領土と歴史認識を巡るイメージの戦い

時評2013
村田晃嗣

 今年の夏は、記録的な猛暑と局所的な豪雨の連続として記憶されよう。それでも、何かと雑用が増える一方の大学教師にとっては、夏休みは調査や執筆の書き入れ時である(教師にとっても学生にとっても貴重なこの夏休みが、数年前からかなり短縮されてしまったことは、実に深刻である)。筆者も久しぶりに、台湾、沖縄、ワシントンを、国際会議やセミナーなどで歴訪した。日本(本州)以外から、日本の外交や安全保障を再考する格好の機会であった。

 まず、台湾である。八月四日に台北で東シナ海の平和と安定に関する国際会議があった。一年前のこの日に、台湾の馬英九総統が東シナ海平和構想を発表したのだという。主権問題では譲れないが利益は共有できるとの立場である。現に、去る四月に台湾は日台漁業協定に応じている。この種の機能別の協力を重ねようとする点で、尖閣問題をめぐっても、台湾は中国と同一歩調ではない。

 だが、尖閣問題をめぐる認識では、やはり厳しいものを感じた。あるアメリカ人の中国専門家が「尖閣諸島が中国のものであることは明らか」と主張したので、筆者がその根拠を問うたところ、何と鳩山元首相の発言が堂々と引用された。無責任な政治家の発言が、国際的なイメージ形成に利用されているとすれば、ゆゆしき問題である。よりバランスのとれたアメリカや台湾の専門家の中にも、日本が領土問題は存在しないと、尖閣諸島をめぐる議論を最初から否定していることを、教条的だと見る向きも少なくなかった。

 次いで、沖縄である。沖縄経済の基地への依存度は低下していると、地元の有識者の方々は言う。むしろ、普天間基地のような巨大な施設の存在が都市の再開発を妨げている。とすれば、戦略論だけではなく、また、補助金だけでもなく、バランスのとれた沖縄振興策を、本土と沖縄がともに構想することが、一層重要になっていよう。来年一月には名護市長選挙、十一月には沖縄県知事選挙である。それまでに、安倍内閣は堅実に沖縄との信頼関係を再構築していかなければならない。

 台湾海峡や朝鮮半島、東シナ海など、安全保障上のホットスポットと、沖縄は近接している。その沖縄に米軍基地を集中させることで、日本は日米同盟の負担を見えにくくしてきた。だが、尖閣諸島周辺をはじめ、中国の海洋進出が顕著になり、米中の力学にも微妙な変化が生じている。北朝鮮のミサイルも日本本土を射程に収めている。安全保障上の脅威に直接さらされるという意味で、今や日本全体が沖縄化しつつある。日米同盟維持のための負担について、日本全体がより自覚的でなければならない。

 さて、ワシントンである。参議院選挙後の安倍内閣の安定を、多くの日本専門家が期待し歓迎している。ただ、いくつかの懸念もあるようである。まず、TPP締結や消費税率引き上げのような重要課題で、安倍内閣が決めたことを果たせるかどうかである。問題が先送りされれば、国際的な信用を傷つけよう。第二に、歴史認識問題である。あるアジア専門家は、従軍慰安婦問題を提起した。東京とワシントンでは、論点がずれているという。東京では強制の有無や政府機関の関与という「入り口」に議論が集中しているが、ワシントンでは「出口」が問題にされている。つまり、いわゆる慰安婦たちが施設に来た経緯やどれだけの経済的見返りを受けていたかではなく、彼女たちが自由意思でそこを退去できたかどうかが争点だというのである。

 また、防衛計画の大綱の策定や集団的自衛権の見直しといった安倍内閣の積極的な政策は、アメリカ政府で概ね高く評価されているが、中国や韓国などアジア諸国との関係を担当する部局の中には、先の領土問題や歴史認識問題とも連動して、近隣諸国を刺激するのではないかという警戒感もあるようである。

 領土問題も歴史認識問題も、武力を行使する戦いではない(否、行使してはならない)。むしろ、イメージや言説を行使する戦いである。勇ましいことを言う政治家は少なくないが、これが戦いだという自覚に欠けるのではなかろうか。イメージや言説を武器にして戦う以上、相手が繰り出すイメージや言説を周到に分析して対策を講じなければならない。日本を取り巻く安全保障環境は、厳しさを増している。彼我の国力の冷徹な分析を欠いたまま、大和魂を呼号して敵を侮り、敗北した経験から、政治家も国民も改めて真摯に学ぶ必要があろう。
(了)

〔『中央公論』2013年10月号より〕

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