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欠点や破綻はあれど、将棋を指したらすごいというギャップに惹かれて

柚月裕子

─小説のモチーフに将棋を選ばれたきっかけは何でしょうか。

 執筆のご依頼を頂いた時に、私の好きな映画『麻雀放浪記』と、小説『砂の器』を掛け合わせたような、重厚な人間ドラマを書きたいとお話ししました。それに加えて、厳しいプロの世界を描きたい思いもあったのですが、麻雀はかつてほど家庭に浸透しておらず、楽しむ人が限られています。その点、将棋は大人も子供も馴染みがあってプロの世界の注目度も高い。私自身は将棋の駒の動かし方くらいしか知らないのですが、亡くなった父が将棋好きで、よく指していた姿にも後押しされました。大崎善生さんの『聖の青春』にも影響を受けました。この本で、プロ棋士になるのがいかに大変かを知り、そのような世界でプロ棋士がせめぎ合っている姿を書いてみたかったんです。

─物語の筋書きに高度な棋譜を織り込む苦労はありましたか。

 苦労だらけでした。色々な将棋の本を読んで、紙で作った駒と盤で棋譜や戦術を再現しながら書きましたね。それをプロ棋士で監修の飯島栄治先生に読んで頂き、細かく指導してもらいました。ただ、将棋を知らない読者もいます。そこで、それがどういう場面なのか、指し手が追い込まれているのか、勝つ寸前で何を考えているのかなど、将棋に命を懸ける棋士の息づかいがわかるような書き方に心を砕きました。

─本作の緻密な筋書きは、どのように構想されたのですか。

『盤上の向日葵』に限らず、他の作品も大筋やゴールは最初に決めますが、ゴールに至る筋書きは、執筆中に変わることがあります。意識するのは、いかに読者に次のページをめくらせるか、です。『盤上』を連載した「読売プレミアム」(当時)は比較的一話一話が短かったので、少ない文字数の中で読者の興味をいかに引いて次のシーンに持ち越すかを考えて書きましたね。

─主要登場人物の桂介やはとても魅力的なキャラクターです。モデルとされた人物はいますか。

 東明は実在した小池重明という真剣師を参考にしました。かなり破天荒で波瀾の人生を送られた人ですが、将棋を指したらすごいというギャップに惹かれました。東明も、人として破綻した、どこか欠けている人間ですが、将棋を指したら誰も敵わないものすごい強さを持っています。そこがいかにも人間臭くて魅力を感じます。

─ゴルフを始められたと聞きました。どのようにオンとオフを切り替えていらっしゃるのでしょうか。

 作家デビューからの一〇年間、私はオンオフをうまく切り替えられませんでした。五十歳手前で体調を崩し、執筆のペースが落ちると、「これはいけない」と思い、ゴルフを始めたのですが大正解でした。仕事に集中するためにゴルフをしようとか、逆にゴルフを楽しむために仕事を頑張ろうとか、いい意味でモチベーションを保つことができ始めたと思っています。私にとって執筆には猫も必要不可欠で、煮詰まった時にその温もりに触れると、張り詰めた気持ちが緩んで、とても力になっています。

─『盤上の向日葵』は柚月さんのデビュー一〇年目の作品でした。「次の一〇年」をどのようにお考えですか。

 デビュー当時のひとつの目標は、とにかく最初の三年は生き残りたい、というものでした。それが五年を超え、一〇年をクリアし、今は「次の一〇年を生き残る」ということを目標にしています。生き残るために必要なのは、読者がいてくれること、作品を書かせてもらえることです。一作ずつ丁寧に書いて、読者に「柚月裕子の本が出たんだ、読みたいな」と思ってもらえる作家であればうれしいですね。「作家に引退はない。書かなくなったら、書く場所がなくなったら消えるだけだ」。これは、とある先輩作家の言葉ですが、本当にそうだなと感じます。私は消えたくない、一日でも長く作家であり続けたいと思っています。それがデビューしてからずっと変わらない望みです。

 

〔中央公論2020年11月号より〕

柚月裕子
〔ゆづきゆうこ〕
1968年岩手県生まれ。2008年『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー。13年に『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞、16年に『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞、『慈雨』で〈本の雑誌が選ぶ2016年度ベスト10〉第1位、18年に『盤上の向日葵』で本屋大賞第2位を獲得。ほか著書多数。