『進撃の巨人』 諫山創著【このマンガもすごい!】

杉田俊介
『進撃の巨人』 諫山創著/講談社コミックス

評者:杉田俊介

 二〇〇九年に連載がはじまり、巨大なブームを巻き起こした諌山創『進撃の巨人』がついに二〇二一年五月号で連載を完結する。本稿の執筆時点(二〇二一年二月末)では結末はまだ不明だが、あらためて今、『進撃の巨人』が二〇一〇年代の殺伐とした社会的空気をアクチュアルに描ききっていた、という事実に驚く。


 百数年前に突如現れた巨人たちによって人類の大半は喰い殺された。生き延びた人々は、「壁」の中で安全を守って暮らしている。主人公エレンが十歳の時、巨人の群れが壁内に侵入し、母親が喰い殺され、人類はさらに壁の奥へと撤退。巨人の駆逐を決意したエレンは幼なじみのミカサ、アルミンらとともに調査兵団に入り、命懸けで壁の外へと出ていく。当初エレンは、巨人を絶滅させれば人間は自由を取り戻せる、と考えていた。しかし物語が進むにつれ、壁内人類は唯一の生き残りなどではなく、様々な国家によって構成される国際社会の一部分にすぎなかったと判明する。


『進撃の巨人』が描くのは、真偽や善悪の基準が決定不能になったポストトゥルース的な現実であり、誰もが歴史修正、洗脳教育、陰謀論から自由ではいられない。若者たちはそれでも、よりまともな政治と国家体制を目指して、必死に戦い続ける。誰よりも自由を欲するエレンにとって最悪なのは、奴隷(家畜)でいることだ。「壁」とは、物理的な障壁であるよりも、奴隷的=家畜的な自発的隷属に染まった思考のことだ。この残酷で理不尽な世界の中で自由であるには、「戦え」と自己洗脳し続けるしかない─だがこれもまた危うい。暴走したエレンは「敵」と戦うために、過剰な暴力に身を委ねていく。あたかも少年マンガの正義のヒーローが陰謀史観に基づくネトウヨへと闇落ちしたかのように。


 エレンにとっては、初代フリッツ王の道(「不戦の契り」に基づく消極的な平和主義)も、父親の道(ファナティックな民族主義)も、異母兄ジークの道(自民族を緩やかに死滅させるという反出生主義)も、不十分で不満足な解答にすぎなかった。エレンの思想は、国民や家族よりも、たまたま出会えた仲間との関係性を大事にする、というアナーキズムに近いように見える。とはいえ何より重要なのは、エレンの「進撃」とは、王の独善や政治の腐敗に抗うための人民的な革命権(抵抗権)を意味する、ということだ。だが、ラディカルな自由を渇望するエレンの過剰な欲望の行く末が、「自分たち」以外の全ての「敵」の殲滅戦争に帰結するとしたら。


 エレンの暴走を食い止めようとするアルミンらの態度は、敵国との話し合いを尊重するという対話型平和主義であり、甘っちょろい不徹底さがあるように思える。だが、彼らには次のような覚悟がある。今さら軽々しく「正義」を語るな、愚かな自分たちの歴史から目を逸らさず、それを後世に伝える責任を果たせ、手も汚さずに正しくあることは絶対にできないのだから......。物語の決着を見守りたい。

 

〔『中央公論』2021年5月号より〕

杉田俊介
〔すぎたしゅんすけ〕
批評家
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