『農の原理の史的研究─「農学栄えて農業亡ぶ」再考』藤原辰史著 評者:中沢新一【新刊この一冊】
評者:中沢新一
「叢書パルマコン」(創元社)の一冊である。パルマコンは毒であると同時に薬でもある存在をさす言葉である。この本の著者は、「農学」という学問がそうであり、そのもとになっている「農業」そのものが、人類にとってはパルマコンなのだという認識に立つ。
農業が人類に絶大な福音をもたらしてきたことを、誰も否定しないだろう。農業の発達のおかげで、あなたも私も、この世界に生を受けることができたのだから。農業では自然過程に人間の側が合わせていかなければならないために、農業は人間と自然の間に調和を実現している、という幸福な考えまで生んだ。
しかし農業には別の一面もある。それは自然過程に人間の意志を介入させることによって自然を改造し、そこから利潤を得るための技術の体系でもある。この技術体系は剰余価値を発生させて、国家が生まれる基礎をつくり、利潤の追求に人間を走らせる資本主義という経済システムまで生み出してきた。農業が母胎となって生まれたこれらの仕組みは、近代になると異常な発達をとげ、今日の人類が直面している危機の多くは、じつはそこを震源としている。
農業はまさにパルマコンなのである。そのため、農業をめぐる弁証法を欠いた単純思考は、破綻をはらむことになる。その代表が、近代に形成された「農学」という学問ではないか。これがこの本の問題提起である。近代農学の創始者たちは、啓蒙主義の理念にしたがって、科学的精神にもとづく新しい農業の学をつくろうとした。その結果なにが起こったか。「農学栄えて農業亡ぶ」事態が生まれてしまった。
近代農学は、化学、生物学、経済学、工学など、さまざまな科学的方法を駆使して、それまで曖昧な統一体だった農業を、いくつもの専門分野に分割して、各領域での科学的探求に委ねた。そこで例えば「育種学」などの古い魅力的な学問は遺伝子工学に吸収されることになった。また自然を巻き込んだ農業独自の経営方式を扱うはずの農業経済学は、一般経済学の特殊分野としてのささやかな地位に、収納されるに至った。農学は、こうして皮肉なことに、農業という営みの全体性を解体してしまい、それを資本主義と連動した「科学性」の中に吸収してしまった。
そこで著者は翻って、資本主義批判の側からなされた農業論のほうにも目を向ける。ここでは農業のもつ薬としての側面がクローズアップされる。農業を介して、人間と自然との間にはある種の調和が実現されており、その調和に基礎づけられた地域共同体には、近代社会の矛盾を解決する薬物としての効果が期待されるとする「農本主義」が、世界中で生まれてきた。しかし彼らの思想は多くの場合、右派政治との結びつきを通して自己破産していった。農本主義が見ていたのは、パルマコンとしての農業と共同体のポジティブな側面でしかなかったからである。
農学にも農本主義にも、農業というパルマコンに取り組むべき強靭な思考が欠如していた。私がこの著者に希望を見るのは、現代のような非思考の時代に、強靭な思考をもってこの農業というパルマコンとの格闘をおこなおうという決意を見るからである。ことは農業だけにとどまらない。強靭な思考のよみがえりは、いまやあらゆる領域で求められている。
〔『中央公論』2021年5月号より〕
◆藤原辰史〔ふじはらたつし〕
一九七六年北海道生まれ、島根県出身。京都大学総合人間学部卒業。同大学大学院人間・環境学研究科中途退学。博士(人間・環境学)。 京都大学人文科学研究所助手、東京大学大学院農学生命科学研究科講師を経て、京都大学人文科学研究所准教授。 専門は農業史、環境史。『給食の歴史』(辻静雄食文化賞)、『分解の哲学』(サントリー学芸賞)など著書多数。
一九五〇年山梨県生まれ。明治大学野生の科学研究所所長。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。専門は人類学、宗教学。『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)、『レンマ学』など著書多数。