本村凌二 地中海文明4000年の興亡史を1人で書き下ろした理由【著者に聞く】
――約4000年におよぶ古代地中海世界の文明史を、一人の歴史家が全8巻で書く壮大なシリーズの初巻です。
そもそもの構想は25年ほど前、東京大学の教養学部で文系理系入り交じる1、2年生を教えていた頃に遡ります。僕の専門は帝政期のローマですが、大学で歴史の講義を受ける機会はこれが最後という学生も多く、ローマ史の細かい話をしても仕方がない。だから授業では、オリエントでの文明発祥からローマ帝国の崩壊まで、長い時間軸でみた地中海世界の全体を論じていました。このシリーズの根底にあるのは、その時の経験ですね。
こういう通史的な本の場合、何人かの研究者で手分けして、それぞれが専門分野を書くやり方もあります。でも、学者はみんな問題意識が違うから、一つのテーマで貫くことが難しくなってしまう。僕がこのシリーズで強調したかったのは、地中海文明という一つの大きな文明があって、それは現代までつながっている、ということです。
――地中海文明と聞くと一般的にはギリシア・ローマ中心のイメージですが、本シリーズは四大文明として知られるメソポタミアやエジプトも含めた、より広域の文明の興亡を扱っています。
四大文明という概念は戦後日本独特のもので、最近の歴史学ではあまり使われなくなっています。南米やアフリカ、南太平洋などにも、さまざまな文明がありますからね。
しかし、今日まで続いて世界に大きな影響を与えている文明は二つしかありません。一つが中国を中心とする東アジア文明で、もう一つが地中海文明です。こう整理すると、世界史が非常に理解しやすくなります。
日本人は東アジア文明には古くからなじみがありますが、地中海文明については明治維新以降、150年程度の付き合いしかありません。しかしアルファベットや一神教、貨幣といった現代文明の根幹をなすものは、この文明が生み出したものです。
近代のヨーロッパ人は、ギリシア・ローマこそが自分たちの文明の源流だと位置づけてきました。しかし、近年の研究で、ギリシア文明も先行するエジプトやフェニキアから非常に強い影響を受けているのが明らかになってきた。オリエントとギリシアをことさらに切り離して考えたがるヨーロッパ人の枠組みに、日本人が囚われる必要はありません。むしろ東アジアから見れば、オリエント文明からギリシア・ローマまで、一つながりの文明圏として捉える方が自然ではないでしょうか。
――現在、アッシリアとペルシアを扱った第2巻までが既刊ですが、今後の刊行予定は。
7月にはギリシアを中心とした第3巻が出ます。以降は3ヵ月ごとに1冊を刊行し、来年秋に完結する予定です。
構成で工夫したのは、これまで軽く扱われがちだったヘレニズム期(第4巻)および古代末期(第8巻)について、それぞれ1巻を充てたことですね。特にヘレニズムは、単なるギリシアとローマに挟まれた過渡期ではなく、世界を初めて一体化させた「最初のグローバリズム」ともいうべき重要な時代です。ペルシアに蓄積された膨大な富が、アレクサンドロス大王の東征で奪われて、拡散していく。ヘレニズム時代は経済的に豊かになったとされていますが、それはなぜなのか。政府の巨額支出による波及効果を重視したケインズ経済学の「有効需要」の概念にヒントを得ながら、自分なりの見方を示していくつもりです。
――現代のわれわれは、地中海世界の歴史から何を学ぶべきでしょうか。
現代は、文明の大きな変わり目だと言われています。しかし古代史を眺めれば、文明の巨大な変化はいくつもありました。文字の発明により、それまで人々の心の中に響いていた神々の声が聞こえなくなり、多神教帝国が一神教の世界へと変貌を遂げていく......。一つの大きな文明が、まったく別の形に変わっていく過程を典型的に見せてくれているのが地中海文明で、その歴史から汲み取れるものは多いのではないでしょうか。
(『中央公論』2024年7月号より)