奉天特務機関
一方、関東軍の指揮命令下にあるのがはっきりしていたのが、奉天特務機関である。20年5月、軍事顧問とは別に、張作霖との連絡のためと称して、貴志弥次郎(きしやじろう)少将(天保銭第一世代)が奉天に駐在することとなった。身分は、関東軍司令部付であった。貴志は、于冲漢(うちゅうかん)(東三省巡閲使総参議)と日露戦争時の偵察任務以来の関係があり、また09年には東三省陸軍講武堂教官として奉天に駐在した経験もあり、その人脈・経歴が重視されたとみられる。
貴志のもとには、同じく関東軍司令部付の鈴木美通(よしゆき)少佐(天保銭第一世代)が加わり、奉天軍や奉天官界などを諜報することが任務となった。宿舎や密偵、接待などの経費は、関東軍が支出した。
その後、奉天特務機関長には、菊池武夫少将(24年8月~26年3月)、秦(はた)真次少将(27年10月~29年8月)、鈴木美通少将(29年8月~31年8月)、土肥原賢二大佐(31年8月~32年1月)、板垣征四郎少将(32年8月~33年8月)など、基本的には少将のポストで、奉天駐在経験の豊富な者が就いている。
奉天特務機関は、菊池の代に郭松齢(かくしょうれい)事件(25年)で存在感を増し、土肥原、板垣の代に満洲事変で縦横に腕を揮(ふる)ったが、それ以降、活躍の場は少なくなる。