日本を代表する元・国際公務員が明かす なぜ中国寄り?WHOの正体

赤阪清隆(あかさかきよたか)

中国のプレゼンス

――中国は「一帯一路」戦略でアフリカ諸国に投資を行い、テドロス・アダノムWHO事務局長(2017年就任)の出身国エチオピアも例外ではなく、そのため中国に忖度している─そういう臆測を見聞きします。


 テドロス氏個人のことについてはわかりませんが、WHOとしては中国を敵に回すことはできません。というのは、いまや分担金は世界第2位、感染症に対する自発的な拠出金も中国から多額を受け取っています。敵に回すと資金的な協力がストップしてしまう恐れがあるのです。


 これは国連本部にも当てはまりますが、トップが一期目に気をつけるべきことは常任理事国の五大国を怒らせないようにすること。なぜならトップ人事の拒否権を持つ五大国は、二期目の続投の可否を決める立場にあるからです。実際、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長(1992~96年)はアメリカに二期目を阻止されました。


 WHOのトップは執行理事会のメンバーが選ぶため、五大国の拒否権はありません。ですが、中国を怒らせて益するところはない。テドロス氏と事務局長選挙を争って敗れたイギリスのデビッド・ナバロ氏も、「テドロスはよくやっている。中国を公の場で批判しても何の得にもならない」と語っていました。


 WHOの事務局長選挙は、熾烈な争いです。これまでは在外公館を使って票を獲得するのが巧みな日本や韓国がトップの座を射止めてきましたが、いまや中国が経済的に支援しているアフリカの票を集めることは容易で、有利な立場にあります。


 また、WHOのトップを補佐する事務局長補(Assistant Director-General)が10人ほどいて、その中に中国人が1人いますから、WHOは中国から監視されていると言ってもいいでしょうね。


――いま国際機関において、中国はどのような存在感を示していますか。


 中国は現在、マルチ(多国間)の国際体制から離脱しようとしているわけではなく、むしろ逆にアメリカに代わってリーダー役を買って出ています。WTOが典型です。トランプ政権が自国第一の姿勢をとっていることをこれ幸いとしているのでしょう。また、中国にとって学びの機会が多い機関には、積極的に参加しています。こちらはOECDが典型で、税制、金融政策の蓄積は中国にとって有益です。


 さらに各所で言われているように、中国はアメリカや西側諸国の手が届かないところで国際機関に対する影響力を高めているのです。現在、FAO(国連食糧農業機関)、UNIDO(国連工業開発機関)、ICAO(国際民間航空機関)、ITU(国際電気通信連合)で中国人がトップを占めています。これらは西側諸国が重視していない機関ですが、そこを狙って続々とトップを送り込んでいるのです。先日も『日本経済新聞』(二月十五日付)が「国連機関、紅色に染めるな」、『読売新聞』(2月23日付)も「国連機関トップ中国攻勢」と警鐘を鳴らしていたように、WIPO(世界知的所有権機関)のトップの座も狙っているようです。


 他方で、中国が邪魔されたくないテーマ、たとえば開発政策、アフリカに対する援助についてはOECDから相談をもちかけられても中国は応じません。つまり、中国は"良いとこ取り"なんです。


 目下、中国はWHOを重視していると思います。なぜなら習近平が自ら実績をアピールしても世界は信用しませんが、WHOが中国の対応を褒めれば公的なお墨付きを得られたことになるからです。もちろん中国のみならず、どの国であれ、自国の政策を正当化するために国際機関を利用しており、中国だけを批判するのは当たりませんが。


――WHOは台湾を年次総会から締め出してきましたが、今回、専門家会合への参加を認めましたね。


 中国は台湾が国際機関に参加することに対して神経をとがらせていますが、これは中台関係に限らず、しばしば国際機関が、先鋭化する対立の舞台になるケースがあります。
 たとえばUNESCO(国連教育科学文化機関)がパレスチナの加盟を2011年に認めた際には、アメリカが反発して拠出金をストップし、ついに17年にはイスラエルとともに脱退しました。そういう状況をふまえると、今回、台湾が専門家会合に参加するのは大きな出来事です。コロナウイルスには台湾も大きな影響を受けますし、WHOだって台湾から情報を得たいでしょうし。

WHOとテドロス事務局長の実力

――WHOの新型コロナウイルスへの対応をどのように評価しますか。  実は2014年にエボラ熱が流行した際、WHOは厳しく批判を受けたのですが、今回は迅速に動いていると思います。


 2014年の経緯について補足しておきましょう。西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネでエボラ熱が発生した際、WHOは上層部に報告が上がっていたにもかかわらず、現場に任せきりにしていたのです。死者だけで一万人を超え、WHOは初動の対応のまずさを当時のマーガレット・チャン事務局長が批判され、失敗を認めたのです。


 今回はそれを教訓にしたのか、初動の段階では評価は悪くなかったと思います。たとえば日本版『ニューズウィーク』(1月28日号)では「中国の肺炎対策は(今のところ)合格点」と題した記事を載せています(ダニエル・ルーシー、アニー・スパロウ著)。


――WHOは1月22~23日の緊急委員会で見送った「国際的な公衆衛生上の緊急事態」の宣言を30日に行いましたが、発令が遅かったという批判がありますね。


 1月30日のテドロス氏の記者会見を私は何度もユーチューブで見返しましたが、一言で言うとひどい会見です。事実を伝えているのではなく、「中国は称賛されるべきだ。中国の取った迅速な措置は国際的なスタンダードになるべき模範的なものだ」などと中国を褒めそやしているからです。あの記者会見に対しては、なぜこれほどまで中国寄りなのか、と欧米や日本のジャーナリズムで批判が巻き起こりました。


 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を務める尾身茂元WHO西太平洋事務局長も「テドロス・アダノム事務局長は中国をよくやっていると称賛したが、それに加えて『ただし武漢の対応は遅すぎた。残念だった』と言うべきだった」(2月13日の日本記者クラブでの会見)と指摘したように、武漢の初動対応の遅れが世界にコロナウイルスを広める原因となったにもかかわらず、武漢当局の対応についてテドロス氏はいっさい言及していませんでした。


 この頃、中国について「武漢に情報があったにもかかわらず抑えてしまった」と報じた英国誌『エコノミスト』(2月1日付)のように、武漢の官僚を批判する声は高まっていました。


 記者会見のもう一つの問題点は、中国への「渡航や貿易の制限は推奨しない」と言明したことです。これが「中国はうまくやっている。感染は封じ込められるだろう」という間違った印象を与え、世論をミスリードしてしまった。


 さらに、WHOのテクニカル・エージェントとしての信頼を損ねてしまったと思います。


 国際機関でメディアトレーニングを何度か受けた私の経験から評価すると、テドロス氏は十分なメディアトレーニングを受けていないようです。まず会見前に知り合いの記者と軽口をたたいていましたが、これでは真剣度が伝わりません。そしてテクニカルな話題と、中国の対応についての印象を一緒くたにしてしまったことが大きな問題です。


 今回のように世界が注目する事態では、本来、報道担当官や局長にテクニカルな面を説明させる。なにしろWHOのプロフェッショナル職員のほとんどが公衆衛生の博士号を持っているのですから。専門性こそがWHOの強みのはずです。そのうえで、後で機会があれば事務局長が出てくればよかった。


 概してトップはテクニカルな面を熟知していないものです。テドロス氏も医師ではなく、エチオピアで保健大臣、外務大臣を歴任した人であり、政治的な判断はできても、コロナウイルスについて適切に説明できる専門性においては、プロフェッショナル職員にはかないません。 「悪魔は細部に宿る」と言います。細部になればなるほど悪魔が出てくる。トップの発言は訂正できず、影響力は甚大と知るべきです。


 ただし、今回WHO事務局長が記者会見に何度も登場している理由として考えられるのは、先述した2014年の教訓をふまえてのことと思われます。マーガレット・チャン前事務局長は一部の記者しか相手にしないと批判を浴びていたのです。


 繰り返しますが、WHOの対応は2014年に比べれば評価できるものの、しかしやはり、会見はテクニカルな情報に止めるべきでした。

日本よ、国際機関のトップを狙え

――日本に話題を転じますが、今回の政府の対応をどう評価しますか。


 アメリカが横浜港に停泊したクルーズ船の自国民を救出したニュースは、BBCがトップで報じました。日本への関心が高まっているのに国際的に情報を発信しないと、推測記事が出て「日本はウイルスが蔓延している」などと風評が広がる恐れがあります。被害を防ぐため、データにもとづいた正確な情報─重症患者に病院がどう対応しているのか、政府がどのような手を打っているのか─を伝えるべきです。


 私たちフォーリン・プレスセンターも海外メディア向けに、専門家による記者会見の場を設けていますが、外務省も厚労省も積極的に透明性を確保していく必要があるでしょうね。


――著書『国際機関で見た「世界のエリート」の正体』で赤阪さんは、国際機関で働く日本人が少ないことが国益を損ねていると力説していました。WHOの内部で、日本の立場を説明できているのでしょうか。


 WHOには現在、59名の日本人が在籍しています。そのうちいわゆるキャリアのプロフェッショナル職員が49名、そのうち4分の1ほどが厚労省からの出向組です。
 幹部には事務局長補に、厚労省出身の山本尚子氏が就いていますが、感染症対策の担当ではありません。


 こういう時に幹部に日本人がいるのといないのとでは、全然違います。たとえば福島第一原子力発電所の事故の際、ちょうど天野之弥氏がIAEA(国際原子力機関)事務局長(2009~19年)でしたから、日本はずいぶん彼を頼りにしました。また、緒方貞子氏が国連難民高等弁務官(UNHCR、1990~2000年)に就任した際、日本は予算を付けて難民対策に取り組んでいる姿勢を、緒方さんの顔を通じて印象づけることに成功しました。


 私が国連で直接仕えた韓国の潘基文事務総長(2007~16年)は自国寄りだと批判されましたが、当時の李明博大統領と緊密に連絡を取り合ったり、スピーチで韓国を小ネタに使ったりして、自国のイメージ向上に貢献していました。


 国際公務員、なかんずくそのトップが出身国に多大な利益を及ぼしていることは疑う余地がありません。


 ところが、他国に比べて、日本は、国際公務員を自国の国益増進のために活用するという戦略をあまり持ち合わせていないのです。


 残念なことに、いま国際機関、あるいは国連の計画・基金にも日本人のトップがいません。かつては天野氏、緒方氏のほかにも松浦晃一郎氏がUNESCO事務局長(1999~2009年)、内海善雄氏がITU事務総局長(1999~2007年)と、並び立っていましたが、ここ十数年ほどは誰もいなくなってしまった。


 人材がいないわけではありません。先ほどの山本尚子氏や、国連本部の中満泉氏は有望です。ところが、中満氏が軍縮担当の事務次長を務めているのに対して、政務関係はアメリカ、PKOはフランス、人道支援はイギリスが握って手放さないのです。アメリカはメリットが大きいWBG(世界銀行)、UNICEF(国連児童基金)、WFP(国連世界食糧計画)においても、トップの座を明け渡しません。


 この状況を考えると、日本がWHOのトップを独占して何が悪いというのでしょう。中嶋元事務局長に続き、WHOのトップを狙うべきだと思います。国際機関のトップ人事は、総理官邸に司令部を置いて取り組むべき課題ではないでしょうか。



(『中央公論』2020年4月号より)

赤阪清隆(あかさかきよたか)
1948年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学にて経済学学士及び修士号取得。71年に外務省入省。GATT事務局、WHO事務局、国連日本政府代表部大使、OECD事務次長、国連広報担当事務次長などを歴任。2012年8月より現職。著書に『国際機関で見た「世界のエリート」の正体』など。

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