歴史人物の評価はなぜ揺れ動くのか

(中央公論2025年6月号より冒頭を抜粋)
歴史人物の評価は時代によって大きく変わります。英雄が罪人になったり、善人が悪人になったり、尊敬すべき人物がなるべく子供に教えない方が良い人物に変わります。
歴史人物の評価はどのようになされるのか。なぜ揺れ動くのか。理由はさまざまですが、評価が大きく変化した人物を検証すると、いくつかのパターンを見いだすことができます。具体的な人物の名前を挙げながら話を進めましょう。
悪役、蘇我氏と道鏡
日本史で最初に登場する人物といえば邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)(?〜247?)です。しかし史料に残る日本最古の個人名は倭国王升帥(すいしょう)(生没年不詳)です。西暦107年に中国大陸の後漢(ごかん)に朝貢したとされ、卑弥呼の曾祖父母の世代にあたる人物ですが、卑弥呼に比べ、あまり知られていません。悪く評価される「悪名」はまだ良いのです。無視される「無名」が歴史的評価の世界では一番ひどい扱い。歴史家は心して筆を持ちたいものです。
倭国王帥升は、どこにいた勢力かわからないが、卑弥呼の居所は奈良盆地など有力な候補地があります。ヤマト王権や皇室に繋がりうるので日本史の本筋とされ、関心が高い。邪馬台国は九州にあったのか、近畿にあったのか、というミステリとしても人気のテーマです。
古代史の人物で評価が揺れ動くといえば、蘇我馬子(そがのうまこ)(?〜626)と聖徳太子(574〜622)ですね。さながら歴史的評価問題の博物館のようです。多くの論点が詰まっています。
私が子供の頃に読んだ学習マンガでは、蘇我馬子は鼻が大きくていかにも悪そうな顔だったのに対し、聖徳太子は皙白(はくせき)の美青年に描かれていた記憶があります。マンガの内容も、蘇我氏がいかに横暴だったかが強調されていました。
しかし現在の研究では、蘇我氏はヤマト王権のもとで大王(おおきみ)の権力を大きくするために財務畑で働いた、文字や算術を得意とする人々だったとされています。吉備(きび)など有力豪族が根を張る地域に「屯倉(みやけ)」という大王の収入になる直轄地を作ったり、仏教を取り入れたりして、大王の支配を地方に広げて中央集権を進展させました。
その後、蘇我氏の力が強くなりすぎたために、後世、皇室中心史観から雑に「横暴」とされました。「家来は主君より偉そうにしてはいけない」という儒教の忠孝思想の影響もあるでしょう。
もう一つ話を複雑にするのが、同じく有力豪族だった物部(もののべ)氏と蘇我氏の関係です。日本古来の祭祀を重んじたとされる物部氏を、仏教を大切にする蘇我氏と聖徳太子の連合が打ち破ったという物語です。日本では長く仏教に都合の良い歴史観が続きました。のちには神仏習合となりますが、まずは仏教を敬し皇室を重んじた人物が善人。仏教を盛んにした厩戸皇子(うまやとのみこ)が聖なる徳のある太子、聖徳太子と呼ばれます。神道派の物部が相手では、仏教派の蘇我も善玉です。
ただ、現代の蘇我氏のイメージに最も影響しているのは少女マンガかもしれません。従来の歴史観をひっくり返してこそ物語が面白く、また隠された真実を突いて見えるので、小説やマンガ・映像作品では大胆な解釈が登場します。とくに古代史は史料が少ないので想像の余地が大です。
蘇我氏と聖徳太子については、1980年代に発表された山岸凉子さんのマンガ『出処日(ひいずるところ)の天子』が大きな影響を与えました。同作では、蘇我馬子の息子・毛人(えみし)(蝦夷、?〜645)がカッコ良く描かれ、聖徳太子と男同士の恋愛関係が展開されます。ここでは典型的な悪役だった蘇我氏像が大きく転換しています。
古代史で、蘇我氏以上に徹底して悪者と見なされてきたのが道鏡(どうきょう)(?〜772)です。奈良の大仏を建立した武聖(しょうむ)天皇(701〜756)の娘徳の称徳(しょうとく)(謙孝(こうけん))天皇(718〜770)が道鏡という僧侶を寵愛して、宇佐(うさ)八幡宮(大分県)の神託を根拠に、彼を皇位につけようという話が持ち上がります。そこで称徳天皇の側近である尼僧の弟、和気清麻呂(わけのきよまろ)(733〜799)を宇佐八幡宮に遣わしたところ、道鏡を天皇にしてはいけない、むしろ排除しろという神託を持ち帰りました。当然、道鏡の怒りを買い、和気清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名されて、隅大(おおすみ)国(鹿児島県)に流されてしまった。
皇室中心史観からすると、皇位を狙った道鏡はまごうことなき大悪人です。「男性的魅力」で女帝をたぶらかしたといった話まで流布(るふ)したほど。一方の和気清麻呂は神とされ、京都では護王神社、出身地の岡山と配流先の鹿児島では、和気神社の祭神です。清麻呂がイノシシに守られたという伝説から、これらの神社には犬狛(こまいぬ)ならぬ「亥狛(こまいのしし)」がいます。
そんな道鏡ですら、評価は変化しています。歴史学でも見直す試みがあるほか、2020年には奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」のデザインでも知られる内籔佐斗司(やぶうちさとし)さん(東京藝術大学名誉教授)が製作した道鏡禅師坐像が大西寺(さいだいじ)(奈良市)に奉納されました。道鏡も名誉回復の時代に入ったわけです。
(『中央公論』6月号では、この後も藤原道長、小早川秀秋、徳川家康、田沼意次、坂本龍馬、東郷平八郎など大勢の歴史人物を取り上げ、公家への偏見、ルッキズムなど多様な角度から論じます。)
1970年岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『近世大名家臣団の社会構造』、『無私の日本人』、『天災から日本史を読みなおす』(日本エッセイスト・クラブ賞)、『日本史を暴く』など著書多数。