チャーチルに学ぶ「政治指導と軍事指導」

細谷雄一(慶應義塾大学教授)

チャーチルの政軍関係

 チェンバレンと対立していたチャーチル英首相は、しばしば戦時の指導者の成功例として取り上げられる。だが、彼は第一次世界大戦のガリポリの戦いの戦争指導に失敗した責任をとり、海軍大臣を辞任するという挫折を味わっている。

 この時、イギリスが第一次世界大戦で苦戦した最大の理由は、政治指導と軍事指導が車の両輪としてうまく連携していなかったことだと、チャーチルは総括した。やや自己弁護も混じってはいるが、政治と軍事の関係、すなわち政軍関係が重要だという指摘は適切だ。我々は政軍関係、そして政治指導と軍事指導の関係がどうあるべきか、挫折と成功の歴史から学ばなければならない。

 近代的な戦略論の祖とも言えるクラウゼヴィッツが『戦争論』で述べたように、「戦争は他の手段をもってする政治の延長」である。さまざまな含意をもつ言葉だが、戦争中であっても政治は続けられる必要があり、さらに言えば、戦争においても政治指導が優位に立たなければならないことを意味する。

 第二次世界大戦においてチャーチルは、自らの閣内に「戦時内閣」というインナーキャビネットをつくり、そこに陸海軍の軍事指導者たちを参加させた。さらに1941年8月のフランクリン・ローズヴェルト米大統領との大西洋会談をはじめ主要な会談に、それらの軍人たちを同席させている。これにより、チャーチルは軍事指導に関与し、軍人たちは政治について理解を深めた。

 このように緊密な連携のもと、長期的な国家戦略を短期の軍事情勢への対応より優先し、政治指導と軍事指導を調和させたことで、イギリスは巨大な国力を持つドイツに勝利した。これは、ローズヴェルト大統領が指導するアメリカでも同様だった。

 これに対して当時の日本では、政治指導と軍事指導が車の両輪として回るような状況になかった。さらに政治と軍事それぞれの内部も分裂しており、長期的な国家戦略はもちろん、統一的な軍事戦略さえ策定できず、さまざまな主張や利益が並立していた。

 なお、イギリスにおける政軍関係の歴史的な発展については、私が
編集した『軍事と政治日本の選択──歴史と世界の視座から』(文春新書、2019年)で詳細に論じており、参照いただきたい。(談)

(続きは『中央公論』2024年9月号で)

細谷雄一(慶應義塾大学教授)
〔ほそやゆういち〕
1971年千葉県生まれ。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『倫理的な戦争』(読売・吉野作造賞)など。近刊は編著『ウクライナ戦争とヨーロッパ』。
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