『滅びの前のシャングリラ』(凪良ゆう著)評者・倉本さおり【新刊この一冊】
評者:倉本さおり
一ヵ月後に衝突する小惑星のせいで、地球はほぼ壊滅を免れないという。つまり、あらかじめ滅亡を宣告された世界がこの物語の舞台。フィクションの設定としてはごくごくありふれているかもしれない。ただ、登場する四人の主人公のうち、実に二人が自らの手で人を殺める。世界が終わりを迎えつつある非常事態下の出来事ではない。あくまで日常がつづくと信じられていた時間の中での凶行だ。その意味や重さを、作中でくりかえし問う点に、凪良ゆうという稀有な作家の本分がある。
ストーリーは章ごとに語り手が入れ替わる群像劇の形で進行していく。一人目の主人公、友樹はスクールカーストの下層にいることを残酷なほどの精度で自覚している高校生だ。ある日、クラスのカースト上位グループのオモチャとしてさんざん嬲られた友樹は、悔しさと羞恥と痛みにまみれながらこんなことを思う。〈こいつら全員死んでしまえ〉。幸か不幸か、友樹の願いは叶えられることになる。
友樹にせよ、のちに登場する信_士にせよ静香にせよ路子にせよ、この物語を編んでいくのはいずれも「社会の底」から世界を見ていた者たちだ。幼い頃から凄惨な暴力のなかで育った信士は、あれほど憎んでいたろくでなしの父親の姿といまの自分の姿がぴったり重なることに慄きながら、引き返す道を見つけられず孤独にもがき苦しんでいる。かつて命を懸けるほど愛した男を捨ててまで、その男の子供を産むことを選んだ静香は、困窮した暮らしのなかで必死に積み上げた息子の未来が一瞬で消える状況に気の遠くなるような無常を感じている。世間の興味を一身に背負わされ、きらびやかな消費の果てにあっさりと使い捨てられた歌姫・路子の絶望はいわずもがなだろう。いうなれば、滅びゆく「世界」は彼らにとって、そもそもが優しいものではなかったわけだ。
ディストピアを舞台にしたエンターテインメントが好まれるのは、既存のモラルやルールが失効した「なんでもあり」の状況を作中で正当化しやすいからだ。実際、本作でも小惑星衝突のニュースが駆けめぐり、人類滅亡が既定路線だと各国の政府が公式に認めると、人びとの行動に変化が表れる。当初は生活のためにしかたなしに行われていた略奪がいつのまにか常態化し、欲望のまま暴行に走る者も頻出。ひと月後にはどうせみんな死ぬ─その圧倒的な事実の前に箍が外れ、これまで人の社会というものを形成してきた規範や常識がなすすべもなく綻んでいく過程はぞっとするほどなまなましい。だが、一方でこの物語の主人公たちは、むしろ残り少ない日々のなかで自らが犯した罪を何度も反芻し、その輪郭を確かめていくのだ。
〈「自分が誰かを傷つけたことなんて忘れたいだろ」〉。そうなのだ。人は弱くて、だからこそ大きな力にかこつけて誰かを傷つけ、ややもすれば都合よく透明になる。でも友樹たちは、どんな形であれ他者に触れたその記憶を最後の最後まで抱えて持っていく。けっきょくはその手触りこそが、人が人であることの─あるいは自分が生きていることの証だから。
世界が終わることと自分が終わることは同義ではない。混迷の時代に人として持つべき矜持を問い直す、新たなディストピア小説の誕生だ。
〔『中央公論』2021年1月号より〕
◆凪良ゆう〔なぎらゆう〕
滋賀県生まれ。二〇〇六年、『小説花丸』掲載の「恋するエゴイスト」でデビュー。以降、各社でBL作品を刊行。一七年に非BL作品である『神さまのビオトープ』を刊行し高い支持を得る。二〇年『流浪の月』が本屋大賞グランプリを獲得。
一九七九年生まれ。『毎日新聞』文芸時評「私のおすすめ」、『小説トリッパー』「クロスレビュー」担当の他、『文藝』で「はばたけ!くらもと偏愛編集室」、『週刊新潮』で「ベストセラー街道をゆく!」を連載中。共著に『世界の8大文学賞受賞作から読み解く現代小説の今』。