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会議は劇場、言葉が勝負する

戦争、外交交渉、そして国際会議
山崎正和(劇作家・評論家)

メッテルニヒと国際秩序の原理

 国際会議と聞いてまっ先に私の心に浮かぶのは、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された、あのウィーン会議である。この警句に材を採って、第二次大戦前に『会議は踊る』という映画がつくられ、一世を風靡したから知る人も多いだろう。「ただ一度だけ」、「ウィーンとワイン」などという名曲に乗って、ロシア皇帝とウィーンの小娘が繰り広げる恋模様は、まだ恋愛の意味もわからない幼時の私の夢をも擽ったものであった。

 もちろん映画の物語は荒唐無稽な創作にすぎなかったが、いま考えるとあれは案外、歴史上のウィーン会議の本質を示唆していたかもしれないという気がする。ナポレオン敗北後の混乱のなかで、欧州の秩序回復に腐心していたオーストリア宰相メッテルニヒにとって、野蛮なロシア皇帝の懐柔は重要な鍵の一つだったからである。なにしろナポレオン打倒の最大の転機をもたらしたのはロシアだったし、最後のパリ包囲戦の主力をなしていたのもロシア軍であった。祖国をナポレオンに蹂躙され、首都モスクワに火を放って抗戦したアレクサンドル一世にとって、報復の思いはだれよりも強かったにちがいない。

 これにたいして穏健な保守派だったメッテルニヒの胸裏には、諸国が併存して力の均衡を保つ伝統的な欧州像があった。諸国併存はE・L・ジョーンズが言うように欧州の本質的な特色だったし、とりわけウェストファリア条約以後は二百年近くの平和を守ってきた原則であった。もしロシア皇帝がこの伝統を破ってフランスを壊滅させ、欧州全体の地図を塗り替えるようなことがあれば、それはヨーロッパ文明の終焉を意味していた。

 そのうえメッテルニヒの頭痛の種は、もう一つ、新興軍事大国プロイセンの存在があった。これもまたのちにドイツ帝国形成をめざして、ナポレオン三世を屈服させたように、つねに欧州の現状変更を狙う力の信奉者であった。万一、戦後処理がフランスとロシアやプロイセンの一対一の交渉、二国間講和のかたちでおこなわれていれば、やはりフランスの分割や植民地化は避けられなかっただろう。

 こう考えるとメッテルニヒがウィーン会議を開き、いわゆる会議外交の道を選んだことの意味は大きかった。彼は現実主義的な英国を味方につけ、敗戦国の外相タレイランを招いたうえ、巧みにこれを対等な参加国代表のように遇することによって、交渉を剥きだしの力の対決にすることから守った。

 参加国は小さな公侯領を含めて百数十に上ったから、会議に時間がかかったのは当然だったし、それがメッテルニヒの狙いだったかもしれない。全体会議はついに開かれず、五大国の委員会が領土再編の調整にあたるあいだ、全代表はウィーンの文化的な雰囲気に浸って、夜ごとに晩餐会と舞踏会に耽ることになった。......

〔『中央公論』2012年6月号より〕