近現代史研究の大家が語る「昭和史の天皇」~社会部記者のオーラルヒストリー

伊藤 隆(東京大学名誉教授)

「昭和史の天皇」(https://www.yomiuri.co.jp/national/20200812-OYT1T50267/)は昭和四十二~五十(一九六七~七五)年に読売新聞夕刊で連載。社会部記者によるのべ一万人への取材と文書資料を基に、昭和初期から終戦までを証言でつづった。昭和四十三年菊池寛賞受賞。単行本全三〇巻、中公文庫版全四巻(現在は電子書籍で販売)などを刊行。伊藤氏は読売新聞社等に眠っていた取材資料を発掘し、平成三十(二〇一八)年に読売新聞社による国立国会図書館憲政資料室への寄贈につなげた。その経緯と史料的な価値について伺った。

残されていた膨大なテープ

─先生と「昭和史の天皇」との出会いは?

 最初の出会いは読者としてでした。当時、私も夢中で政治家の聞き取りをやっていて、強い関心を持って読んでいました。ライバルと言ってもいい存在でした。
 昭和四十四年、一〇〇〇回の連載を前に、歴史学者の角田順氏が「昭和史の天皇」を「オーラルヒストリー編集上の偉業」と評価していました。この時、こういうのをオーラルヒストリーというのかと思ったことを覚えています。それまでは談話や聞き取りと呼んでいたので。おそらくジャーナリズムで初めて「オーラルヒストリー」と紹介されたものではないでしょうか。
 そして連載が二〇〇〇回を超えた時、私は「昭和史研究のために関係者からの聴き取りを行い、その重要さ・困難さ・緊急性を痛感しているものの一人として感慨少なからぬものがある」と読売新聞に寄稿しました(昭和四十八年一月二十七日付)。

─憲政資料室への寄贈の経緯は?

 平成七~八年にかけて、私は憲政資料室の調査員を務めていて、関係のあった読売新聞の担当者に取材資料の所在を尋ねたことが始まりです。平成九年になって読売新聞から少し見つかったと連絡があったので、大至急憲政資料室の中心的存在だった広瀬順晧(よしひろ)さんと駆けつけ、段ボール四箱分の資料を前に二日間かけて目録を作りました。
 その後、読売側の担当者が定年退職するというので、その四箱分の資料がドーンと送られてきました。これは大事なものだからなんとかしなくてはと、武田知己さん(大東文化大教授)に目録作成を依頼したところ、もともと二五〇〇本あった録音テープのごく一部しか残っていないことがわかりました。
 そこで、さらに「昭和史の天皇」の中心メンバーで旧知の松崎昭一さんに問い合わせ、膨大なテープを中心とする取材資料を受け取りました。それらの目録を作ったり、一部は文字に起こしたりするなどして、整理のめどがついた頃、憲政資料室に寄贈できるようになったんです。

─「昭和史の天皇」の意義とは?

 証言者は今となってはほとんどこの世にいない人ばかりで、テープに残された昭和戦前期の証言は貴重です。ここにしか記録として残っていない人物も数多くいると思います。
 しかも、記事を読むと、一つのイデオロギー、史観に縛られていない。このこともとても重要です。

記者だからこそ聞けたこと

─聞き手が研究者かメディアかで、何が違うのか?

「昭和史の天皇」に関わった記者のほとんどは専門的な歴史研究をやっていません。元駐独大使で、ナチス・ドイツとの連携で中心的な役割を担った大島浩に話を聞きに行った女性もそうだったそうです。大島は相手がわからないだろうからと実に細かく話して、その結果、どこにも話したことのないことまでしゃべっている。私たち研究者は、わかったつもりで聞き逃していることがあることを気づかされました。
 記者も取材を積み重ねていくと、いろんな証言者から多角的に話を聞いているから、知識が蓄積していく。だから一長一短と言いますか、聞き手が記者の場合でも研究者の場合でも価値は同じです。特に違いはないと思います。
「昭和史の天皇」は取材班の熱量が高く、熱心に聞いている。他にもジャーナリズムの媒体があるけれど、この取材班だけが手がけることのできた仕事です。
 この時期にできたのは、一つの時代が終わったからというのが大きい。敗戦により、時代の区切りができた。敗戦がなければ、軍人や政治家だって話はしなかったと思います。
 何人かのキーになる人物をピックアップして話を聞くということは今でもできるんじゃないですか。取材資料を財産として活用するだけでなく、読売新聞として「昭和史の天皇」を引き継いだ戦後史班(再軍備や教育をテーマにした一九八〇年代初頭の連載を担当)も含めて伝統を継承していくことが大事です。インタビュー記録を残していくことを次世代のジャーナリストたちにも受け継いでほしい。
 政治家や外交官など、日本の歴史上重要な人物の名が新聞の訃報欄に出るたび、聞いておけば良かったと悔しい思いをします。生前に聞いておかないと二度と聞けない。学者も取り組んでいきますが、ジャーナリストも頑張ってほしい。

音声記録ならではの発見

─「昭和史の天皇」の中で、特に重要だと思われる箇所は?

 全部重要です。それぞれの回、人物に意味がある。よく人を見つけたと思います。日中戦争のあたりは、関係者に話を聞いているけれど、記事にほとんど反映されていません。記事に出てこない聞き取りの成果は、特に貴重なデータだと思います。
 松崎さんは取材相手の史料を多少獲得していますが、せっかくだから、これからもその子孫をつきとめて、残された史料も収集する。そして憲政資料室に渡せばいい。すぐに整理して、公開してくれますから。「昭和史の天皇」は、まだまだ広がりが期待できます。

─音声テープが残っていると、相手が答えに詰まっている様子や、得意になっている様子などが直に伝わってくる。

 文字に起こすと、そういう感情の機微が全部抜けてしまいますが、録音テープだとぜんぶわかる。音声記録はそういう意味でも大事です。
 またオーラルヒストリーの大きなメリットは、時代ごとの「常識」の変化がわかることです。たとえば、終戦直後に「大阪まで行った」と言えば、東海道線に乗るより仕方がないのですが、後世の人は新幹線をイメージするかもしれません。だから私たちは、あえてどうやって行ったのか尋ねます。「昭和史の天皇」でも、内大臣だった木戸幸一に、「電話」の話をしつこく聞いている。終戦時に、木戸が関係者と電話でやり取りをしていたと話すと、記者は「あの頃の電話は、やはり交換台を通してでございますか」とか、「直通電話はないのですか」など質問を重ねている。さらに、「交換台を通した場合、交換台から秘密が漏れるとかなどお考えになりませんでしたか」と突き詰めている。木戸幸一は浩瀚な日記を残しているが、内容は極めて簡潔なんです。こういうやり取りを重ねることで、当時の様子がヴィヴィッドに再現されていく。
 この音声記録は今、憲政資料室に所蔵され、その一部は利用できます。それまで音声記録をほとんど扱っていなかったので、ちゃんと処理してくれるか心配でしたが、時間をかけながらも取り組んでいます。

歴史の複雑さ

─戦後、外務省や陸軍などで多くの公文書が焼失したため、先生が取り組んでこられた個人史料の調査やオーラルヒストリーが重要だ。

 公文書を補うために私文書があるわけではなく、結果としてそういうこともあるということ。オーラルヒストリーは、公文書や個人文書を補う手段の一つになるとは思います。
 開戦時の海軍大臣・嶋田繁太郎にインタビューをしたことがあります。嶋田は日記を見ながら我々には覗かせずに答えました(日記は最近公刊)。しかも、速記も駄目だと。嶋田だけではなく、警戒して素直に当時の思いを語ってくれない人は多い。特に戦犯になった人は自分を守るための理屈をいろいろ作っています。
 戦後的な価値に基づいた、後付けの理屈だなというのは、聞いていてわかりますよ。そういう時は「ちゃんと話しても問題はありません」と説得して話していただく。

─「昭和史の天皇」が残した数々の証言から、我々が今という時代のために学べることは何があるか?

 一般的に「歴史から学ぶ」とは言いますが、本当に学べることはありますか。私は無理だと思います。無理に教訓を引き出そうとして事実を曲げていることが多い。実際に起こったことをどう解釈すべきか、研究者ひとりひとりに評価はあるので。歴史は非常に複雑で、一つのこともあっちから見るのと、こっちから見るのとでは違います。
「昭和史の天皇」でさえ、日本の出来事を日本人に聞いているだけで、ソ連側、アメリカ側の見方は出てきません。硫黄島の戦いだって、沖縄戦だって、アメリカ側の史料とつき合わせないとわからないことがある。向こう側から見るのと、こちら側から見るのとは違うわけです。一つの史料だけを基に、教訓としてこうすべきだったなんて偉そうなことを言うのはとても無理です。「昭和史の天皇」と他の史料を照らし合わせて、立体的に歴史を検証していくべきでしょう。

*インタビュー時の伊藤隆氏の動画が以下でご覧いただけます。https://www.yomiuri.co.jp/stream/article/15855/

(聞き手・構成/前田啓介)

 

 

〔『中央公論』2020年9月号より改題して転載〕

伊藤 隆(東京大学名誉教授)
〔いとうたかし〕
1932年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程修了。東京大学教授、政策研究大学院大学教授などを歴任。著書に『歴史と私』など。
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