもしれませんが、個別分野を攻めていくのが得意なのではないでしょうか。

新浪 突破力がすごいですね。やると決めたことは必ずやり遂げる方なので、携帯電話料金の値下げは消費者、とりわけ若い人たちの消費力を上げることを意識されていると思います。重要だと思うところに突き進んでいく様子は、不妊治療の保険適用という政策にもうかがえます。おそらく、これを突破することによって合計特殊出生率を上げていきたいという思いを持っておられる。
 菅政権はそのような、今できることに取り組むことによって、コロナで皆が沈みがちになっている時に「やれるんだ」という高揚感を作っている。このモメンタムは、非常に重要だなという感じがします。
 それと、菅総理が全国加重平均で時間額一〇〇〇円を目指すように厚生労働大臣に指示したという「最低賃金の引き上げ」をぜひ挙げたいです。これは過日、経済財政諮問会議の場で、五%を一期に上げるべしと私も提案をしました。
 苦しい中でも賃金が中長期にわたって上がっていくとなれば、企業にとってもDXを進めるという意義がある。最低賃金引き上げが重要なのは、一〇〇〇円に向けて上がっていくからデジタルへの投資につながる点なのです。DXを進めて生産性を上げることと、鶏が先か卵が先かという関係ではありますが、両方取り組んでいくべきです。
 実は今、物流の皆さんがご苦労されているのですが、ここに自動運転のトラックが導入されると生産性が上がるし、職場環境も良くなる。賃金が上がることによって、運転手のなり手も増える。ですから最低賃金を上げることは、DXと伴走することにもなるわけですね。
 そういった意味で、菅総理は何か一点集中することによって、波及効果を狙ってやられる方だなと思います。とにかく、やりきる力がすごいですね。

伊藤 新浪社長が経済財政諮問会議で当時の菅官房長官と一緒に取り組んだものに薬価制度改革がありますが、これも然りです。医薬品を安くしたことによって、今まで特許の切れた薬で安穏としていた薬品メーカーがもっと前向きにいかざるをえない方向にした。つまり、先程来申し上げているサプライサイドの意味でも、大きな影響があったということです。
 スガノミクスの一点突破力に期待をしたいですね。

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撮影:言美歩

 

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

探検家、霊長類学者に会いに行く

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太陽のない極北の四ヵ月の旅

山極太陽が昇らない真っ暗闇の北極圏を探検したノンフィクション『極夜行』を拝読しました。闇の恐怖を感じながら四ヵ月を過ごし、ようやく太陽の光を見た時はどんな気持ちでしたか。

角幡なかなか言葉にしにくいのですが、純然たる感動というか、感極まりました。

山極『極夜行』では、極夜が明け、最初の太陽を見た時の状況を奥さんの出産と重ね合わせて、赤ん坊が母親の胎内から出て初めて光を見た瞬間になぞらえていますね。羊水に包まれて真っ暗闇の中にいた赤ん坊が初めて光を浴びる。それと同じような感覚だと。

角幡妻の出産と重ね合わせたのは、自分の中のどこかに子供ができたことの驚き、人間から別の生命体が出てくることを、生で見た体験があったからだと思います。子供ができたことで僕の感覚は変わりました。自分とは別の生き物である一方で、自分の分身のような存在が、自分の人生と並行していく。自分の人生が新たなフェーズに入っていくような感覚がありました。それと、極夜のプロジェクトが同時並行で進んでいたので、どこかで二つを重ね合わせたい気持ちがあったように思います。

山極実は、私もアフリカのジャングルで闇夜を体験しています。ジャングルは空が見えないため、たとえ月や星が出ていても真っ暗で指の先さえ見えません。地面が見えないので、自分が地面に立っているという感じがしない。生き物の騒がしい声は聞こえますが、まるで宙に浮いているような気がしました。その中で光るキノコは、まるで宇宙船のように見えて、宇宙ってこんなものかなと思ったことがあります。角幡さんのように長い間闇の中にいたわけではありませんが、自分を失いかねない経験でした。

角幡極夜の探検をしたいと思ったのは、僕らの世界では太陽があることが当たり前で、それをもとに生活や文化や認識や行動がある。それも一つのシステムだと見て、その外に飛び出してみたかったからです。太陽が意味をなさない世界に行くことで、太陽がある世界で生きている人間の限界が見えてくるのではないかと思いました。だから、どこか地理的な一点に到達することが目的ではなく、闇夜を体験することが今回の探検の目的だったのです。

山極太陽の光があたっている時間に暮らしを営むというのは、サルから受け継いだ人間の身体的な感覚です。サルも人間も熱帯起源ですが、人間だけが極地へ足を延ばすことができる。でもこれは、人間の身体的限界を超える行為です。  人間は二〇万年前にアフリカ大陸に生まれ、一〇万年くらい前にアフリカ大陸を脱出し、アジアに辿り着いたのは五万年くらい前。日本列島に来たのはおそらく三万年くらい前です。アフリカ大陸以外の寒い地域での生活は、せいぜい数万年に過ぎない。人間の身体は今でも寒い地方に適応していない。だから文化を用いて適応したのです。

角幡山極さんは、家族が向かいあって共感力を育む「食事」は人間の文化にとって大きなものだと書いていますね。ところが、イヌイットは家族で食事をしないのです。現地に行って、その理由がわかりました。  というのも、白夜の時期に旅をしていると時間の感覚がなくなり、自分の身体に対して忠実になる。簡単にいうと、腹が減ったら食べて、眠りたい時に眠るのです。一日が二四時間である必要がなく、二二時間でも二七時間でも、その時どきの体調や天候で決めればいい。天気が悪ければ狩りに出ないでずっと眠り、天気がよくなったら外に出る。だから、家族各々の行動がばらばらになっていく。結果的に彼らは家の一隅に生肉を放り出しておいて、腹が減ったら勝手に食べ、眠くなったら眠る生活になる。合理的なんです。

山極人類が誕生した熱帯は、あっという間に食べ物が腐って食べられなくなる世界ですし、昼も夜もさまざまな虫と戦わねばならない世界です。ジャングルでは朝はブユに血を吸われ、昼間はツェツェバエが血を吸いに来る。夕方になると蚊が、森を歩けばダニが寄って来る。一方で、極地は氷と雪に閉ざされて鳥も虫もいない。肉も腐らないところでどう人間は身体を支えていくのか。家族が一緒に食事をしないのは、みんなで同調するより、一人一人の身体の状態に合わせて栄養を摂取するのが最善の環境だからかもしれません。

角幡そうかもしれませんね。

「冒険」とは何か?

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山極角幡さんは『新・冒険論』で、「冒険とはシステムを脱して未知なる混沌の世界に行くことだ。しかし、現代はそのシステムを抜け出すのが難しい」と書いています。今、現代人が抱いている閉塞感は、システムから抜け出せないことに由来しているのだと、私も思います。
 地球にはこれまで未知の世界があり、新しいことが次々に出てくるという期待感に溢れていました。でも実は地球という環境は閉じていて、その環境が悪化していく。我々はその劣化していくシステムから逃れられないのです。それが閉塞感になっているのだと思います。
 しかし、例えば私が研究対象にしているゴリラの世界に入り込むことは、日常のシステムから抜け出す方法の一つです。ただし、いくら私が頑張ってもゴリラが認めてくれなければゴリラと人間の境界を突破できないし、向こうの世界に辿り着くまでには何年も掛かります。
 そうやって向こう側に行ってみると、今度は人間が変な生き物に見えてきます。手が短いし足が長い。一方のゴリラは頭がでかくて上半身に埋まりこんでいる。そして足は短く、腕が長い。この長い腕で自分を支えることによって安定した格好になっており、泰然自若とした雰囲気を醸し出しているのです。
 それに比べて、人間はなんでこんなにあちこちに目配りをし、首が据わっていないのか。短い手をちょこちょこ動かして不格好で、人間の身体に関する信頼感が揺らいでくる。それはとても面白い体験でした。

角幡僕の考える冒険は、今僕らが住んでいるシステムの枠組みの外側に飛び出すことです。
 世界で初めてロケットで地球を飛び出したガガーリンは「地球は青かった」と言いました。そんなシンプルなことも飛び出してみないとわからない。同じように、システムの外側に飛び出してみることによって、内側にいる僕らの思考や行動の枠組みの限界のようなもの、境界線が見えるような気がします。そういった意味で、僕は冒険家には批評性が重要だと思っています。他の動物の世界に入りこむのってすごく面白そうです。ゴリラの世界に入りこむことで初めて見える人間の世界があるわけだから。

山極私は、冒険の定義の一つに「帰ってくる」ことがあると思います。冒険者は帰ってきて、自分の体験を常識のシステムの中にいる人と分かち合う。そこに意味が生まれる。もし、向こうの世界に行ったまま消えてしまったら、それは死ぬこととほとんど変わりません。常識の世界にいる人間には思いもつかない体験をして、その体験を何らかの形で還元することで、初めて冒険者になるのだろうと思います。
 私は、人間と動物の大きな違いも、境界を越えて戻ってくることだと思います。動物は種分化して新しい種を生み出してきましたが、それは移動することで地理的な隔離が生じ、もとの祖先種と交雑をしなくなるからです。一方の人間は、境界を越えてもまた戻ってくるので、もとの種と交雑します。だから新しい種ができない。これは人間だけに備わった特別な能力です。そもそもゴリラやチンパンジーは、新しい土地に行くことを好みません。もし移動して数日間群れから離れてしまうと、元の集団にはもう戻れない。別離は死んだことと一緒。毎日身体を合わせて、お互いを確認し合っていないと同じ仲間と感じられないのです。人間に最も近い類人猿でさえ、アフリカの熱帯林から出られませんでした。
 ところが、更新世に生きていたヒト科の一種であるホモ・エレクトスは、一八〇万年前にアフリカ大陸を出ました。地域的変異はありますが、同じ種をアフリカにもアジアにもヨーロッパにも見つけることができます。現代の人間であるホモ・サピエンスもヨーロッパに進出し、アジアや新大陸に渡ったのです。

人間はなぜ未知の世界へ出たのか

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角幡動物は新しい土地を好まないが、人間の祖先は新しい土地に進出した。人間がなぜ旅をするようになったのか、どうして未知の土地へ進出するようになったのか興味があります。未知への欲求でしょうか?

山極その謎はまだ解けていませんが、私は、人間が未知の場所や出来事を、仲間を信頼することで理解するようになったからだと思います。そのきっかけは、仲間が運んできた食物を分け合って食べるようになったことではないか。
 ゴリラもチンパンジーも食べ物をその場でしか食べません。なぜなら自ら取ったものをその場で食べないと安全を確信できないからです。一方、人間は熱帯林を出た直後から、食べ物を運んで安全な場所で仲間と一緒に食べたと思われる。そのためには、食物の安全性を自分で確かめるのではなく、仲間を信頼して食べなければなりません。これが好奇心の始まり、あるいは人間的なコミュニケーションの始まりだと思います。
 人間も最初はゴリラやチンパンジーと同じように、数時間くらいしか離れることのない仲間だけを信用した。それがだんだん遠くへ出るようになり、数日間の別離であっても仲間を引き裂く原因にはならなくなった。それは、運ばれてきた食べ物が安全かどうかではなく、持ってきてくれた仲間を信じるようになったからではないか。食べ物が自分と仲間との媒介、接着剤になったのです。
 そして、ますます遠くに出かけて、新しい可能性を見出そうとした。仲間が喜ぶものを持って帰れば、仲間が自分をもっと高く評価してくれ、さらに絆が深まった。その結果、さまざまな集団に分かれたり、くっついたり離れたりして、次第に人間的な社会ができあがっていった。
 つまり、食べ物を道具化して、人間関係の社会的な調整のために使い始めたのが、人間的なコミュニケーションの始まりであり、旅することの始まりではないかと思います。

角幡未知への好奇心のベースには、あそこに行ったら食料がたくさん手に入るだろうということがあったわけですね。

山極食べ物が豊富かどうかは、人間が移動する大きな理由だったと思います。北極圏のような極寒の地にどうして人間が行ったのか不思議に思いますが、極北は寄生虫や虫がいないとても清潔な場所です。動物の胎内には寄生虫がいたと思いますが、熱帯で暮らした身からすれば外部の虫がいないというのは天国です。そして、日本列島を見てもわかるように、人間が食べられる資源は南方よりも、北方のほうが多い。  人間が海の幸や川の幸を利用し始めたのは意外に新しく、ホモ・サピエンスになってからです。海岸に進出したのは、おそらく七万年前くらいからだと思います。肉も魚も食べられるようになったことで、人間は極地まで行けるようになった。動物は、マンモスのように寒くなるほど巨体化しますから、寒冷地では巨大な食物資源を手に入れられることも大きな利益になったはずです。しかも保存しなくていいわけですから、こんなに素晴らしい場所はない。

角幡まったくその通りで極地は快適です。寒さにはなれますし、大きな動物を獲ったら一ヵ月くらいは安泰です。極地に慣れたら熱帯は不快だから行く気がしない。

山極雪原や氷原では遠くの獲物も見えるから、狩りもしやすい。

角幡僕は最近、極地で自分で狩りをすることを前提に旅をしています。今年も犬の餌や自分の食料を四〇、五〇日分持って出発して、足りない分は麝香牛やウサギを狩って旅をしました。七五日でしんどくなって帰ることになりましたが。
 従来の冒険者、あるいは登山家の視点では、到達目標を定めフィールドを均質化して、今日は何キロ進めたというふうに空間を捉えます。でもそこには近代的思考の限界がある。土地は本来均質ではなく、それぞれに特徴があるのに、合理的に目的地に到達することばかりが優先されると、その土地ごとの固有の特徴が切り捨てられる。しかし、狩猟者の視点で土地の恵みを利用しながら旅すれば、土地の固有性を浮かび上がらせることができます。猟をするようになって、どこに行ったら獲物がいっぱい手に入るのか、いい土地とは獲物が豊かな土地だという感覚を持つようになった。狩りが上手くいけば、食料の不安がなくなってさらに遠くへ行ける。そこで成功したらまた別の土地に行ける。それを続ければ、理屈上はどこまでも行けます。
 従来の冒険のように、どこか目的地に到達するために行う旅は、到達したらそれ以上展開しようがない。目標地点に自分が縛られてしまうというか、管理されてしまうところがあります。しかし、あっちに行ったらもっと獲物が豊かなのではないか。もっといい土地があるのではないかと考えて移動していく旅には、目標地点がありません。狩りが上手くいく限り永久に続き、旅は直線的なものから循環的なものに変わる。
 獲物がどこにいるかを自分で歩いて発見して、自分が見つけたいい土地をどんどん増やしてどこまで行けるのかに挑戦する、それが今の冒険のモチベーションです。それを続けることで、人類が一番最初に移動を始めたモチベーション、人類の未知への場所への欲求や憧憬の根源に迫ることができるのではないか、という期待もあります。

テクノロジーがもたらした変化

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山極僕はGPSや携帯電話がない時代から調査をしてきたので、いまだにそれら電子機器使いませんが、角幡さんもそうした道具を使わずに冒険に出るそうですね。

角幡今の冒険や登山の現場では、テクノロジーとの付き合い方が難しくなっています。この間も衛星電話を持たずに白夜の極北に行ったら、帰りにドイツ人の旅行者と会って、「衛星電話を持たなかったのか。大切な家族がいるのに、父親としての責任を放棄しているのではないか」と言われてしまいました。
 僕の感覚としては、テクノロジーを使うと自分の身体の一部をテクノロジーに委託して何かを知覚するようになる。それでは身体性がなくなってしまいます。身体と対象との間にテクノロジーという余計な層が一枚増えるので、対象と直接関わることができなくなり正確な理解も困難になる。例えば、GPSを使うと、極夜にいてもピンポイントでどこにいるかがわかります。移動にたいして不安はなくなりますが、闇の中、自分がどこにいるかわからないという極夜の本質がぼやけてしまう。空間的な位置はわかるが、極夜とは何なのかはわからなくなるわけです。

山極テクノロジーを使うと、脱システム化ができなくなるのでしょうね。私もかつては、妻と子供を日本に置いてアフリカに行きましたが、当時は一切連絡のしようがありませんでした。しかし、最近は学生の安全のために衛星電話の携帯が義務付けられるようになってきました。
 もっと重要なのは、GPSやデータロガーを使用した研究のほうが科学的である、という話になってきていることです。GPSを体に付けた調査者がゴリラを追っていくと、調査者が歩いたルートからゴリラの移動ルートが辿れるようになる。それを地図上に落としたほうが人間の目測より正確だし科学的だというわけです。何より、調査者がゴリラの群れに入り、ゴリラに影響を与えることはいかがなものか、という批判もあるのです。そうなると機械に記録させ、後からその記録をもとにして類推することのほうが科学的に信頼できる調査になる。
 すると、観察者が安全な場所に留まり、自分の身体も行動もかかわらない状況でゴリラの世界を眺めることになります。でも、それでは動物園で檻の外からゴリラを眺めているのと変わりはない。私は、やはりゴリラの群れの中に入って、ゴリラと触れ合わないと本当のことはわからないし、重大なことは発見できないと思うのです。

角幡山極さんという固有の人間がゴリラと接して、その時に起きる化学反応のようなものが大切で、山極さんの中から湧き上がってくるゴリラ認識みたいなものの中にゴリラの本質が現れるというわけですね。

山極そうです。自分が体験したことを元にしてデータを作っていく。もっと正確に言えば、自分の感性を磨いて、自分の目で見た現象をそのまま記述する、ナラティブ(物語)のデータこそが私のデータです。

究極の自由は、究極の不自由

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角幡現代社会の人々の思考は急速に合理的、効率的な方向に向かっています。どこかに到達するために、何らかの成果を出すために目標を定め、それに向かって効率よく進むことばかりを追い求めている。テクノロジーがそれを後押しして、思考回路がさらにそちらに進む。そこからこぼれ落ちることが存在しないような世の中になっています。そこに僕は違和感を覚えます。

山極どんな現象も、文字や数値にして語らなければならなくなっています。デジタライズされないものは比較できないからでしょう。例えば、北極圏に何日掛けて到達したのか。そのうちどのくらいの日数が闇夜であったのかを数値化して、他の冒険家と比べてその冒険の価値を判断するといった方法が常識的な手法になってきているのではないでしょうか。
 でも、本当にそうなのか? 個人的な体験は数値では表せません。面と向かって語れば他人とある程度は共有できるかもしれませんが、完全に理解してもらうことはできません。では、個人が体験したものを共有するためにはどうしたらいいのか。私はゴリラを通じてそれを探っています。ゴリラは言葉を持っていませんが、ゴリラと私の間には何らかの共有意識がある。それがおそらく人間が言葉を発明する以前に持っていたコミュニケーションのスタイルなのだと思います。目で見つめ合うとか、身体が同調するとかいったことを使いながら、人間は信頼感や嬉しさ、楽しさ、悲しみを共有してきた。それが、現代の人間が失い始めている大事なものなのではないかと思います。

角幡現場に出て、現在進行形の出来事の中に身をおくことで身体的な関わりができる。その関わりの中で物語が生まれて固有の経験になるのに、そうした身体的な関わりが急速になくなりつつあります。今の人たちの思考がものすごく短絡的になっているのも、そこに原因があると思えてなりません。人間だって土地だって身体的に関わればもっと複雑だってことがわかるのに、テクノロジーに頼り切って自分の身体で関わる経験を欠いてしまったせいで、世の中は論理や合理性だけで単純に割り切れるわけではないという当たり前のことに想像力が働かない。ヘイトスピーチや冷笑主義が幅をきかせるのも、身体的に関わる機会が減り、人間を短絡的に捉えるようになった結果としか思えません。

山極身体が伴わずに言葉だけでやり取りをしていると、身体はバーチャルな世界を演じるだけの物体になってしまう。でも、実際に身体を突き合わせることで感じるものは、言葉だけでやり取りしているものとは違うはずです。

角幡山極さんは、「ゴリラは一人の自由さに耐えられない、究極の自由は究極の不自由だ」とお書きになっています。ゴリラのオスは一人になって自由に動いているかと思いきや、それに耐えられずにメスの誘いに応じて集団を作り出す。  僕は完全なフリーランスなので、旅をして帰ってくると、以前は狭いアパートで、一人で原稿を書いていました。ものすごく自由だけれど、孤独でした。単独行動のオスゴリラと同じで、その時にたまたま一頭のメスと出会って結婚した。人間もあまりに自由だと、その不安に耐えきれず自由から逃れたくなるのです。
 極夜行とは、全く何も見えない闇という不確定状況に突入することです。自分ですべてを判断し、すべての状況を処理して旅を続けなければならない。自分の位置がわからないから、明日どうなるかもわからない。時間軸上の未来も不確定になってきます。あまりに自由が耐え難いので、不確定状況を確定状況にしたくなってくる。少なくとも二、三日先の未来は見通せるくらいの確定状況に変えていきたくなるのです。その一連の流れが冒険の魅力なのかなという気もします。つまり、不確定状況を確定状況にした時の安堵感とか快感に、生きている手応えがあるから冒険を続けているとも言えます。
 自由であるのはつらい。全部、自分の頭で判断して行動しなければならないからです。でも、だからこそ自由には価値があるとも言える。自然の中に飛び出し、逃げ出したくなるほどのすべての責任を両肩に背負って、その自由を噛みしめる。そこに冒険の意味があります。

山極狩猟採集民と付き合っていると、彼らはすべてのことを一人で行います。けれども、あえて仲間とシェアをする。自分でもできるのに、あえて相手に任せて集団でいることを好む、それが彼らの文化です。能力的に一人で暮らせても、いろいろな人たちと役割を分担して一緒にいるようにしている。角幡さんは自分でやろうとすれば一人でなんでもできます。でも、それだけでは生きられない何かがある。それがシステムの外に出てみると身にしみてわかるのでしょう。
 冒険とは、仲間の元に戻ってきた時に意味を与えられる。システムの外から戻ってきて、未知の体験を仲間に伝えることによって新たなシェアが生まれるからです。仲間もそれを期待し、自分はその期待を背負ってまたシステムの外へ出る。冒険者とは、人間の好奇心と未来への期待を一身に引き受ける人のことを指すのかもしれませんね。

構成◉戸矢晃一

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