将棋人生、最後の大勝負

決戦! 人間vs.コンピュータ
米長邦雄(日本将棋連盟会長)× 梅田望夫(ミューズ・アソシエイツ社長)

米長 ええ、そうですね。人間相手の場合は、心理的なものも含めて、理屈ではない「理外の理」も使って逆転に持ち込むわけです。自分が劣勢だなと思えば、相手の王の近くに何でもない駒をスッと置いてみる。すると相手は何となく気持ちが悪くなる。それで、今優勢なのだから、安全に指そうとか考える。そこに隙が生まれるんですね。
 でもコンピュータは相手の指し手を見ても「気持ち悪い」と感じることはないし、どんなに優勢になっても震えることもない。残り時間が少なくなってきて焦るということもない。結局、番外戦術が一切通用しないということです。本当の理詰めになる。理詰めというのは、形勢が有利か不利かだけですから、一度不利になったものはもう取り返しがつかないというわけです。

天敵・大山康晴と指すつもりで

梅田 確かにコンピュータは震えることはないと思います。ただ、さきほど米長先生も実際に指してみると中盤から終盤に差し掛かるところではコンピュータも結構間違えるとおっしゃったように、まだ確実に最善手を選べるレベルには到達していないですよね。
 コンピュータの思考プロセスを調べてみると、コンピュータはコンピュータなりに迷って、時間に追われて三つの選択肢の中から一つを選んだりということをしています。
前回、清水市代さんが「あから2010」に敗れた後、「案外人間らしかった」という感想を述べていましたけれど、本当に結構人間臭いんですね。そうすると、どこかで悪い手を指すのを前提にされても構わないんじゃないでしょうか。

米長 確かにコンピュータはそれぞれ棋風を持っています。受けが強いとか、攻めが強いとか。棋風があるということは、必ずしもすべて最善手を指すレベルではないということです。つまり、棋風があるということは、一言でいうと「弱い」ということなんですね。
 でも私がコンピュータを相手にするにあたっての一番の問題は、やはり「勢い」が通用しないということでしょうね。こちらの勢いと向こうの勢いを考えて、こちらの勢いがよければ、たとえ相手のほうが優勢であっても、必ずどこかで間違える。そういう考えのもとに、「勢い」を読んで利用するのが、私の将棋なんです。
 ところで、大山康晴という人には、この「勢い」が一切通用しませんでしたね。

梅田 将棋全体の流れを重視するというよりは、一つ一つの局面ごとに全体の流れとは関係なく最善を考えるという思想でしたよね、大山将棋は。

米長 そうですね。大山先生の棋風を表すエピソードを一つ紹介しましょうか。棋士たちで沖縄へ旅行に行ったんです。それでみんな海で泳ぐわけです。泳ぐために沖縄まで行くのですから、当たり前ですね。でも大山先生はくるぶし以上の深さがあるところへは決して近づかない。「危ないじゃないか」というわけです。何のために沖縄まで行ったのか分かりませんが、とにかく水死するとか遭難するということは絶対にない。こういう生き方なんですね。まことにつまらない(笑)。でも「勝つ」ことにかけては、この指し方を徹底されると手がつけられないのも事実なんですね。
 それで、升田幸三先生は「お前、そんな将棋を指していて、面白いのか!」とイライラする。私はイライラすることはないんですけど、困ったなと思う。大山将棋は精密機
械といわれていたのですが、まさしく今のコンピュータですね。

梅田 そうすると、久しぶりに大山先生と指す気分が味わえますね。

米長 いや、大山康晴そのものが相手だと思って指すつもりです。

この「米長五段」という棋士に会ってみたくなる

梅田 ずばり勝算はどのくらいあると考えていますか。

米長 まず現時点でコンピュータと私の棋力がどのくらいの関係にあるかお話ししておきますと、市販の一番強いソフトを使って、一手一〇秒で指すと勝率二割。一手三〇秒でも負け越します。
 では三十五歳から四十歳くらいの全盛期の私ならどうか。まず負けることはないと思います。問題はこれから一月十四日までの間に、どれくらい全盛期の自分に近づけるか。どのように近づいていくかです。
 さきほども話に出た阪田三吉は六十八歳でA級順位戦に復帰して、二年間で七勝八敗とほぼ互角でした。これは大変なことです。復帰後もトップクラスの力があったということです。阪田三吉のような復活劇ができれば、勝てると思います。

梅田 今、米長先生がA級順位戦に出場したら、どれくらい指せますか。

米長 十月八日時点の私ならば、おそらく一勝八敗だと思います。

梅田 なるほど。それをコンピュータ戦当日までに何勝何敗ぐらいまでもっていこうとお考えですか。

米長 三勝六敗ぐらいにまではもっていきたいと考えています。

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