頭木弘樹 潰瘍性大腸炎を患うも、蟄居で物の見方が細やかに 【著者に聞く】

頭木弘樹

─安倍前首相辞任の理由になった潰瘍性大腸炎を抱えつつ、東京から宮古島へ、いつ頃なぜ移住されたのですか。


 二〇一一年の東日本大震災の後です。元々行きたかった宮古島ですが、難病で東京の病院に通っていて、院内で製剤している薬を使っていました。だから病院を変えられず、鎖で繋がれた犬みたいに一生、病院に通える範囲にしか住めないなと。けれども震災が起きて、いつどこで死ぬかは分からないと改めて思い、無理矢理にでも行きたい所へ行こうと、強引に決めました。
 なぜ宮古島かと言えば、昔話がとても面白いからです。ロシアのニコライ・ネフスキーという、日本に来て日本人の女性と結婚し、柳田國男とも交流のあった人が、日本の古い物語は端っこに残っていると唱えて、アイヌと宮古島を現地で研究しています。著書もあって、宮古島がすごく面白いと言及されており、惹かれました。
 当初、通院のため三ヵ月に一度上京し、仕事もして、また宮古島に戻る往復生活をしました。ところがコロナ禍を機に、今は東京にいます。宮古島には感染症用の病床が三床しかなく、高齢者も多かった。コロナを持ち込んだら大変だと考えたからです。


─周囲にはどう接してほしいですか。


 分からないまま対応して下さい、ということですね。要するに、目の前の人には何か事情があるのかもしれない、言動が変だとしても、すぐ変だと思わずに、少しためらいを持って相手の言うことを聞いてほしいです。それと、よくNGワードみたいなことが言われますよね。うつ病だったら頑張れと言ってはいけないとか。その程度であればまだいいのですが、色々な病気や立場の人についてのNGを覚え始めたらきりがなく、何か言ったら地雷を踏む恐れがあるとすれば、接するのが嫌になってしまいます。だから言葉咎めはしない方がいいと思います。


─本書で引用されるカフカや文豪などの言葉に胸を打たれます。


 カフカの何が良かったかと言えば、傍から見たら健康で順調な人生を歩んでいるにもかかわらず、深く絶望していることです。それ故、彼の絶望には誰もが共感できる普遍性があります。晩年こそ病人になっていますが、それまでは散歩を長時間して、ボートを漕いだり水泳したりもする、健康な人でした。職場では可愛がられ、出世もどんどんして、親友もいるし、女性にもモテたし、第三者から見れば全く幸せなサラリーマン人生です。ところがカフカは、病気にならなくても炭鉱のカナリヤのように敏感でした。ですから、誰も鳴かないうちから自分だけ盛大に鳴いているわけです。没後一〇〇年近く経った今まさに、カフカは現代人の先駆けみたいな感じがします。「ひきこもり」という言葉がない時代からひきこもっていましたからね。つまりカフカは、誰でも十分に敏感であれば、健康でただ普通に生きているだけでも辛いことを示してくれるのです。


─頭木さんはコロナ感染リスクが平均より高いため、家にこもっておられますが、気晴らしはどうしていますか。


 ひきこもったことのない人は、ひきこもると退屈だろうと皆思うわけです。普通なら外出してお店に行ったり遊んだり、人と会う時間をずっと一人でいますから。萩原朔太郎が病気で二ヵ月くらい寝込んだ体験を書いていますが、次第に物の見方が細やかになると言うのです。天井に止まっている蠅は一時間眺めても飽きないし、花を見れば美しさにとても打たれると。僕も同感で、退屈どころか発見がすごく多いのです。


─読者からの反応はどうですか。


 面白かったのは、「食べること」に関してはSNS上での感想が多かったのですが、「出すこと」に関しては表立っては少なく、ほとんど私個人へのダイレクトメールだったことです。小学生の時の粗相でも引きずっている人が多いですね。誰にも言えなかったけれど、堂々と書いてくれたので救われたとか。トラウマにするのではなく、気軽に「吐いちゃった」ぐらいのレベルにできればいいのですが。

撮影:八雲いつか

 

〔『中央公論』2020年12月号より〕

頭木弘樹
〔かしらぎひろき〕
1964年生まれ。文学紹介者。筑波大学卒業。大学3年の20歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、13年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』を出版。『絶望読書』『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』など著書多数。月刊『みすず』で「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」を隔月連載中。
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