横尾忠則「自分の絵も生き方も『模写』なんです」

横尾忠則(美術家)
横尾忠則氏

運命に翻弄されるのが面白い

――横尾忠則現代美術館(兵庫県神戸市)の「横尾忠則の人生スゴロク展阪神・淡路大震災30年」や2000年からの「Y字路シリーズ」など、88歳になっても相変わらず独自の芸術をエネルギッシュに追求なさっていますが、24年末に刊行された『飽きる美学』では「飽きた! 絵を描くのに飽きた」と書かれていて、驚きました。


 しょっちょう「飽きた!」って言っているんですよ。「嫌々描く」も僕の口癖なんですけど、それでも80年以上も描き続けているから、どこかでやっぱり好きなんでしょうね。


――80年ということは、本当に幼少の頃から描いていたのですね。


 3歳の時に描いた絵は残っているんですけど、実際は2歳から描いていたらしいんです。ただ僕は見たものや想像したものを描くのではなく、誰かの絵を描き写すばかり、模写専門だったんです。

 僕は2歳の頃に西脇市(兵庫県)で呉服屋を営んでいた叔父夫婦の養子になったんですが、そこに「講談社の絵本」がたくさんありました。真田幸村や木村重成を主人公にした時代物の絵本を、日本画家たちが描いていたんです。彼らにとってはアルバイトみたいなものでしょうけど、それを手本としてなるべく忠実に描いていました。10代になるまで、絵を描くというのはそういうことだと思っていました。写生とか肖像画や想像なんてまるで興味がなかった。本来の美術教育でいえばタブーです。

 とはいえ、学校の美術の授業では、風景や人物を描かされます。それらは三次元ですが、僕はそれを平面として見る。平面として捉えた風景や人物を模写するわけです。陰影をつければ見た目は立体になるから、そのように描くけど、実際は平面に還元した模写。先生にはそのマジックは見ぬけなかったでしょうけどね。

 僕は中学の頃から郵便マニアで、高校では「郵趣会」というクラブを結成、活動していて、将来は郵便局の配達員になりたかったんです。自主的に努力することが苦手で、配達員なら郵便物の宛名書きと表札を照合すればいいだけだから。そういう行為も僕にとっては模写なのかもしれない。郵便が模写だなんて、誰もそんな捉え方はしないですが。


――ところが郵便局員には......。


 なりませんでした。僕はなるつもりだったものの、校長先生から「絵が描けるのだから東京の美大に行け」と言われて、家庭教師を3人も付けられ、1年間ガリ勉させられたんです。自分が高校3年の時に、武蔵野美術大学を卒業した美術の先生が東京に戻っていたので、その先生の家に居候しながらデッサンをやっていたんだけれど、試験前日にその先生が突然、「受験をやめて郷里に帰れ」と言うんです。僕は「あ、そうですか」と反抗もせず、そのまま帰ってしまった。受験しろと言われればしたくもない勉強をするし、やめろと言われればやめてしまうような、受動的な人間なんですね。野心もなければ主体性もない。

 そもそも僕は2歳の時に養子でもらわれてきましたが、それも僕の意思とは関係ないわけです。両親は大変かわいがってくれて、僕に「夜遅くまで勉強したら体を壊すから、勉強なんかしたらあかん」と言うんです。二人とも尋常小学校を出ただけで学がなく、僕が勉強して偉くなったら東京に行ってしまうと心配していたんですね。だから勉強しなかった。「勉強したらあかん」なんて、今の親は言わないでしょう。みんな我慢して努力して、お金を稼げば自由を得られると思っているでしょう。政治家も「経済生活を保障する」と言えば選挙に当選できるけれど、「文化芸術が大事です」なんて言ったら落選しますからね。


――1955年、兵庫県加古川市の印刷所に就職し、その翌年に横尾さんの絵を見た神戸新聞社宣伝技術研究所の人にスカウトされて、グラフィックデザイナーになります。


「来い」と言われたから行きました。仕事は版下(手書き文字や写真などを配置した製版用の原稿)を作ること。模写ばかりやっていたから、書き文字は得意だった。面白くも何ともない仕事です。そんな仕事をしていたら大阪の広告会社に誘われて、言われるままに移ったらその会社が東京へ移転することになったので便乗して東京に来てしまった。しばらくして、グラフィックデザイナーの亀倉雄策さんの日本デザインセンターに移ったんですが、同僚に宇野亞喜良さんがいて、「横尾さん、デザインセンター辞めて僕と事務所を持たないか」と言うから、4年で退社して独立。ところが仕事が全然来ない。見事に来ないんです。


――困りましたね。


 普通は困りますよね。ある意味でどん底に落とされるんだから。だけど僕は「運命」に逆らわない。運命に人格があるかないか知らないけれど、自分がどん底なら運命もどん底にいるはずでしょ。運命が努力して這い上がれば僕も上がるわけだから、運命に便乗すればいい。他人任せなんです。だからどん底だという意識もないんですよ。

 僕が生まれてから死ぬまでのタイムスケジュールは、「宿命」が知っていると思うんですよ。その間の行動を運命がコントロールする。運命に逆らうのは面倒だから、運命にお任せするんです。


(『中央公論』3月号では、この後も健康のために心がけていること、仏教や神道とのかかわり、死をどう考えるかについて詳しく語っている。)


構成:柳瀬 徹

中央公論 2025年3月号
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横尾忠則(美術家)
〔よこおただのり〕
1936年兵庫県生まれ。72年ニューヨーク近代美術館で個展。2012年兵庫県立横尾忠則現代美術館、13年豊島横尾館開館。毎日芸術賞、旭日小綬章、朝日賞など受賞・受章多数。小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)など著書多数。
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