『戦前尖端語辞典』平山亜佐子編著/山田参助絵・漫画 評者:斎藤美奈子【新刊この一冊】

斎藤美奈子(文芸評論家)
『戦前尖端語辞典』 平山亜佐子編著/山田参助絵・漫画/左右社

評者:斎藤美奈子

 二〇二〇年の「ユーキャン新語・流行語大賞」を覚えています? 年間大賞は「3密」で、ベスト一〇にランクインしたのは「アベノマスク」「アマビエ」「GoToキャンペーン」など、コロナ禍がらみの言葉が多かった。とはいえ、「3密」が密閉・密集・密接の総称だってことすらもう忘れそう。

 で、本書。平山亜佐子『戦前尖端語辞典』(絵・漫画・山田参助)は、大正八年から昭和十五年までの新語、流行語辞典三〇冊余を探索し、二八五語を絵と解説つきで紹介した奇書である。しごくまじめな労作なのに奇書に見えるのは、収録されている語のほとんどがすでに意味不明で、クイズになりそうな語ばかりだからだ。

「蜂窩生活」とは、はて何か。答えは簡単。アパート生活のこと。最新式の鉄筋コンクリートのアパートを働き蜂の巣に見立てているのは、住んでる人への嫉妬も少し入ってる?

「缶詰芸者」とはどんな猟奇趣味かと思ったら、蓄音機(レコードプレーヤー)のこと。〈音符さえあれば、芸者を侍らして面白く歌を聞くのと同じことだと云う洒落〉だそうだ。

「通過駅」には当時のサラリーマンの悲哀もにじむ。〈列車が停らずに通過してしまう駅のことだが、転じて「月給取の懐」をも云う〉〈右から左へ、そのまま諸払にみんな出てしまう悲哀を云ったものである〉。

 アパートも蓄音機も列車通勤も、この当時にはまだ新しい風俗だったのだね。列車通勤といえば、夫は外で働き、妻は家庭を守るという家族形態(近代家族)が出てきたのもこのころで、勤め人や主婦の予備軍たる学生や女学生にも世間の注目は集まった。

 新語製造能力が高いのはいつの時代も女学生と決まっている。「ありのすさび組」は〈気まぐれ、お天気さん、その時々によって気持の変る人のこと〉。「ガッカリアイエン人」は結婚した人のことで〈クラスメートであった人などの間で用いられる〉。〈多くの男学生を友達に持つ生徒〉は「外交家」と呼ばれ、嫌な奴は「ナフタリン」とクサされ、意地の悪い先生は「ギロチン」とあだ名される。〈アーブラシツキンキン、テントマタゲ、ハーリノメドクグレ〉。この奇天烈な語は子どもの「げんま」と同じで「きっとよ」「約束したわ」の意味だそうだ。

 一方、男子学生の流行語は何かシケた語が多い。赤点ギリギリで合格した奴は「赤電車」。「第七天国」は質屋のこと。今日に残る「万年床」も、二階から一斉に排尿する「寮雨」も、消灯後にロウソクの灯で勉強する「蝋勉」も発祥の地は旧制一高だそう。〈アルノン・オルンナノ・シルリルハ・バルカニ・オオキインナル〉はドイツ語風を装っているが〈「あの、おんなのしりは、ばかにおおきいな」と云った迄〉。ったく男子学生って奴は、いつの時代も何を考えているんだか。

 大正から昭和初期にかけての時期は戦間期とも大正モダニズムとも呼ばれ、格差が顕在化する一方、都市のモダニズム文化が花開いた時代でもあった。同時代の新語辞典だけで百点以上出版されたというのも、文化が活性化していた証拠。この後、日本は文化不毛の戦争の時代に突入する。

 新語はスマホで検索すれば済むという今日にはない味わい。先端語ではなく尖端語(これも当時の言葉)であるところがイカしている。

 

(『中央公論』2021年6月号より)


◆平山亜佐子〔ひらやまあさこ〕 
兵庫県生まれ。文筆家、デザイナー。著書に『20世紀 破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』などがある。

斎藤美奈子(文芸評論家)
〔さいとうみなこ〕
一九五六年新潟県生まれ。九四年『妊娠小説』でデビュー。『文章読本さん江』(小林秀雄賞)、『学校が教えないほんとうの政治の話』『日本の同時代小説』『中古典のすすめ』など著書多数。
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