関東軍参謀
関東軍司令部内の参謀部は、満洲事変以前、5~6名の参謀(大佐~大尉)と1~4名の幕僚付(少佐~大尉)で業務を分担していた。謀略に関係する諜報作戦は、高級参謀(大佐)の担当であった。
高級参謀には、松井七夫(1922年8月~23年11月・天保銭第一世代)、黒田周一(23年11月~26年3月・同第一世代)、河本大作(こうもとだいさく)(26年3月~29年5月・同第二世代)、板垣征四郎(29年5月~32年8月・同第二世代)と、22年以降、天保銭「支那通」が就任している。
関東軍諜報勤務規定によれば、諜報担当参謀は、毎年1回(概ね5月)統一指導のため、各地に派遣している諜報将校を集めて会議を行い、参謀長に年度報告を行う必要があった。また諜報将校は、毎年12月末までにその年の業務実施概要(将来に関する意見を付ける)を報告しなければならなかった。