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今はきっと人間としての機能を鍛える時期

ヤマザキマリがたちどまって気づいたこととは
ヤマザキマリ
世界派の漫画家は”強制停止”の日々で何を見出した?
 漫画を描く合間を縫って、常に国内外を旅してきた漫画家で文筆家・ヤマザキマリ氏。1年のうち半分を東京で、残りを夫の実家であるイタリアで過ごしてきたが、コロナ禍では約10カ月東京の自宅に閉じこもることを余儀なくされてきた。しかしそのヤマザキ氏曰く、この自粛期間を「人間としての機能を鍛えるべき時期」と前向きにとらえているそうで――

※本稿は『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋、再編成したものです。

たちどまることを余儀なくされて

 私は家にこもって漫画を描く仕事をする一方で、国内外のいろんなところをこれまで転々と訪れてきました。旅というインプットがあってこそ、漫画などでのアウトプットができていたので、一ヵ所にずっと止まっていると栄養失調の危機感を覚えてしまうのです。

 パンデミックで旅に出ることを封じられ、私はたちどまることを余儀なくされました。そんなふうに行き場をなくしたエネルギーをもて余しているのは、この状況下で私だけではないはずでしょう。

 では、そのエネルギーをどう生かせばいいか。

 私は外出自粛が始まってしばらく経ったあと、これはこれで普段考えたり実践できないことを経験するチャンスであるということに気がつきました。

なぜ私には"アウェイ感"が必要だったのか

 自分の知らない土地へ出向いたときに感じる"アウェイ"という感覚が、私の日常にとっては必要不可欠なものでした。

 自分と縁もゆかりもない土地へ赴けば、私はよそ者以外の何者でもなく、現地の人たちに「馴染む」しかないという状況になります。

 この、馴染むしかない状況と正面から向き合うことで、その地で体験することが自分の血肉になる実感もありますし、何より、地球から「一定の範囲に生息しているだけで、地球のすべてをわかったつもりになって、 自惚(うぬぼ)れるんじゃない」と挑発されているようなあの感覚は、地球と馴染める生物になりたいという潜在意識の願望から芽生えてくるものなのかもしれません。

 様々な土地に行き、自分の固定観念を脇に置いて、いろんな人の習慣や考え方を理解するよう心がける。

 それを試みているとき「ああ、自分はこの地球でもっと"広く"生きていけるかもしれない」と思えてくるのです。

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 そもそも、地球の表層に様々な敷居をつくって人類の生息地域を分類化し、メンタル面における民族という概念をつくり出したのは人間であって、地球の意図ではない。

 地球という惑星に生まれた生き物として、そんな人間社会の構造がもどかしくなることもあります。

 たとえば海外を旅しているときはいつも、自分自身という意識を払拭して行動したいと考えます。何者でもない、地球上を流動体のように彷徨(さまよ)っていろいろな地域の有り様を観察したい。

「ヤマザキさんって人間が本当に好きなんですね」と言われることがありますが、人間は好きだとか嫌いだとかという視点で接するものではないと思っています。

 種族としての人類を苦手だと思うことはあっても、特化して人間万歳、人間大好き、などと感じることはまったくありません。

 犬や猫がそれぞれのコミュニティに属するように、私も人類のコミュニティに属していることを自覚している。それだけです。私にとって人間は昆虫や植生や地質と同じ、地球の"有り様"なのです。

旅が地球の奥深さを見せてくれる

 ですが、カブトムシや猫とは同種族としての経験を共有することはできません。一方でコミュニケーションの取れる人類とは黙っていても集う機会が増えます。

 実際、友人たちと食事なんかしていると、しゃべることは大抵他愛もない、どうでもいいようなネタだったりしますが、それもまた私にとっては人間の心理を知るうえで興味深い。どんな些細なことも、考察をすると思いがけない発見があるからです。

 旅が面白いのは、多様な文化圏の、多様な習慣をもった人間と接していると、彼らの背景にある歴史や地域性を通じて、地球の奥深い側面がどんどん顕(あらわ)になっていくから。

 日本では「東大を卒業して一流企業に就職しました」と言えば自動的に付く箔も、たとえばニューギニア島の山奥の部族には何の意味もなしません。

 後天的に情報として身に付けたものに意識を囚われないようにするためにも、ものの見方を常にデフォルト状態に保つためにも、旅でその土地の人と関わることは、人類の性質を知るうえでとても大切なことなのです。

 旅という手段によって、人間として本来備えもっているはずの機能を鍛えたくなるこの気持ちは、私にとっての本能的な欲求と捉えています。

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 そして、人間という生き物には知性という要素が備わっています。ただ、この知性というものは扱いがなかなか難しく、多くの人は鍛えることを怠ってしまう。

 以前そんな話を友人としていたら「ということは、マリはこの世の人間はみなブッダになればいいと思ってるわけ?」と笑われたことがありますが、たしかに、もしみんながブッダ的悟りを得たら、人間社会は様々な欲求をめぐる争い事が少なくなり、自然環境の破壊も止まるかもしれません。

今は人間としての機能を鍛えるとき

 私はしかし、そういうことを言っているのではないのです。

 植物や昆虫やその他の動物が、生まれたときから備えている機能を100%駆使してこの地球で生きているのだとしたら、人類は果たしてどうなのか。

 知性は鍛えたからと言って100%という到達点があるものとも思えませんが、それにしてもあまりにもこの世には自らの思考力という機能を甘やかし、怠惰にし、そんな中途半端な状態でも、自負や虚栄で自分を固めて生きている人が多すぎるんじゃないかと多々思うのです。

 旅では、そういった人類の知性の多様さも知ることができる。宗教や、環境、そして教養が生み出す価値観も果てしなく多様であることを知り、安心することもできる。知性にもアウェイがあることを知って、地球の広さがわかる。

 それが私の旅でのメリットなのですが、自粛期間は旅の代わりに、今まで以上に本を読んだり映画を観たり、考え事をすることに時間を費やすことで、それなりの充足感を得られています。

 それに加えて、今の私のように家族や友人など他者と過ごす時間が少なくなれば、自分の考えを他者の言葉に置き換えたり、すり換えたりしてしまうことは減り、「自分の考えを自分の言葉で言語化する」という技がいつにも増して鍛えられていく。

 こんなことも、今みたいな状況でなければなかなかできないことだと思います。

たちどまって考える

ヤマザキマリ

パンデミックを前にあらゆるものが停滞し、動きをとめた世界。世界を駆ける漫画家・ヤマザキマリさんもこれほど長期間、家に閉じこもって自分や社会と向き合った経験はありませんでした。しかしそこで深く考えた結果、「今たちどまることが、実は私たちには必要だったのかもしれない」という想いにたどり着いています。この先世界は、日本はどう変わる? 黒死病からルネサンスが開花したように、また新しい何かが生まれるのか? 混とんとする毎日のなか、それでも力強く生きていくために必要なものとは? 自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて。さあ、あなただけの人生を進め!

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ヤマザキマリ
東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞 受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。