中国、「公式見解」の漂流
二〇一三年の暮れ、もう忘年会と言ってもいい感じの中国研究者の会合。そこでのひとつの話題は、"最近、『人民日報』がおかしい"、ということだった。『人民日報』と言えば、中国共産党を代表する、公式見解が羅列される最も「つまらない」新聞である。日本を含め、海外の中国研究者は、この『人民日報』をもとにノートを作り、そこでの表現やトーンの変化から、中国政治の変化を読み解こうとしてきた。
どうおかしいのか。それは、紙内で明らかに異なる内容が掲載されている、社説と他の記事の方向性がずれている、公式見解とは思えない内容が掲載されることがある、といったことだった。また既に原因分析をした人もいて、『人民日報』内部の管理統制が弱まった結果だとか、逆に政権内部での多元化を映し出しているだけだ、といった話が出てきた。
確かに中国政治は大きく変化している。習近平は、小平に指名された江沢民や胡錦濤と異なり、まさに選出制度に則って選ばれた現代中国最初の国家主席と言ってよい。それだけに正当性があると言えなくはないが、さまざまな勢力、すなわち発展派と保守派、いくつもの利益団体、中央・地方関係、国家と社会関係など、諸勢力間の対立軸の上で、調整者として振る舞わねばならない。調整すればするほど思い切った決断をしにくくなるし、また調整のためのコストを厭えば、一部の勢力の見解が露骨に政策に反映され、各方面の反撥を招くことになる。
このような状況は対外政策でも同様で、最も敏感な相手である「日本」をめぐる政策にも影を落としている。二〇一三年十月、中国では「周辺外交工作座談会」が開かれ、周辺との関係をいっそう重視、強化する政策が採用されたとの報道があった。この「周辺」には日本も含まれている。日本は中国の対外政策の区分では、主要国にも周辺国にも含まれている。ちょうど、日本との経済・文化関係に日がさしてきたので、これも対日宥和のシグナルかのように思われた。そこへ、十一月になって防空識別圏の設定である。
中国の官僚に言わせれば、周辺外交強化と主権維持のための防空識別圏設定の間に矛盾はなく、日本を特に意識したものではない、という。周辺外交を強化するとは言っても主権に関して譲歩するわけではないし、これは東シナ海だけに設定されるわけではない、というのが彼らの立場だからである。しかし、尖閣諸島問題があるこの時期での公表、さらには国際的通例とは異なる手法での設定が、まさに周辺国からは脅威に映る。
中国の官僚が言うには、長きに亘って外交部なども含めて南京軍区を中心に検討してきたことが、たまたまこの時期に出されただけであり、識別圏は多くの国が設定している国際法に準拠した行為だということになる。だが、違和感が残る。すなわち、公表のタイミングのほか、中国の海をめぐる空間認識のように、領海や領空を延長していく意識で空間設定がされている。航行に際しての事前通報の強制などは他の国には見られないことである。
中国には課題が山積し、アクターも多様化した上、政権も調整型になっている。そのため、少なくとも外からは整合性がつかないと思われる政策が多々打ち出される。一昔前であれば、中国には中国の国情があるとか、中国の国内事情に口を出すのは内政干渉だなどと言えたが、いまやそのような時代ではない。周囲の国から見れば、「意思と能力」を兼ね備えた脅威となる存在である以上、不分明な政策は恐怖心を増幅させる。
『人民日報』の変化は、まさに中国における「つまらない公式見解」、つまり誰もが共有している「あたりまえ」が揺らぎ、公式見解がいっそう多面的に、可変的になったことを示すものだろう。巨大な隣人が、いっそうわかりにくく、ややこしい存在になっている。
(了)
〔『中央公論』2014年1月号より〕