人はなぜ孤独に苦しむのか? 中野信子✕木原佑健

中野信子(脳科学者)×木原祐健(僧侶)

道徳というサスティナブルな仕掛け

木原 かつての私は自縄自縛というか、自分で自分を苦しめていることがわかっていながら、どうすればいいのかわかりませんでした。しかし、のちに僧侶となる光明寺で「神谷町オープンテラス」の店長となり、そこで皆さんと接するうちに、さまざまな人がいろいろな関係性の中で生きていることがわかってきました。

 またお寺にいると、急に葬式が入るなど、人の死に触れることもしばしばです。お彼岸やお盆のたびに、お墓参りに来た方に昔のことを聞いたり、亡くなった方のことを伺います。そのなかで、自分一人で生きていた気持ちから、だんだん解放されていったような気がします。

 それは、お寺という空間の影響や、そこで紡がれてきた宗教性もあると思います。お寺の中で繰り返されている習慣も、私を変えたように思います。朝起きて必ず掃除をすることやお経を読むこと。お寺を訪れる方々を大事にすることによって、私自身が大事にされたような気持ちになってきた。当たり前のようにお寺という場所を守る方々がいて、自分もその一人になってみると、この場所に掛けられた思いや願いが私にも沁みてくるような気がしました。

中野 日本人は、世界の中でも不安になりやすい遺伝子を持つ人の割合が非常に高いんです。日本は地震や台風など天災が多いことが世界の統計からも明らかですが、こうした環境では、どんな集団が住んでも、長期的に見れば楽観的すぎる人の遺伝子は残りにくく、不安を持ちやすい人の遺伝子がいわば濃縮された状態になり、長い年月を経れば不安の高い集団に徐々に変容していくと考えられます。そうだとすれば、いま不安を感じている人達は、この環境で生きるという条件下では極めて正しい反応をしているのです。

 一方で、不安は快い感情とはいえないものでもある。「つらくてどうにもできない」人がいるのであれば、認知的にこれを解放する必要があります。歴史的には、その役目を担ったのが「宗教」でした。「来世で救われる」「善行により徳を積む」「仏に供養する」などの概念は、個々が目先の得に群がってしまうことで、多くの人が悲惨な状態に陥るような短絡的な戦略から、一人一人の上品な選択により多くの人が利益を得て豊かになる長期的に有利な生存戦略へと、無理なく自然な形で誘導するための思考装置であったのだと私は理解しています。

 ゲーム理論における「コモンズの悲劇」です。これは、共有財産からみんなが適切な量だけ得ていれば、互いに食い合わないで済むのに、それぞれが最大の利益を得ようとすると資源の枯渇を加速するという考え方です。これを因として戦争も誘起される可能性が高くなり、関わった多くの人が損をする。もちろん争いによって焼け太るごく少数のプレイヤーもいるのですが、大多数はリソースを失います。つまり、個人または特定のある集団が自己の利益を最大化することだけに集中すると、それはより大きな集団においては長期的に見て愚かしい戦略となってしまうのです。

 これを回避するには、それぞれが利益を最大化するのでなく、適切な分だけを得て満足することです。こうした考え方は、私たちにも道徳心としては備わっています。つまり、道徳は単なる昔話や綺麗事や迷信ではなく、サスティナブルを目指すためのうまくできた仕掛けだったと考えられるのです。しかし、近代合理主義によって、こうした考えが迷妄であるとされ、利益を最大化するのが是であると喧伝されてきたのが、ここ二〇〇年の人類の歴史だったといえるでしょう。

 その結果が現代です。ひずみを感じない人は珍しいと思いますが、人類集団全体にとって一番コストパフォーマンスのよい認知の方法を失ってしまったために起きた不利益を、一般大衆が薄く広く全世界的に被っている状態です。綺麗事を言っているのではなく、自分の利益を最大化することを私たちが是としてきたための当然の帰結を、全員が味わわされているというだけです。

 私たちには新しい規範が必要です。長期的に見て好適な戦略を、我々の集団が自然に取っていくことを可能にするための「認知の装置」が望まれています。宗教はその装置たりうるポテンシャルを持ちますから、是非ともバージョンアップしてほしい。宗教でなくても、現代の私たちに合った仕掛けが提案されてくるといいなと思っています。

(『中央公論』2021年7月号より抜粋)

中央公論 2021年7月号
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中野信子(脳科学者)×木原祐健(僧侶)
◆中野信子〔なかののぶこ〕
1975年東京都生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業。同大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。著書に『キレる!』『人は、なぜ他人を許せないのか?』『毒親』『「嫌いっ!」の運用』、共著に『なんで家族を続けるの?』『生贄探し』など多数。

◆木原祐健〔きはらゆうけん〕
1978年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒業。神谷町光明寺所属。寺院内オープンスペース「神谷町オープンテラス」店長として、手作りスイーツなどのおもてなし(現在は休止中)や傾聴活動を行う。著書に『神谷町オープンテラスの おもてなしお寺スイーツ12カ月』がある。
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