すべての道は銭湯に通ず!

極寒の夜だって銭湯に浸かれば毛穴全開。 体は芯まで温まる。 暖簾をくぐればそこは極楽……
町田忍(庶民文化探究家)×ヤマザキマリ(漫画家)

パジャマで通った

町田 古代ローマ人が日本の銭湯や温泉などにタイムスリップするギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』は映画化もされ、大きな話題になりました。ヤマザキさんが最初に銭湯に興味を持ったきっかけとは?

ヤマザキ 興味も何も、物心ついたときから銭湯に行ってましたから。

町田 どちらにお住まいだったんですか。

ヤマザキ 東京都練馬区大泉学園町です。家の中にお風呂があるのに、おじいちゃん、おばあちゃんがやたらと銭湯に行きたがる。そして、孫の私を連れて行きたがる。
 三歳のときには銭湯で溺れかけたことがあって。仰向けに沈んだ状態で見た揺れる水面の感じも、周りの人々の裸体も、今でもはっきり思い出せる。私の中の最も古い記憶は、この銭湯の湯の底に沈んだ記憶です。

町田 それが、ローマ人が風呂で溺れてタイムスリップするという『テルマエ・ロマエ』の発想の原点になっているわけですね。

ヤマザキ そうです。ともかく銭湯はものすごく日常的なものでした。

町田 大泉学園付近の銭湯の歴史を調べたことがあります。あの地域はもともと大半が畑です。どうやら農家の人が銭湯を始めたというケースが多かったようです。何もない畑の真ん中に銭湯をつくる。その後、周囲に家が建って門前町みたいになってくる。

ヤマザキ なるほど。祖父母は地域の人々に会えるから銭湯に足しげく通ったのだと思います。地域の人々の憩いの場所のようになっていました。

町田 僕らの時代はパジャマを着たまま銭湯に通いました。(笑)

ヤマザキ 私もパジャマでした。ステテコで来ている人もいました。

町田 自分の家の庭というか、延長くらいに考えられていたんでしょうね。

ヤマザキ 緊張感のかけらもない雰囲気でした。今はさすがにパジャマで銭湯に来る人は見なくなりましたが。

〔『中央公論』2014年3月号より〕

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