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ロシアがオバマを救ったという皮肉

時評2013
村田晃嗣

 外交の秋である。

 アメリカのオバマ大統領はシリア問題で苦境に陥った。内戦が長期化する中で、シリアのアサド政権が民間人に化学兵器を使用することは座視しがたい。シリアでは過去二年半で一〇万人以上が命を落としている。これはボスニア内戦の犠牲者とほぼ同数である。また、シリアから周辺諸国への避難民も二〇〇万人に上る。しかし、アメリカは中東からアジア太平洋に戦略の軸足を移そうとしている最中である。イラク戦争での失敗も繰り返せない。頼りのイギリスは軍事行動に踏み切れず、アメリカがシリアを攻撃する法的な根拠はない。議会も世論も軍事介入には消極的である。一方で道徳や人権という価値と、他方でパワーバランスと内政という拘束要因との葛藤である。

 それでもオバマ政権がシリアへの軍事介入に突入すれば、国内外の批判は大きく、しかも、限定的な空爆で事態が解決するわけでもない。アメリカは再び多大な国力を中東で消耗し、アジア太平洋への関与が低下するかもしれない。他方で、一度公言した軍事介入を撤回すれば、アメリカの軍事力に対するクレディビリティは失墜し、イランや北朝鮮、中国などを喜ばせよう。いずれにしても、アメリカにとっては甚だ困難な状況であり、実は、日本の安全保障にとっても不都合な状態であった。

 オバマをこの苦境から救ったのが、ロシアであった。アサド政権に化学兵器の放棄を迫るという妥協案を提起したのである。シリアに長年にわたって化学兵器を売却してきたのは当のロシアであるから、これは皮肉と言えば皮肉ではある。しかも、アサド政権による化学兵器の廃棄プロセスが簡単に進むわけでもない。それでも、議会で軍事介入を否決される屈辱やシリアでの長期的な地上戦に巻き込まれる危険から、オバマは辛うじて脱した。

 確かに、オバマ大統領の決断は中途半端で拙速であった。だが第一に、国際連合安全保障理事会の機能不全と無責任は、より深刻である。イラク戦争以降、アメリカの単独行動主義は散々批判されてきたし、オバマの外交もそうした批判の延長線上にある。だが、国連改革は一向に進んでいない。オバマを批判する前に、国際社会はこの点を大いに反省すべきであろう。

 第二に、アメリカによる軍事介入という威嚇なしには、ロシアは仲介には動かなかったであろう。その意味では、アメリカの軍事力のクレディビリティは働いていたのである。

 そして第三は、より広い視点が必要だということである。シリアやエジプト、イラク、イランと個別の対処には限界がある。中東全域で、スンニ派とシーア派の対立が深刻化することを阻止しなければならない。その意味で、シーア派を代表するイランへの外交的な働きかけが、一層重要になるのかもしれない。

 オバマ外交が態勢を立て直すには、まず内政の安定が必要である。そのためにも、連邦準備制度理事会(FRB)の次期議長人事でこれ以上の混乱は避けたい。また、十月初旬にはオバマ大統領がアジア諸国を歴訪する。アジア重視戦略に揺れが生じた今日、アジア諸国との全体的な政策調整をおこない、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉を合意に向けて前進させなければならない。

 日本では、七月の参議院選挙でねじれ国会が解消し、九月には二〇二〇年の東京オリンピック開催も決まり、安倍晋三内閣は安定局面に入っている。地球儀外交にも精力的である。国連総会では、女性の人権を重視する演説もおこなった。

 かつて冷戦の後期には、日米同盟は安定し、日本経済は強靭であった。アジア太平洋地域では、パワーバランスは明らかに日米両国に有利だったのである。ただ、過去の侵略の被害者として、中国にはモラルバランスが有利に働いていた。このこともあって、日本は中国への経済援助を惜しまなかった。

 今やパワーバランスは中国に有利になりつつある。人権や環境問題など普遍的な価値で、日本はモラルバランスを有利に展開する外交を必要としている。過去の過ちを隠蔽・糊塗することなく、戦後の日本社会の歩みを堂々と主張する─戦前ではなく戦後への自虐史観から脱した外交が求められている。道徳だけで外交はできないが、道徳を軽視した外交は尊敬されない。国内で道徳教育の必要性を説き、対外的にグローバル人材を育成しようとする安倍政権にとって、世界に通じる価値外交の真価が問われようとしている。
(了)

〔『中央公論』2013年11月号より〕