探検家、霊長類学者に会いに行く

人間はなぜ冒険するのか?
角幡唯介(作家・探検家 )×山極壽一(京都大学前総長)

人間はなぜ未知の世界へ出たのか

20201012_KUU8768.jpg

角幡動物は新しい土地を好まないが、人間の祖先は新しい土地に進出した。人間がなぜ旅をするようになったのか、どうして未知の土地へ進出するようになったのか興味があります。未知への欲求でしょうか?

山極その謎はまだ解けていませんが、私は、人間が未知の場所や出来事を、仲間を信頼することで理解するようになったからだと思います。そのきっかけは、仲間が運んできた食物を分け合って食べるようになったことではないか。
 ゴリラもチンパンジーも食べ物をその場でしか食べません。なぜなら自ら取ったものをその場で食べないと安全を確信できないからです。一方、人間は熱帯林を出た直後から、食べ物を運んで安全な場所で仲間と一緒に食べたと思われる。そのためには、食物の安全性を自分で確かめるのではなく、仲間を信頼して食べなければなりません。これが好奇心の始まり、あるいは人間的なコミュニケーションの始まりだと思います。
 人間も最初はゴリラやチンパンジーと同じように、数時間くらいしか離れることのない仲間だけを信用した。それがだんだん遠くへ出るようになり、数日間の別離であっても仲間を引き裂く原因にはならなくなった。それは、運ばれてきた食べ物が安全かどうかではなく、持ってきてくれた仲間を信じるようになったからではないか。食べ物が自分と仲間との媒介、接着剤になったのです。
 そして、ますます遠くに出かけて、新しい可能性を見出そうとした。仲間が喜ぶものを持って帰れば、仲間が自分をもっと高く評価してくれ、さらに絆が深まった。その結果、さまざまな集団に分かれたり、くっついたり離れたりして、次第に人間的な社会ができあがっていった。
 つまり、食べ物を道具化して、人間関係の社会的な調整のために使い始めたのが、人間的なコミュニケーションの始まりであり、旅することの始まりではないかと思います。

角幡未知への好奇心のベースには、あそこに行ったら食料がたくさん手に入るだろうということがあったわけですね。

山極食べ物が豊富かどうかは、人間が移動する大きな理由だったと思います。北極圏のような極寒の地にどうして人間が行ったのか不思議に思いますが、極北は寄生虫や虫がいないとても清潔な場所です。動物の胎内には寄生虫がいたと思いますが、熱帯で暮らした身からすれば外部の虫がいないというのは天国です。そして、日本列島を見てもわかるように、人間が食べられる資源は南方よりも、北方のほうが多い。  人間が海の幸や川の幸を利用し始めたのは意外に新しく、ホモ・サピエンスになってからです。海岸に進出したのは、おそらく七万年前くらいからだと思います。肉も魚も食べられるようになったことで、人間は極地まで行けるようになった。動物は、マンモスのように寒くなるほど巨体化しますから、寒冷地では巨大な食物資源を手に入れられることも大きな利益になったはずです。しかも保存しなくていいわけですから、こんなに素晴らしい場所はない。

角幡まったくその通りで極地は快適です。寒さにはなれますし、大きな動物を獲ったら一ヵ月くらいは安泰です。極地に慣れたら熱帯は不快だから行く気がしない。

山極雪原や氷原では遠くの獲物も見えるから、狩りもしやすい。

角幡僕は最近、極地で自分で狩りをすることを前提に旅をしています。今年も犬の餌や自分の食料を四〇、五〇日分持って出発して、足りない分は麝香牛やウサギを狩って旅をしました。七五日でしんどくなって帰ることになりましたが。
 従来の冒険者、あるいは登山家の視点では、到達目標を定めフィールドを均質化して、今日は何キロ進めたというふうに空間を捉えます。でもそこには近代的思考の限界がある。土地は本来均質ではなく、それぞれに特徴があるのに、合理的に目的地に到達することばかりが優先されると、その土地ごとの固有の特徴が切り捨てられる。しかし、狩猟者の視点で土地の恵みを利用しながら旅すれば、土地の固有性を浮かび上がらせることができます。猟をするようになって、どこに行ったら獲物がいっぱい手に入るのか、いい土地とは獲物が豊かな土地だという感覚を持つようになった。狩りが上手くいけば、食料の不安がなくなってさらに遠くへ行ける。そこで成功したらまた別の土地に行ける。それを続ければ、理屈上はどこまでも行けます。
 従来の冒険のように、どこか目的地に到達するために行う旅は、到達したらそれ以上展開しようがない。目標地点に自分が縛られてしまうというか、管理されてしまうところがあります。しかし、あっちに行ったらもっと獲物が豊かなのではないか。もっといい土地があるのではないかと考えて移動していく旅には、目標地点がありません。狩りが上手くいく限り永久に続き、旅は直線的なものから循環的なものに変わる。
 獲物がどこにいるかを自分で歩いて発見して、自分が見つけたいい土地をどんどん増やしてどこまで行けるのかに挑戦する、それが今の冒険のモチベーションです。それを続けることで、人類が一番最初に移動を始めたモチベーション、人類の未知への場所への欲求や憧憬の根源に迫ることができるのではないか、という期待もあります。

1  2  3  4  5