本郷和人 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』源頼朝が鎌倉で築き始めた「武士の秩序」。その根幹をゆるがした弟・義経の大きな失敗とは

東京大学史料編纂所・本郷和人が分析<後編>
本郷和人

江戸幕府はいつ成立したか

頼朝が築いた主従制は、武家社会では極めて重要な原理原則になり、これは江戸時代までずっと繋がっていく。

主人が武士として従えることと、土地を与えることは、不即不離の関係になる。これを考えると、江戸幕府が成立したのはいつなのかという問いにもつながります。

主従制の原理原則からすれば、当然1603年に行われた家康の征夷大将軍任命ではない。実態を考えるのであれば、それは1600年の「関ヶ原の戦い」のあとということになる。

戦後、徳川家康は全国の大名たちに対して「おまえは敵に回ったから領地没収」「おまえは手柄を立てたから領地をあげよう」「おまえは中立だったが、俺に頭を下げたから、今までのとおり大名として残ることを許す」と振る舞った。

こうした戦後処理によって家康は、豊臣秀吉の家来だった武士たちを、すべて徳川の家来として再編成したわけです。

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