中国の「アジア安全保障観」一読

時評2014
川島真

 二〇一四年五月二十一日、上海で開催されていた第四回アジア相互協力信頼醸成措置会議において、習近平国家主席が「アジアの安全保障観を積極的に樹立し、安全保障協力の新局面を共同創出」することをテーマに講演を行った。五月末から六月初旬に行われたシャングリラ会合(アジア安全保障会議)でも中国はこの「アジア安全保障観」を提唱し、大いに物議を醸している。この「アジア安全保障観」は、習近平が公の場で語ることで、国家の方針として明確に位置づけられた。

 その内容は一九九七年に中国が発表した「新安全保障観」を継承し、伝統的安全保障のみならず非伝統的安全保障領域を含んでおり、安全保障の内容自体に大きな変化はない。中国側は、「共同、総合、協力、持続可能」といったアジア域内の持続可能で、総合的な相互協力体制が重要だとするが、次のような注目点もある。

 それは、「アジアのことは、つまるところアジアの人々がやればよい。アジアの問題は、つまるところアジアの人々が処理すればよい。アジアの安全保障も、つまるところアジアの人々が保っていけばよい。アジアの人民には、相互協力を強化することによりアジアの和平安定を実現するだけの能力も知恵も備わっている」、そして「中国はアジア安全保障観の積極的な唱導者であり、また確実に実践していく」という部分である。

 この部分には二つの含意がある。一つは「アジア人」がアジアの安全保障を担うという点であり、いま一つは中国がそのアジアの安全保障の主導者だという点である。前者については、アジア域外の存在をアジアの安全保障から除外するようにも読める。むろん、習近平は「アジアは開かれている」とも言うのだが、「中国版モンロー主義」ではないかとの批判を受けるほどになっている。
「アジア」という枠組みは、元来、中国よりも日本の方が多く語ってきた。戦前のアジア主義もそうだし、戦後のアジア太平洋の枠組みなどもそうである。中国には「アジア」を語る空間的な概念が希薄であるとさえ言われてきた。だが、中国は一九九〇年代後半から周辺諸国との経済協力を重視し、胡錦濤政権期には「アジアの中の中国」という言葉が散見されるようになった。そして、習近平のアジア安全保障観では中国を主導者とするアジア像が垣間見える。

 東アジアでは元来、ASEANが地域協力のドライバー(運転手)だとされてきた。これは、日中のパワーが拮抗していたことも背景の一つとしていた。だが、中国が日本のパワーを凌駕する中で、中国のASEANへの配慮が変わりつつある。無論、二〇一五年に完成するASEAN―中国自由貿易地域の設定などは前向きに進められているが、主権や安全保障をめぐる領域では中国のASEAN諸国に対する強硬姿勢は際立つようになってきている。

 この中国のアジア安全保障観はシャングリラ会合でも提起された。中国のメディアは、アジア諸国からも歓迎されたとしているが、実際には必ずしもそうではない。何よりも、アメリカを含む「アジア以外」の国が加盟しているASEAN地域フォーラム(ARF)の枠組みと、この中国のアジア安全保障観はいかに関わるのであろうか。ARFは、政治・安全保障問題に関する対話と協力を通じてアジア太平洋地域の安全保障環境を向上させることを目的としており、ASEANの中心性を重視した組織である。中国の新安全保障観は、アメリカのアジアの安全保障への関与や、日米同盟をはじめとするアメリカとアジア諸国の同盟関係に対する疑義だけでなく、ASEANを中心とする地域協力の枠組みに対する疑義をも含んでいると見ることもできる。昨今議論されるアジアインフラ投資銀行のことも含め、中国の「アジア」政策の新たな展開は注視してしかるべきであろう。
(了)

〔『中央公論』2014年10月号より〕

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