『すき間の哲学──世界から存在しないことにされた人たちを掬う』村上靖彦著 評者:根井雅弘【新刊この一冊】
評者:根井雅弘(京都大学教授)
評者は著者の専門領域(精神分析・現象学)については門外漢である。しかし、著者の「ヤングケアラー」についての新聞記事はいくつか読んだことがある。大阪・西成区の調査をしていたとき、「家族を心配することから逃げられない子供たち」の存在を知り、彼らが発しているSOSに気づくのに当初難渋したようなことが書かれてあった。当事者の経験を彼らの心のうちに入って思考するような手法は、医療や福祉の現場でフィールドワークをしている人たちにはふつうなのかもしれないが、私が専門にしている経済学の世界では、まだ珍しい。どういう経緯か、本書の書評が私に回ってきたのだが、全体を通読してみると、門外漢なりにも著者の仕事の意義がわかってきた。
経済学者がこのような問題を扱うと、本書にも紹介されているように(第11章)、宇沢弘文の「社会的共通資本」の提唱や、井手英策の「ベーシック・サービス論」のようなものになりやすい。宇沢氏の社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本)の思想を、単に国家によってそれを守る主張なのではなく、ボトムアップ的なコミュニティの生成として捉える著者の解釈は、晩年の宇沢氏がアメリカ制度学派の思想に傾斜していたことを考えれば十分に納得がいく。制度学派といっても多様だが、おそらくヴェブレンよりはR・コモンズの制度経済学に近い。残念ながら、ケインズには環境やエコロジカルな視点は希薄であり、師であったマーシャルとは異なる。井手氏のベーシック・サービス論は、消費税を16%にする代わりに、医療・福祉・教育などのサービスを無償化することによって、貯蓄がなく闘病中や失業中であっても、安心して暮らせる社会を目指す提案だが、著者はこれを、アマルティア・センやマーサ・ヌスバウムのケイパビリティ概念の延長線上にあるものとして捉えている。これは私のような経済思想史家にはわかりやすい解釈だ。
だが、著者が本書全体を通じて問題にしているのは「すき間」である。例えば、現金給付を受ける人と受けない人のあいだに「すき間」が生まれ、給付を受ける側にスティグマが生まれると問題は複雑化する。宇沢氏や井手氏が好意的に紹介されているのは、両氏とも、現代日本で福祉問題に関して国民の「自己責任」論や福祉制度に「条件」を課すような思考法がかなり広範囲に浸透していることに対する危機感を共有していたからだろう。
評者が目を開かされたのは、ある高齢者施設で、いくら声をかけても反応がなく認知症と思われていた男性が、「アンニョン」(韓国語のおはよう)という言葉にはすぐに反応し、話が止まらなくなったというエピソードである。この例はたまたま外国語が「すき間」を作っていたが、広い意味での「通訳」は「すき間」の存在を嗅ぎ分けるという感度の鋭さが必要だという著者の指摘は問題の本質を突いている。
経済政策や社会政策の分野で「社会的包摂」という言葉が普及したのは一つの進歩だが、著者はさらに一歩進めて「社会的開放性」を語る。これは一人ひとりの草の根運動の中から「すき間」を生まない社会の生成を目指すものだが、著者が西成に足しげく通うのも、「まだ出会えていない人と出会うための仕組み」を模索しているからだろう。熟読に値する力作である。
(『中央公論』2024年10月号より)
◆村上靖彦〔むらかみやすひこ〕
大阪大学教授。1970年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程満期退学。基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第七大学)。専門は現象学的な質的研究。『自閉症の現象学』『ケアとは何か』『客観性の落とし穴』など著書多数。
【評者】
◆根井雅弘〔ねいまさひろ〕
1962年宮崎県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。専門は現代経済思想史。『ケインズ革命の群像』『経済学の歴史』『定本 現代イギリス経済学の群像』など著書多数。