中国は国際秩序を壊してしまうのか

時評2010
細谷雄一(国際政治学者)

 何かおかしなことになっている。そして漠然とした不安が日本を覆っている。それはおそらく、中国が急速に擡頭し、従来にもまして強硬な対日姿勢を示すなかで、日本の経済が萎縮し活力を失いつつあることに大きな原因があるのであろう。憂鬱な状況だ。本来であれば日米同盟を強化してそのような将来の不安に対応すべきだろうが、普天間基地移設問題や思いやり予算削減問題をめぐって、むしろその絆が弱まっている。また日本経済が中国に対して極端に脆弱であることが、ますます日本の将来を憂鬱にさせる。どうしたらよいのだろうか。

 今何が起こっているのかを世界史的な視座から考えてみよう。現在進んでいる事態は、国際秩序の構造的な変動である。一世紀ほど前に国際政治の舞台で、アメリカと日本という二つの非ヨーロッパの大国が擡頭した。このことが当時の国際秩序に大きな衝撃を与えた。

 まず一八九八年に起こった米西戦争によって、アメリカはスペインを倒して西半球で確固たる地位を築いた。さらに一九〇四年に始まった日露戦争において、新興国日本がヨーロッパの陸軍大国ロシアに勝利した。もはやヨーロッパの大国のみでは、国際政治を動かすことができなくなった。

 それはヨーロッパにとって、巨大な危機であった。シュペングラーの『西洋の没落』が広く読まれたのも、この少し後の時代だ。第一次世界大戦は、ドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国という三つの巨大な帝国を崩壊させた。しかしもはや英仏両国のみでは平和を維持することはできなくなっていた。「アメリカの世紀」、そして米ソ間のイデオロギー対立としての冷戦の時代が始まろうとしていたのだ。

 それから一世紀ほどが経とうとしている。今ある新しい変化は、より巨大な地殻変動となる可能性がある。それは、西洋文明がもはや世界の中心ではなくなり、非西洋文明が大きな力を持つ世界である。一六八三年のオスマン帝国のウィーン包囲が失敗に終わると、力関係が逆転してそれ以後はむしろヨーロッパの力がオスマン帝国へと浸透していった。それから三〇〇年ほど西洋が圧倒的な覇権を持つ時代が続いた。その間にイスラム教のオスマン帝国が衰退し、また少し遅れてアジアでは清朝の中国が西洋諸国に侵略されていく。ところがそのような流れが現在、逆転しはじめた。もうしばらくすれば、世界の経済大国の上位四ヵ国はアメリカ、中国、日本、そしてインドとなるのだ。

 そのような西洋文明中心の国際秩序の崩壊を最初に引き起こしたのが、日本であった。第一次世界大戦後に「英米本意の平和主義」を批判する声が強くなり、反西洋的でアジア主義的な「大東亜新秩序」を主張するに至った。しかしその冒険主義は、敗戦という悲劇的な失敗に終わった。そして異なる道を歩み始めた。

 第二次世界大戦後の国際秩序は、そのような経緯もあって、非西洋諸国が主体的に参画できるような、そして国際平等主義を実現するような世界を目指すことになった。その理念は一九四一年八月の大西洋憲章においても明瞭に示されている。領土拡張への反対や、自由貿易体制の確立、民族自決などの理念である。そのような開放的で自由主義的な戦後世界のなかで、日本は高度成長の果実を満喫し、豊かで安定した市民社会を実現した。

 今中国が挑戦しつつあるのは、このような戦後のリベラルな国際秩序である。膨張主義的な領土拡張への欲求や、チベットなどでの民族自決の抑圧、そして公正な自由貿易体制への挑戦、さらには国内での民主主義の拒絶など、いくつもの点で戦後秩序の基盤を揺るがしつつある。日本にとって重要なのは、これまで日本が恩恵を受けてきた国際秩序と国際的規範を維持し、また少しずつ修正していくことであろう。

 日本は、そのようなリベラルな国際秩序のより奥深くまで、中国を導いていくべきだ。そもそも日本が長年にわたって対中経済援助を続けてきたのは、中国に豊かで安定した社会になってもらうためではなかったか。中国の経済成長、そしてアジアの擡頭は、戦後日本外交の挫折ではなくむしろその成功を物語るのである。今、国内的な混乱と国際的な孤立に苦しむ中国に罵声を浴びせて嘲笑するのではなく、正しい道を歩むよう謙虚に助言することこそ、「中国の脅威」を抑制するための優れた行動ではないか。

(了)

〔『中央公論』2012年12月号より〕

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