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おたく文化を許容する国に咲いた大輪のひまわり

東大教授、おたく、駆け出しのファンとして……
本郷和人(東京大学史料編纂所教授)

 私はこれまでの人生で、アイドルという存在に何らの興味も抱いてこなかった。ところがある日、仕事に行き詰まって秋葉原をフラフラしているうちにAKB48に出会い、それからいつの間にか、不思議と彼女たちから目が離せなくなっていた。なぜ今更?

 本稿はその問いかけに対し、みずから答える試みである。それが拙いながらもなにがしかの解答らしきものに到達できたのは、得がたい先人の導きによる。いまその代表的なお二方を紹介し、心からの謝意を表したい。

○「AKBをめぐる妄想」AKBヲタ 最古参「カギ」さんのブログ
○「南極怪獣通信」のうち、「私的AKB48論」少年王3号さんのブログ

方法論らしきもの

 日ごろ尊敬してやまぬお二方を紹介したところで、ここからはぶっちゃけていきたいと思います。

 ぼくは日本史を研究することを生業とする者です。ですから、ぼくがオリジナリティを以てAKBを語るとき、参照すべきは何よりも日本史でなくてはなりません。ビジネスとしての芸能の歴史から見て、AKBとは何者だったのでしょうか。

 さて、具体的な推論を記す前に、二つの基本命題を立てておくことにします。これらは、大多数の方が「真である」と感じられる、すなわち賛同できるものだと思います。考察を進めながら、しばしばここに立ち戻りましょう。

○命題A「若さにあふれた現代日本の女の子は、自分が美しくありたいと切望する限りにおいて、それだけで相当にかわいい」
○命題B「芸能界というのは、巨額のマネーが行き交う難しいところ。オモテもあればウラもある。〈真・善・美〉だけでは成功できない世界である」

舞台芸術としてのAKB

 専用の劇場をもったアイドルである! これがAKBと他のアイドルとを分かつ、何よりの特徴だと、ぼくは認識しています。千代田区の秋葉原にAKB48劇場が開かれたのが二〇〇五年十二月。それから「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、チーム(A・K・B)ごとに日替わりで、ほぼ毎日公演が組まれてきました。劇場の収容人員は二五〇名たらずですが、公演は修正のきかぬ一発勝負。常に本番という緊張のもとに、彼女たちは歌とダンスと話術を磨いてきたのです。

 日本の伝統芸能の代表は室町時代以来の能に狂言、それに何といっても歌舞伎。これらも固定の劇場をもっていました。歌舞伎を例に取ると、江戸三座と称されたのが中村座、市村座、森田座。劇場主である座元は金主からお金を融通してもらって興行をうつ。市川團十郎や尾上菊五郎らの役者はもとより、鶴屋南北ら狂言作者も座元と契約しています。客の入りが興行の生命線であることは言うまでもありませんが、命題Bはここでも通用し、連日大入りでも経営が苦しくなることはある。先の三座も常に廃座の危機と向き合っていました。

 秋元康さん率いるAKBの運営陣(以下、運営)は秋葉原の劇場を「アイドル虎の穴=苛酷な養成所」と位置づけ、女の子たちに試練を与えました。歌・ダンスなど自己表現の技術を磨く。するとそこに命題Aが作用し、彼女たちはみるみるうちに光を放ち出します。けれども一人あたり一〇〇〇円(現在は三〇〇〇円)の入場料ですから、満員でも二五万円でしかない。劇場を維持するための運営の努力は、たいへんなものだったにちがいありません。

〔『中央公論』20124月号より〕