『性からよむ江戸時代』沢山美果子著 評者・武井弘一 【新刊この一冊】

武井弘一(歴史学者)

評者:武井弘一

 ヒトのいのちの価値は平等であると、誰しもが思う。だが、今からさかのぼること二世紀前の江戸後期であったならば、どうだったのか。

 東北地方のある農村で、百姓の妻が初産をむかえていた。赤ん坊が産声をあげようとする寸前に、頭ではなく、手が先に出てきたのである。「この症状で生きたという人を、まだ聞いたことがありません。もはや死ぬだけ」。彼女自身は息をひきとる覚悟をするものの、医者たちが全力をつくして一命をとりとめた。

 その陰で、胎児のいのちは犠牲になったとみられている。なぜなら、母と子のいのちを天秤にかけたときに、江戸時代の出産では母の方が優先されていたからだ。庶民のあいだに「家」を守る意識がひろまっていたことが、その根底にはあった。

 たとえば、母さえ助かっていれば、また子を産んで家を潰さずにすむ。それに農家を営むうえでも、女性は働き手としてかかせない。つまり、生殖と労働の両面から、母のいのちの方が重視されていたわけである。その背後には、どうしても人口を増やしたい藩の思惑も見え隠れしていた。

 もう一つ、信濃国出身の俳諧師として著名な小林一茶の例をあげたい。諸国を遍歴していた彼は、五十二歳で初めて結婚した。相手の菊は二十八歳なので、親子ほどの年齢の差がある。

 彼女とのあいだに三男一女をもうけたけれども、子はすべて幼くしてこの世を去った。そのうちの一人を出生直後に失った年に、彼は九日間で三〇回も交合をしている。結局、それも妊娠にはむすびつかなかった。

 連日連夜の行為にそなえて、一茶は強精のために薬草を採り、薬も服用した。そこまで必死だったのは、快楽を満たしつつ、子宝を授かり「家」を維持するというねらいもあった。

 その一方で、妻はわずか二年ほどの間隔で子どもを産み続け、三十七歳で帰らぬ人となった。この場合は、どうしても「家」を守りたいがゆえに、母のいのちが奪われたことになろう。

 このような性の問題が歴史学のテーマとしてとりあげられるようになったのは、二〇〇〇年代にはいってからのことである。ましてや、庶民の性の営みについては、ほとんど注目されてこなかった。あえてそこに光をあてることによって、生きることの原点から性の歴史を学ぶことの大切さが唱えられているところに、本書の真価がみてとれよう。

 そればかりか、現在の私たちにしみついている、ある常識にも批判がぶつけられている。それは、春画や猥談などをもとにして、江戸時代が性に対して「おおらか」で寛容な社会であったという見方である。先のもの悲しい事例が示すように、そういう常識の見直しをせまった本書の試みは、成功しているといってよい。

 ところで、妊娠・出産はヒト以外の動物も行うので、ヒトもそれらと同じ自然界の生き物の一つである。将来的な課題として、感染症や地球温暖化など、ヒトをとりまく環境に、いわばヒトの外側に目をむけがちである。けれども、ヒトの内側、すなわち身体という生き物の証も直視しなければならないことを教えてくれる一冊といえよう。

 そして読後には、これから胸を張って生きていくために、襟を正したい衝動にかられるのではなかろうか。

 

〔『中央公論』2021年2月号より〕


◆沢山美果子〔さわやまみかこ〕

一九五一年福島県生まれ。岡山大学大学院社会文化科学研究科客員研究員、ノートルダム清心女子大学非常勤講師。七九年お茶の水女子大学

大学院博士課程人間文化研究科人間発達学専攻修了。博士(学術)。専門は日本近世・近代女性史。著書に『出産と身体の近世』(女性史青山なを賞)など。

武井弘一(歴史学者)
〔たけいこういち〕
一九七一年、熊本県生まれ。琉球大学国際地域創造学部准教授。東京学芸大学大学院修士課程修了。博士(教育学)。専門は日本近世史、歴史教育。著書に『江戸日本の転換点』(河合隼雄学芸賞)など。
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