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大坂なおみが問いかけたBLM 全米テニス優勝の裏側で

渡邊裕子(コンサルタント・ライター)

 九月十二日、大坂なおみ選手が、全米オープンテニス女子シングルスで、二度目の優勝を果たした。大坂選手がグランドスラム・タイトルを獲得したのは、今回で三度目だ。

 決勝戦の相手は、元世界ランキング一位のビクトリア・アザレンカ選手。大坂選手は前半全く調子が出ず、第一セットを落としたが、後半見事に挽回し、逆転勝ちした。決勝戦で第一セットを落としたにもかかわらず優勝した女性選手は二六年ぶりで、それも話題になった。

 翌十三日の『ニューヨーク・タイムズ』は、大きな写真を掲載し、二面にわたって彼女を称えた。記事の題は、「コートの中でも外でも活躍した大坂なおみが全米オープンに優勝」。政治家、スポーツ選手を含め日本人の顔がここまで大きく同紙に掲載されたことは記憶にない。

 米国での報道の圧倒的多数は、彼女の「コートの外」での発言や行動を、試合の結果と同等に称えていた。スポーツ専門チャンネル「ESPN」は「優勝トロフィーを手に入れるより遥かに大きなこと」と報じ、全米オープン自身も、公式サイトに「アスリートとして、そしてアクティビストとして、大坂なおみはチャンピオンである」というヘッドラインを載せている。

 スポーツ界、そして社会における大坂選手の影響力、また、人々が彼女を見る目が大きく変わった。今、彼女は、「能力の高い選手」から、「尊敬されるアスリート」になったと言えるのではないだろうか。

アスリートである前に、一人の黒人女性として

 周知の通り、いま全米で黒人差別に対する抗議運動、「Black Lives Matter」(BLM)が巻き起こっている。この運動は、二〇一二年に当時十七歳のトレイボン・マーティン氏が殺害されたことをきっかけに一三年から始まり、今日に至っている。そして、今回のBLMの発端となった五月末のジョージ・フロイド氏殺害事件後、大坂選手は抗議活動に参加すべく現地・ミネソタに飛び、SNS等でも人種差別に反対する意見を積極的に発信してきた。

 七月には『エスクァイア』誌に「ジョージ・フロイド事件の数日後に、大坂なおみがミネアポリスでデモに参加した理由」と付された文章が掲載された。彼女は、バイレイシャル(両親の人種が異なること)として育った経験、パンデミックによって「自分の人生に本当に重要なことは何か?」と改めて考える機会ができたこと、「私たちは、(BLMについて)当事者として考えるべき」と述べている。そして、「人種差別主義者ではない」ことだけでは不十分で、一人一人が「人種差別反対主義者」でなければならない、つまりどんな人種差別に対しても反対し、積極的に声を上げなくてはいけないと記している。

 八月二十六日、大坂選手は自身のツイッターにこう投稿した。

「私はアスリートである前に、黒人女性です。そして、一人の黒人女性として、私は、私のテニスを観てもらうことよりも、今すぐに関心を向けるべき、はるかに重要な問題があると感じています」

「テニスは、白人が多数を占めるスポーツです。そこにおいて、私が議論のきっかけを作ることができたなら、それは正しい方向への一歩と言えるでしょう」

「黒人がいつまでも警察の手によって虐殺され続けるのを見るのは、正直言って、もううんざりです」

 事実上、全米オープンの前哨戦であるウエスタン・アンド・サザン・オープン準決勝戦の欠場の意思表明だった。これは、八月二十三日にウィスコンシン州でジェイコブ・ブレーク氏が背後から七回にわたり撃たれたことを受けての抗議行動だった。日本の報道では「棄権」と訳されることが多かったが、英語メディアでは、「ボイコット(boycott)」と表現され、「棄権(withdrawal)」とはニュアンスが異なる。

 同時期、米プロ・バスケットボール(NBA)、大リーグ(MLB)などでも、ボイコットが広がっていった。全米テニス協会(USTA)は、大坂選手のボイコット宣言後、二十七日に予定されていた男女すべての試合の順延を決定。そして「テニス界は結束して、人種差別や社会的不公正と対峙する」と、黒人差別への抗議の意思を示した。これをうけ、女子テニス協会などが大坂選手に対して再び出場するように要請し、大坂選手もボイコットを撤回した。

 グランドスラムでは、その行動規範規則により、選手が試合において社会的メッセージのある着衣を身に着けることをこれまで許していなかった。しかし、今回の全米オープンでは初めてそれが許可された。USTAは、「人種間の平等を推進することに取り組んでいます。(中略)今の時代、選手たちが自身の信条をコート上でも表現できる機会を与えられるべきだと考えました」としている。

 そして大坂選手は、試合ごとに、近年殺害された七人の黒人犠牲者の名前を記した七種類のマスクを着けて登場。優勝後のインタビューでは、レポーターの「七枚のマスクを通じてどんなメッセージを伝えたかったのですか?」との問いに、「あなた自身は、どんなメッセージを受けとりましたか?」と逆質問し、それがまた話題になった。

 

〔『中央公論』2020年11月号より一部抜粋〕

渡邊裕子(コンサルタント・ライター)
〔わたなべゆうこ〕
神奈川県出身。早稲田大学卒業、マサチューセッツ州立大学修士課程修了、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修士課程修了。1993年渡米、96年よりニューヨーク在住。米コンサルティング会社Eurasia Groupで日本営業チームの初代ディレクターを務め、2019年コンサルティング会社HSW Japanを設立。複数企業の日本戦略アドバイザーを務める傍ら、執筆活動も行う。