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側室と吉原へ? 江戸時代の優雅な定年後

青木宏一郎
吉原夜桜(歌川広重『東都三十六景』より)
江戸時代。大名は定年(隠居)した後、第二の人生をどのように過ごしたのだろうか?

そんな疑問に答えてくれるのが、柳沢信鴻(やなぎさわ・のぶとき)です。
彼は隠居後、現在の東京都文京区にある六義園(りくぎえん)に住み、今日でいうガーデニングや、観劇、物見遊山などを楽しむ優雅な生活を送り、その一部始終を『宴遊日記(えんゆうにっき)』に書き残しました。
その中でも特に注目したいのが、物見遊山(旅行)。信鴻が満喫したセカンド・ライフの魅力を、『大名の「定年後」―江戸の物見遊山』を上梓した青木宏一郎さんが紹介します。

「夜桜が見たい」と側室に言われ・・・・・・

信鴻の物見遊山は、今日でも定年後の過ごし方の参考になり、学ぶべき事に溢れています。彼は決して現役時の身分(役職)に囚われることなく、謙虚で優しく、自然体で動いている。
出かけた場所の気象に合わせて行動し、出会う人たちに溶け込み、混雑状況などを鑑み、その場の雰囲気を大事にしているのです。

信鴻が訪れた場所は、浅草、吉原、上野、湯島、両国・亀戸、飛鳥山、護国寺・鬼子母神、芝居町などで、庶民の遊び場全域に渡っています。

湯島天神で、富籤(とみくじ)が興行されていれば迷わずチャレンジ。信鴻はなんと百五十枚もの籤を購入し、すべて外している。賞品のなかに、元大名が欲しいと思うものなどなかったであろう。そうとわかっていながら籤を買う信鴻、もう可愛いとしか言いようがない。

物見遊山の途中に、老婆の一行を見れば声を掛け、ともに如来観音を拝している。さらにその老婆が八里(約24㎞)の道を歩いてきたと聞けば、お金だけではなく弁当まで与えてしまう。

側室に「夜桜が見たい」とねだられれば、浅草から吉原遊廓へと案内。側室は籠に乗るが、信鴻は歩きっぱなし。桜を見たのは、午後7時頃までと短時間だが、六義園に帰宅したのは午後10時になっていました。

またある時、踊を見物していると、踊り手の18、9才の綺麗な娘が、信鴻を見て会釈をする。何事かと思って話を聞くと、なんと昨年まで息子の屋敷で使えていた娘であった。眉を剃っていたので、信鴻は気が付かなかったのです。
身内の屋敷に使えた娘からも挨拶される――信鴻の人柄の親しみやすさが伝わってきます。

「江戸ルネサンス」が花開き

信鴻が日記に記したのは18世紀の後期、安永二年から天明四年までの十二年間(1772~1784年)で、田沼意次(たぬま・おきつぐ)が老中として活躍した時代です。
田沼の財政策は、下層の都市庶民にも恩恵をもたらし、文化的な活動にも町人が参入することになりました。

特に江戸では、庶民性の強い芸術文化、浮世絵、歌舞伎、川柳、黄表紙、洒落本など新しい作風が持てはやされます。
江戸の三大娯楽と称される歌舞伎・遊廓・相撲などは、その後の町人が支えるようになります。それは、西欧より一歩進んだ「江戸ルネサンス」と言っても良いと思われます。
信鴻の日記には、この過渡的な社会を反映する様子が記されています。

元大名でありながら茶店の常連となり、そこの婆と身分関係なくやりとりをする。また、農家の妻が庭で機織りしている横で、信鴻たちが着替えをする。

当時、どのような場所でどのような人たちが、いかにして遊んでいたか。その混雑具合までもが詳しく記されているのです。ほかにも地震や火災に関する記載、喧嘩や盗難などの犯罪にも触れており、当時の社会情況が見えてきます。

そして信鴻は、江戸の町で、開帳や見世物、市や祭など、庶民が屈託なく遊んでいる姿を見て、「遊んでばかりいないで働けば良い」とか、「参詣や買い物が済んだら早く帰宅すべきだ」というような啓蒙的な記述は一切していません。それどころか、自らも仲間になって楽しもうとしていたのです。

コロナ禍の今こそ、物見遊山を

信鴻の日記を読んでいると、二十世紀半ば生まれの私には、江戸(東京)の懐かしく快い面ばかりが目につきます。江戸庶民は、自分が楽しい気分でいられる遊びを知っていた。そんな物見遊山を、現代も再現しようと思えばできないことはないはず。

21世紀の社会は、ITを駆使し、豊かな情報と知識で私たちの暮らしをさらに変化させようとしています。遊びはもちろん、心の不安さえもコントロールしようとしている。さらに、新型コロナウイルス感染症が流行し、新たな生活様式が求められています。

新たな生活様式は、生活の基本を労働から遊びに転換することが解決の糸口となるはず。その手始めとして、自宅から一歩一歩自分の足で出かける物見遊山はいかがでしょうか。物見遊山の復活は、経済活動を優先する社会から、遊びを生きがいとする、ゆとりの社会に変える手始めとなるでしょう。

大名の「定年後」 江戸の物見遊山

青木宏一郎

江戸時代。50歳で隠居したのち、江戸中を訪ね歩いた大名がいた。五代将軍綱吉のお側用人・柳沢吉保の孫、信鴻(のぶとき)だ。彼が物見遊山で訪れた範囲は、日本橋・浅草周辺はもちろんのこと、王子、向島、目黒方面と、日に何十キロと徒歩で歩いては、身分によらずそこに暮らす人々と交流し、ありのままの江戸を日記に書き残していた。活気に満ちた江戸の描写溢れる信鴻の『宴遊日記』を元に、その軌跡を追う!

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青木宏一郎
1945年、新潟県生まれ。千葉大学園芸学部造園学科卒業。㈱森林都市研究室を設立し、ランドスケープガーデナーとして、青森県弘前市弘前公園計画設計、島根県津和野町森鷗外記念館修景設計などの業務を行う。その間、東京大学農学部林学科、三重大学工学部建築科、千葉大学園芸学部緑地・環境学科の講師を勤める。現在、和のガーデニング学会会長。主な著書に「江戸庶民の楽しみ」(中央公論新社)、「江戸の園芸」(筑摩書房)、「江戸のガーデニング」(平凡社)、「江戸時代の自然」(都市文化社)、「森に蘇る日本文化」(三一書房)などがある。