ウクライナ危機にみるロシアの経済オンチ

吉崎達彦(エコノミスト)

 このところプーチン大統領がやけにカッコいい。ソチ五輪の閉会式では、感極まって目を潤ませているように見えた。ところが頭脳は冷徹なままで、あの時すでにクリミアへの出動準備を指令していたのであろう。

 閉会式当日に、ウクライナの政権が瓦解した。すると抜く手もみせずにクリミアを制圧する。住民投票を経て、そのまま編入を実現してしまった。まるで宰相ビスマルクが、現代に蘇ったかのような見事な手際である。

 逆に情けないのは西側諸国だ。軍事行動で対抗する気概はもとよりない。外交でも先手を取られ、対抗措置が出るのは遅く、しかもおざなりの感を否めない。

 オバマ大統領は案の定頼りない。そもそもシリア情勢とイラン核開発問題で、プーチン政権の助けを借りている身の上である。

 頼りの綱は経済制裁である。が、欧米はともに及び腰で、ドイツはロシアとの経済関係が深く、天然ガス供給も頼っている(これがないと脱原発ができない!)。フランスは、自国の軍事産業の対ロ輸出を心配している。

 本来は、ロシア発のアングラマネーを凍結するのが一番手っ取り早い。しかるにこの手の資金がもっとも逃げ込みそうな英国は、断固とした措置を取れそうにない。下手に取り締まって、他国のアングラマネーまでが動揺しては、それこそ国際金融界の一大事となってしまう。

 最近、邦訳が出版された『レーガンとサッチャー』(ニコラス・ワプショット/新潮選書)は、冷戦期の米英の二大巨頭が、どのようにソ連と戦ったかを描いている。今の情勢と重ね合わせて読むとまことに興味深い。

 レーガンとサッチャーは気心の知れた間柄であったが、外交ではたびたび利害が対立した。対ソ経済制裁においても、両者は一枚岩ではなく、サッチャーは英国企業が不利益を受けると言って激しく抵抗している。

 サッチャーでさえそうなのだから、今の欧州首脳たちに「対ロ制裁で一致団結せよ」と言っても詮無いことであろう。つまるところ確実にできるのは、G8からロシアを叩き出すことくらいで、それだってG20重視のロシア側はそれほど痛痒を感じまい。今後は西側先進国のG7と、新興国も含めたG20という性格づけが明確になるのではないか。

 逆にロシア側の反撃手段も乏しい。「米国債売り」が噂されているが、外貨準備が多いわりにロシアの米国債保有額は少ない。天然ガス供給の停止も、外貨収入の減少という形で自らに跳ね返ってくる。

 それでは対ロ政策をどうすべきか。レット・イット・ビー、そのまま放置しておけばいい、というのが筆者の見立てである。

 ロシア経済の昨年の成長率は一%台で、インフレは六%台。国民生活が悪化する中で、プーチンは人気取りのために給与や年金を増額してきた。資源価格が高騰している間はよかったが、ここへ来て財政収支はマイナスに転じている。今後はクリミアの公務員給与と年金もロシア並みに上げなければならず、ますます財政赤字が拡大するだろう。

 何より問題発生以来、ロシアの株価は下がり、ルーブルは売られ続けている。通貨防衛のために金利も上げたので、景気はさらに冷え込むだろう。

 外国からの対ロ投資も確実に減る。ところがプーチンにその辺の自覚はなさそうだ。そもそもロシアの安全保障会議には、財務相などの経済閣僚が入っていない。冷戦期もそうだったように、かの国の戦略思想には経済の視点が決定的に欠けているのである。

 極論すれば、西側諸国はただ拱手傍観していればよい。プーチンの外交的成功は、着々とロシア経済を窮地に追い込んでいく。十九世紀のビスマルクに、二十一世紀の外交は務まらないと言ったら酷であろうか。
(了)

〔『中央公論』2014年5月号より〕

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