天保銭組と無天組に分かれた「支那通」とは
陸軍軍人で中国に駐在したのは、おもに、中国情報の収集・分析に専門的に当たった「支那通」と呼ばれる者であった。謀略活動に関しては、この支那通についての理解が欠かせない。
支那通は、一般の軍人同様、陸軍大学校(陸大)卒のエリートである天保銭組(卒業徽章(きしょう)が天保通宝に似ていたためにそう呼ばれた)とそれ以外の無天組に分かれる。
天保銭組は、中国に関係する主要な役職に就き、無天組や大陸浪人(中国各地に居住・放浪した民間壮士)を指揮した。世代で見ると、日露戦争以前に任官した陸軍士官学校(陸士)第14期以前の第一世代、一夕(いっせき)会や桜会に所属するなど国家革新運動を担った第15~25期の第二世代、満洲事変以降、第二世代の下で重要な役職に就いていく第26期以降の第三世代に分類される。
そのキャリアの典型的なコースは、陸大卒業後、短期間の隊付勤務を経て、参謀本部付支那研究員として中国で研修する。そして帰国後、参謀本部第2部支那課に勤務した後、公使館付武官や軍事顧問、特務機関員などとなって、中国各地に駐在するというものであった。
一方の無天組は、東京外国語学校(現東京外国語大学)や現地で中国語、モンゴル語を学んだ語学将校などから成る。語学力はエリートの天保銭組以上で、自分の腕一本で功績を上げてやろうという気持ちの強い者も少なくなかった。