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ブレグジット後の英国と王室の存在――対EU、国内融和に奔走する立憲君主

君塚直隆(関東学院大学教授)

難問に直面する英国の心強い存在

 今年1月31日、英国による欧州連合(EU)からの離脱、いわゆる「ブレグジット」が正式に完了した。2016年6月23日に行われた国民投票により、僅差ながらもEU離脱が決まり、その後のEUとの交渉で離脱期限は2019年3月29日までと定められた。ところが英国議会でこの離脱協定に関わる提案がことごとく否決され、ついにはテリーザ・メイ政権の退陣にまで事は及んだ。


 2019年12月の総選挙で、ボリス・ジョンソン首相率いる保守党が365議席(全議席は650)を獲得して過半数を占め、ついに離脱が実現した。とはいえ、英国にとっての正念場はこれからであろう。英領北アイルランドとアイルランド共和国との国境管理の問題(バックストップ)に始まり、EU加盟諸国との関税率の決定、エネルギーや漁業権をめぐる問題、さらにはこれまでアメリカや日本などにとって金融都市ロンドン(シティ)が占めてきたEUとの媒介役としての立場の変化など、問題は山積である。


 そして英国とEUという対外的な問題に加え、2016年の国民投票をめぐって、英国内にさまざまな異論が噴出した結果、「連合王国」の存続問題まで抱えている。


 こうした幾多の難問に直面する英国にとって心強い存在となるのが、今年在位68年を迎えたエリザベス女王を筆頭とする王室なのである。「君臨すれども、統治せず」を基本とするはずの、21世紀の立憲君主がなぜ心強い存在なのか。2017年から現在に至るまでの、世界を股にかけた英国王室の動向について、ここでは検討してみたい。

ブレグジットと「王室総動員令」

 2017年3月に英国とEUとの間で、今後2年以内の離脱を定めた協定の締結交渉が大詰めを迎えると、メイ首相はすぐさまバッキンガム宮殿に向かった。離脱までの2年間でEUの主要加盟国に王族を送り込んでほしいとエリザベス女王に要請するためである。女王も王族たちもこの依頼を快諾した。


 これから英国が離脱を円滑に進めていくためには、フランス大統領やドイツ首相など、各国の首脳たちと直接交渉を進めていかなければならない。とはいえいくら英国の高官や外交官だからといって、首脳たちがおいそれと会ってくれるわけではない。しかし相手が女王陛下の子や孫たちともなれば話は別である。


 2017年3月に、まず先陣を切ったのは英国王室で一番の「人気者」ウィリアム王子とキャサリン妃の2人である。オランド大統領(当時)の待つパリに飛んだ2人は現地で大歓迎を受けた。次いで父のチャールズ皇太子とカミラ妃も、3~4月にはイタリア、ルーマニア、オーストリアの各国を訪れた。


 チャールズの次男ヘンリ王子も、2018年5月にアメリカの女優メーガン・マークルと「結婚式」を挙げて世界中から注目を集めたわずか2ヵ月後には、アイルランドへと旅立った。先にも記したとおり、北アイルランドを有する英国がEUから離脱するとなると、今までのようにヒト・モノ・カネがアイルランドから自由に入り込むのは難しくなる。だからといって国境線に巨大な壁を建設するわけにもいくまい。今回の離脱交渉で英国との間に難問を抱えるアイルランドへ「人気者」の2人が向かえば、大統領から市民に至るまで大歓迎である。もちろんお2人には政府高官や外交官たちが随行し、相手国の高官や外交官と粘り強い交渉をおこなうことになる。


 こうした政府や外交官による交渉を「ハードの政治外交」と位置づけるならば、王室が担うのは「ソフトの政治外交」ということになろう。実際に国家間で条約や協定などを結ぶのはハードの仕事であるが、ハードとハードというのはとかくぶつかりやすい。そこで役立つのがソフトの存在である。現実の政治外交には直接的な「権力(パワー)」を及ぼすことはできないかもしれないが、両国間の話し合いの場を設ける際に「影響力(インフルエンス)」を与えるソフトの存在が介するだけで、交渉の雰囲気は大きく変わるのだ。


 2017~18年にかけて女王の子どもや孫たちが総動員でEU加盟国を軒並み回っている。それはついに「曽孫」の世代にまで及んだ。2017年夏には、EUの大黒柱ドイツとポーランドをウィリアム王子とキャサリン妃が歴訪したが、お2人の傍らには3歳のジョージ王子と2歳のシャーロット王女の姿もあった。当然ながらご一家は各地で歓待を受け、ご用繁多のメルケル独首相まで出迎えに現れた。それはまた英国の「王室外交」が、幼い年齢から王族たちの身に染みこんでいることの表れでもあった。


 他方で、王室の支柱である女王陛下も負けてはいられない。すでに90を超えた女王は、外遊は子や孫たちに任せ、英国を国賓として訪れる首脳たちの接遇に努めた。2017年にはジブラルタル領有問題でこれまた問題山積のスペインからフェリペ六世国王夫妻が、18年には欧州経済共同体(EEC)時代からの原加盟国オランダからウィレム・アレクサンダー国王夫妻が相次いで訪英した。女王は両王に英国最高位のガーター勲章も授与し、「異例の」歓待ぶりを示したのである。


 こうして英国議会が離脱協定案をめぐりの論争を繰り返すのを尻目に、王室は政府がEU加盟国と個々に折衝を行う際に、積極的に協力を続けていたのだ。

コモンウェルスとのきずな

 現在の英国の貿易相手国としてアメリカ、中国に加え、ドイツを筆頭とするEU加盟国が上位を占めている。そのEUから離脱するともなれば、今後の英国経済はどうなるのか。


 かつて第二次世界大戦の英雄ウィンストン・チャーチルは、米ソ二大国の時代に突入した戦後国際政治のなかで英国が一定の影響力をふるえるとすれば、英国が歴史的に培ってきた「三つのサークル」の中央に位置できる利点にあると喝破した。それは大英帝国時代からの旧植民地や自治領などからなるコモンウェルス(英連邦)、二度の世界大戦でも同盟関係にあり同じ言語(英語)や文化など「特別な関係」で結ばれているアメリカ合衆国、そして地理的に位置するヨーロッパである。


 しかし、英国が欧州共同体(EC)に加盟した1970年代頃からは、政治・経済的な結びつきから考えると、コモンウェルスの比重は相対的に下がり、英国はアメリカとヨーロッパの間で揺れ動くことが多くなった。このためマーガレット・サッチャーやトニー・ブレアをはじめ、歴代の首相たちはコモンウェルスをあからさまに軽視したり、ほとんど関心を示さなかったりした。


 こうしたなかで英国とコモンウェルスとのきずなを保ち続けたのが、女王陛下を中核とする王室だった。1949年の発足当時は8ヵ国からなる小さな共同体だったものが、いまや53ヵ国からなり、人口でいえば地球の3分の1(約24億人)を占める巨大なネットワークを築いている。英国の国際的な地位が低下した1971年からは加盟国が輪番制でホストを務め、2年に一度ずつ開催されるコモンウェルス諸国首脳会議(CHOGM)により、共同体としての団結を強めている。この団結のおかげで、悪名高い南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)も廃止に追い込むことができたのだ。その陰にはコモンウェルスの首長としてのエリザベス女王の姿もあった。


 女王はこのCHOGMに毎回出席し、各国首脳と同じ時間ずつ個別に会見の場を設けている。彼女は事前に英国外務省から情報を得ており、英国を除いた52ヵ国の現状について驚くほどの知識を有している。このため首脳たちは毎回、女王陛下との謁見を楽しみにしており、時には英国政府には直接言えないような悩みも打ち明けているといわれる。


 即位直後から70年近くにわたりコモンウェルスの首長を務めてきた女王は、英国政府がコモンウェルスに重きを置かなくなってからも、このCHOGMや自身の記念行事(在位50年や60年など)を通じて各国を歴訪し、また王族たちを毎年派遣している。


 英国がEUから離脱し、加盟諸国と個々に条約や協定を結ぶとしても、今後の英国にとってコモンウェルス諸国との交易が重要性を増すのは明確であろう。2018年4月にはロンドンを舞台にCHOGMが開かれたが、このときは92歳を迎えるエリザベス女王の「後継首長」を誰にするかも首脳間で協議された。コモンウェルスの首長は世襲ではない。女王自身も彼女の即位当時の各国首脳たちの話し合いの結果、首長に選出されていた。ロンドンでの協議により、女王没後の首長としてチャールズ皇太子が満場一致で選ばれた。


 チャールズはすでに2013年にスリランカで行われたCHOGMの際に、高齢のため遠距離での会議には赴けなくなった女王の名代としてこれに出席し、見事に首長の代行を果たしていた。さらに今回のロンドンでのCHOGMでは、さすがに女王がすべての首脳たちと会見を果たすことはできないので、チャールズをはじめ、その息子のウィリアム、ヘンリ、妹のアン、そして弟のアンドリューといった具合にこれまた家族総動員で各国首脳たちと同じ時間ずつ会見を行い、彼ら王族たちは各国の現状をしっかりと把握した。


 2019年にも、9月にヘンリとメーガン(南アフリカ)、10月にウィリアムとキャサリン(パキスタン)、11月にチャールズとカミラ(ニュージーランド)といった具合に、英国王族によるコモンウェルス諸国歴訪の旅は続けられている。

連合王国の紐帯として

 ブレグジットが英国に与えた余波は対外的な問題に限ったことではない。さらに深刻なのが国内に「分断」の恐れが出てきたことである。


 2016年6月のEU離脱をめぐる国民投票では、英国全体で離脱派が52%、残留派が48%と僅差での離脱が決定したわけであるが、これは人口の大半を占めるイングランド(並びにウェールズ)の投票結果を受けての数字であった。人口的にはイングランドの10分の1に満たないスコットランド(約540万人)では、逆に離脱派が38%、残留派が62%と、EUへの残留を望んだ住民が圧倒的に多かったのである。


 スコットランドでは、ブレア政権による権限委譲政策の推進で1999年に独自議会が開設されて以来、英国からの独立を望むスコットランド国民党(SNP)が徐々に勢力を伸ばし、2011年にはついに単独過半数まで獲得して、党首のアレックス・サモンドが「首相」に就いた。それと同時に英国のデイヴィッド・キャメロン首相からも合意を取り付け、2014年9月に英国からの独立の是非を問う住民投票を実施した。


 結果は、英国への残留派(55%)が独立派(45%)を10ポイントも上回り、独立を果たすことはできなかった。責任を取って辞任したサモンドの後任には、女性初の首相であるニコラ・スタージョン(SNP)が選ばれた。彼女も筋金入りの独立派だ。そして2年後(2016年)に迎えたEU離脱をめぐる国民投票の結果に、スコットランドの住民の多くは納得がいかなかった。今やIT産業の拠点となっている同地域ではEUとの取引は不可欠である。さらに長年自分たちを「見下してきた」イングランドへの憎悪もあろう。


 スタージョン首相は2019年12月の総選挙の結果も受け(スコットランド選挙区ではSNPが全議席の8割近くを獲得)、20年1月末にEU離脱が正式に決まった後に再び住民投票で英国からの独立を問いかけたいと宣言している。ここでもし独立派が大勢を占めてしまったら、英国は分断されてしまうのか。


 ところが、独立派の急先鋒であるサモンドにしろスタージョンにしろ、万一独立が決まったとしても新生スコットランドは「共和国」ではなく、「王国」にするとも明言してきている。その君主にはもちろんエリザベス女王を「エリザベス一世(スコットランド史上にエリザベスという名の王は存在しなかったので)」として擁するつもりである。サモンドに言わせれば英国王室は「安定、伝統、継続」という特別な価値が付随する存在で、スコットランド独立派にとっても支柱となる存在なのである。


 エリザベス女王の母(クイーンマザー)はスコットランドの名門貴族の出身であり、女王にはスコットランドの血が半分流れているのだ。チャールズもスコットランドの高校で学び、ウィリアムとキャサリンに至ってはスコットランドの名門セント・アンドリューズ大学の卒業生である。そして彼ら英国王族は、イングランドやウェールズの爵位も有するが、彼らがスコットランドにいるときはロスシー公爵(チャールズ)、ストラザーン伯爵(ウィリアム)、ダンバートン伯爵(ヘンリ)という同地の爵位名で呼ばれている。


 このあたりが連合王国としての英国王室に特有の歴史に基づく慣習と言えようか。エリザベス女王は、1707年4月以前のようなイングランド王国とスコットランド王国とを「同君連合」で結ぶ紐帯になりうる。スコットランドもまさかイングランドと完全に袂を分かつことまでは考えていない。そのようなときに女王と王室は両国を結ぶ大切な媒介となるのである。同様のことは、やはりEU離脱をめぐる国民投票の際に残留派が多数を占めていた北アイルランド(56%)やジブラルタル(96%)にもあてはまるだろう。


 2020年1月に、ヘンリ王子とメーガン妃が突然王室から離れて活動することを発表したが、兄のウィリアム王子夫妻や皇太子夫妻などによって、今後も王室は「ソフト」の側面から英国を支えていくことになるだろう。


 これからが真の正念場を迎える英国の進路にとって、21世紀の現代では「時代遅れの代物」と考えられがちな、中世以来の王室こそが実は重要な役割を担いうるのではないだろうか。今後の英国の動向にさらに注目していきたい。


(『中央公論』2020年4月号より)

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◆君塚直隆(きみづかなおたか)

1967年東京都生まれ。立教大学文学部卒業、英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院博士後期課程修了。博士(史学)。専門はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』『ヨーロッパ近代史』、近著に『エリザベス女王』(中公新書)などがある。