『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』海部陽介著 評者・渡辺佑基【新刊この一冊】

渡辺佑基

評者:渡辺佑基(海洋生物学者)

 日本人の祖先はいつ、どのように大陸から日本列島に渡ってきたのだろう。

 

 海面が下がって大陸と日本列島が陸続きだった氷河期に、獣皮を身に纏い、石槍を手にした「原始人」が、鹿や熊などの獲物を追って渡ってきた─こんなイメージを持ってはいないだろうか。恥ずかしながら、私はそうだった。

 

 そうではない、と本書は説明する。日本各地に残る遺跡の調査から、人類が日本列島にやってきたのは、今から約三万八○○○年前だと推定されている。なるほど当時は氷河期であり、地球上の多くの水が氷になっていたため、海面が今より八〇メートルも低かった。けれども日本列島周辺の海は深いので、それだけ海面が下がっても、大陸とは繋がらない。サハリン島を介して大陸と陸続きだった北海道を別にすれば、日本列島の大部分は今と同じように海に囲まれていたのである。

 

 だとすれば、主な移動手段は舟である。野蛮な「原始人」のイメージとは異なり、当時の人類は、舟を作って操る技術、それに広大な海の上で方角や距離を推しはかる知恵を身に付け、大陸から日本列島に渡ってきたのだ。それだけでなく、琉球列島などの小さな島々にも、たちまち移住を果たした。

 

 ここまでで、既に面白い。だが本書の本領発揮はこれからである。原始の日本人がどんなふうに、どれほどの危険を冒し、何を考えながら海を渡ったのかを突き止めるため、著者は驚きの大プロジェクトを立ち上げる。すなわち、三万年前と同じ舟を作り、同じ人力、同じ装備で、同じルートを渡ってみようというものだ。複数の候補ルートの中から、台湾から琉球列島の西端に位置する与那国島に渡るルートを選定する。

 

 私に言わせてもらえれば、このプロジェクトはほとんどクレイジーだ。台湾の東側には、黒潮という世界有数の海流が北上していて、その激しさといったら、現代のエンジン付き船舶でも自由に動けないほどだ。漁船でもタンカーでも遊覧船でも、ちょっと油断するとたちまち何十キロも北に流される、そういう海域なのだ。あまつさえ与那国島は小さく、台湾からは視認できない。地図もコンパスも時計すら使わずに、どうやって大海に浮かぶ豆粒のような島を見つけるというのか。「先生、無理だからやめましょう」と進言したくなる。

 

 でも著者は突き進む。当時の人類が使った可能性のある三つのタイプの舟(それぞれ材料が草、竹、木)を全部作ってみて、実験航海をし、使用可能かどうかを検討する。その際に使う工具なども、できるだけ忠実に再現する。「先生、そのくらいにしましょうよ......」と進言したくなるが(実際に進言した人はいるかもしれないが)、著者は猛烈に突き進む。著者は何事も頭でなく、体で理解しようとする稀有なタイプの科学者なのだ。 

 

 そうして完成した舟を台湾に運び、漕ぎ手を集め、ナビゲーションの訓練をして、いよいよ前人未到の(というか三万年ぶりの)アドベンチャーを敢行する。

 

 本書を読み終えた後、これはどういうカテゴリーの本なのだろうと私は思った。科学書にしては体を張り過ぎているし、冒険書にしては知的好奇心がくすぐられ過ぎる。敢えて言うならば、本書は従来の型にはまらない「海洋ロマン考古学冒険書」だ。

 

〔『中央公論』2020年8月号より〕

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◆海部陽介〔かいふようすけ〕

一九六九年東京都生まれ。東京大学理学部卒業。クラウドファンディングを成功させ、最初の日本列島人の大航海を再現する「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」(二〇一六~一九年)を実行した。著書に『日本人はどこから来たのか?』(古代歴史文化賞)など。

渡辺佑基
〔わたなべゆうき〕一九七八年岐阜県生まれ。国立極地研究所准教授。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。著書に『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』(毎日出版文化賞)など。
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