大山くまお レビューと考察の狭間で映画評論の現在地を考える

大山くまお(ライター・編集者)

メディア環境の変化とともに

 80年代は『ロードショー』や『スクリーン』などのグラビアが中心の映画雑誌、『ぴあ』に代表される情報誌が力を持つようになる一方で、85年には蓮實重彦が編集長の季刊『リュミエール』が創刊されている。ハリウッドの映画スターを愛でる層、映画をカタログ的に取り扱うような層が増えていく中、長文の映画評論で作品や作家を深掘りして論じる層も少数ながら存在していた。なお、80年代から90年代にかけて、映画評論家として知名度があったのは、依然としてテレビでの露出度が高かった淀川、水野、タレント的な活動もしていた小森和子、おすぎらだった。

 映画の見方に対してインパクトを与えたのは、95年に編集者・町山智浩(ともひろ)によって創刊された『映画秘宝』だろう。これまで顧みられることが少なかったB級映画を積極的に取り上げ、軽い調子の文章でツッコミを入れるスタイルが特徴だったが、それだけではなく作品に精緻な分析を加えていった。なお、淀川、蓮實らから影響を受けた町山は、後に映画評論家として活躍する。

 背景には、レンタルビデオが普及し、映画館での上映やテレビの映画番組に頼らず、好きなときに好きな作品が観られるようになったという視聴環境の変化がある。


 入れ替わるように、テレビの映画番組から映画解説者が消えていった。淀川長治が98年に死去、水野晴郎は97年、高島忠夫は98年にそれぞれ番組を降板(高島は一度復帰後、01年に正式降板)し、それ以降は解説者を置かなくなった。映画評論は、映画評論家や文化人たちが旺盛な評論活動をしていた60年代を経て、70年代から80年代にかけてお茶の間でも知名度が高い映画評論家たちによって一般化し、90年代には少数派のマニアックな楽しみになっていったように見える。

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