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探検家、霊長類学者に会いに行く

人間はなぜ冒険するのか?
角幡唯介(作家・探検家 )×山極壽一(京都大学前総長)
2020年10月に上梓した『そこにある山』が大きな反響を集めている探検家の角幡唯介さん。角幡さんがエッセイや、服部文祥さんとの対談でたびたび言及していているのが、霊長類学者・山極壽一さんのゴリラの生態研究だ。角幡さんが敬愛する山極さんとの白熱対談。なぜ人間は冒険するのか? 
(月刊『中央公論』2018年9月号掲載)

太陽のない極北の四ヵ月の旅

山極太陽が昇らない真っ暗闇の北極圏を探検したノンフィクション『極夜行』を拝読しました。闇の恐怖を感じながら四ヵ月を過ごし、ようやく太陽の光を見た時はどんな気持ちでしたか。

角幡なかなか言葉にしにくいのですが、純然たる感動というか、感極まりました。

山極『極夜行』では、極夜が明け、最初の太陽を見た時の状況を奥さんの出産と重ね合わせて、赤ん坊が母親の胎内から出て初めて光を見た瞬間になぞらえていますね。羊水に包まれて真っ暗闇の中にいた赤ん坊が初めて光を浴びる。それと同じような感覚だと。

角幡妻の出産と重ね合わせたのは、自分の中のどこかに子供ができたことの驚き、人間から別の生命体が出てくることを、生で見た体験があったからだと思います。子供ができたことで僕の感覚は変わりました。自分とは別の生き物である一方で、自分の分身のような存在が、自分の人生と並行していく。自分の人生が新たなフェーズに入っていくような感覚がありました。それと、極夜のプロジェクトが同時並行で進んでいたので、どこかで二つを重ね合わせたい気持ちがあったように思います。

山極実は、私もアフリカのジャングルで闇夜を体験しています。ジャングルは空が見えないため、たとえ月や星が出ていても真っ暗で指の先さえ見えません。地面が見えないので、自分が地面に立っているという感じがしない。生き物の騒がしい声は聞こえますが、まるで宙に浮いているような気がしました。その中で光るキノコは、まるで宇宙船のように見えて、宇宙ってこんなものかなと思ったことがあります。角幡さんのように長い間闇の中にいたわけではありませんが、自分を失いかねない経験でした。

角幡極夜の探検をしたいと思ったのは、僕らの世界では太陽があることが当たり前で、それをもとに生活や文化や認識や行動がある。それも一つのシステムだと見て、その外に飛び出してみたかったからです。太陽が意味をなさない世界に行くことで、太陽がある世界で生きている人間の限界が見えてくるのではないかと思いました。だから、どこか地理的な一点に到達することが目的ではなく、闇夜を体験することが今回の探検の目的だったのです。

山極太陽の光があたっている時間に暮らしを営むというのは、サルから受け継いだ人間の身体的な感覚です。サルも人間も熱帯起源ですが、人間だけが極地へ足を延ばすことができる。でもこれは、人間の身体的限界を超える行為です。  人間は二〇万年前にアフリカ大陸に生まれ、一〇万年くらい前にアフリカ大陸を脱出し、アジアに辿り着いたのは五万年くらい前。日本列島に来たのはおそらく三万年くらい前です。アフリカ大陸以外の寒い地域での生活は、せいぜい数万年に過ぎない。人間の身体は今でも寒い地方に適応していない。だから文化を用いて適応したのです。

角幡山極さんは、家族が向かいあって共感力を育む「食事」は人間の文化にとって大きなものだと書いていますね。ところが、イヌイットは家族で食事をしないのです。現地に行って、その理由がわかりました。  というのも、白夜の時期に旅をしていると時間の感覚がなくなり、自分の身体に対して忠実になる。簡単にいうと、腹が減ったら食べて、眠りたい時に眠るのです。一日が二四時間である必要がなく、二二時間でも二七時間でも、その時どきの体調や天候で決めればいい。天気が悪ければ狩りに出ないでずっと眠り、天気がよくなったら外に出る。だから、家族各々の行動がばらばらになっていく。結果的に彼らは家の一隅に生肉を放り出しておいて、腹が減ったら勝手に食べ、眠くなったら眠る生活になる。合理的なんです。

山極人類が誕生した熱帯は、あっという間に食べ物が腐って食べられなくなる世界ですし、昼も夜もさまざまな虫と戦わねばならない世界です。ジャングルでは朝はブユに血を吸われ、昼間はツェツェバエが血を吸いに来る。夕方になると蚊が、森を歩けばダニが寄って来る。一方で、極地は氷と雪に閉ざされて鳥も虫もいない。肉も腐らないところでどう人間は身体を支えていくのか。家族が一緒に食事をしないのは、みんなで同調するより、一人一人の身体の状態に合わせて栄養を摂取するのが最善の環境だからかもしれません。

角幡そうかもしれませんね。

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