本郷和人 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』源頼朝が鎌倉で築き始めた「武士の秩序」。その根幹をゆるがした弟・義経の大きな失敗とは

東京大学史料編纂所・本郷和人が分析<後編>
本郷和人

自分と官職はイコール」を取り入れた『真田丸』

自分と、いただいた官職はイコールの存在なのですね。そこのところに注目して、大河ドラマで取り入れた作品が『真田丸』です。

aef84f43f007a2d356ffb5f8f0babaca1863ae2c.jpg大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも源氏は徐々に平氏を追いつめていく。その中心を担ったのが義経だったのだが(「源平合戦図屏風」一部。作者不詳、東京国立博物館所蔵、ColBase

それまでの大河ドラマでは、たとえば真田幸村の父親の昌幸を、「昌幸殿」と呼んでいた。

昌幸だけではなく、みな「家康殿」「信長殿」「秀吉殿」と呼んでいたのですが、『真田丸』ではこれをやめ、昌幸のような安房守は「安房殿」、劇中では信繁ですが、真田幸村が左衛門佐(さえもんのすけ)をもらうと「左衛門佐殿」と呼ばれる。石田三成であれば治部少輔(じぶしょうゆう)殿。ただこれは読み癖があって「ゆう」は読まず「じぶのしょう」となりますが。

そのように、武士にとってまさに自分を表現するものが官職でした。だからこそ官職は、土地を与えられるのと同じほど、家来として命懸けで仕えることに値するごほうびだったのです。

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