「下級国民の反乱」が世界を揺るがす 橘玲

橘 玲(作家)

「絶望死」

 世界じゅうで平均寿命が延びているのに、アメリカの白人労働者階級(ホワイトワーキングクラス)だけは平均寿命が短くなっている。この奇妙な事実を発見した経済学者のアンガス・ディートンとアン・ケースは、その原因がドラッグ、アルコール、自殺だとして、二〇一五年の論文においてこれを「絶望死(Death of Despair)」と名づけた。

「絶望死」とは、「死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を撃ち抜いたり、首を吊ったりしている」ことだ。二人がその後の調査をまとめた『絶望死のアメリカ─資本主義がめざすべきもの』(みすず書房)によると、アメリカ社会は四大卒以上の「高学歴層」と、高卒や高校中退の「低学歴層」に分断されている。

 奇しくもこれは、社会学者の吉川徹氏が『日本の分断─切り離される非大卒若者たち』(光文社新書)で指摘している、「大卒/非大卒」による日本社会の分断とまったく同じだ。なぜアメリカと日本で(そしておそらくは他の先進諸国・新興国でも)よく似た現象が起きているのだろうか。それは、知識社会の高度化にともなって、仕事に要求される能力・スキルのハードルが高くなっているからだ。─知識社会というのはその定義上、知能の高い者に大きなアドバンテージのある社会だ。

 リベラルな社会は、「人種、民族、国籍、性別、性的指向などの属性で個人を評価してはならない」とする。しかしそうはいっても、組織を機能させるためには、採用や昇進・昇給などでなんらかの評価が必要だ。この難問を解決したのがメリトクラシーで、学歴・資格・経歴の三つは、本人の意志では変えられない「属性」ではなく、教育や努力によって向上できる「メリット(価値)」だとされた。

 こうしてリベラルな知識社会では、すべての労働者がメリットによって選別されることになった。その圧力は、階級社会や身分制社会の遺制が残るヨーロッパや日本より「人工国家」であるアメリカの方がはるかに強く、「メリットをもつ者=上級国民」と「メリットのない者=下級国民」のあいだで社会が分断され、両者はまったく別の人生を歩むことになった。

 ディートンとケースが膨大なデータから描きだす「絶望死」の実態は驚くべきものだ。

 ケンタッキー州では、一九九五年から二〇一五年の二〇年間で大卒白人の死亡率がほとんど変わらないのに対し、非大卒白人の自殺、薬物過剰摂取、アルコール性肝炎による死亡率は一〇万人あたり三七人から一三七人へと約四倍に増えた。アメリカ全体で見ると四十五~五十四歳の白人死亡率は一九九〇年代前半からさほど変わっていないが、これは非大卒の白人の死亡率が二五%増加している一方、大卒白人の死亡率が四〇%減少しているからだ。

 非大卒白人の健康状態は、現代に近づけば近づくほど悪化している。四十歳時点で「健康状態が悪い」と申告する割合は一九九三年の八%から二〇一七年の一六%へと四半世紀の間に倍増し、その結果、「買い物や映画に出かけるのがつらい」と答える割合と「家でくつろぐのがつらい」と答える割合は二十五~五十四歳の年齢層ではいずれも五〇%増え、「友人との交流がつらい」と答える割合は二〇年間で倍近くにまでなっている。

 アメリカでは一億人以上が(最低三ヵ月は続く)慢性的な痛みに耐えており、これがオピオイド(モルヒネやヘロインと同じくケシからつくられる合成化合物で、鎮痛・陶酔作用がある)の乱用を引き起こした。オピオイド系の鎮痛薬は医師が処方するにもかかわらず、二〇一六年には四万二〇〇〇人が死亡する公衆衛生上の大惨事になっている。

 日常的な痛みに悩まされ、買い物ばかりか家でくつろぐことすらつらいのなら、仕事をするのは難しいだろう。実際、非大卒白人では「働けない」と自己申告した割合が一九九三年の四%から二〇一七年には一三%にまで増えた。

 健康状態が悪く、痛みに耐え、働いていないか収入が低く、将来性のない男性は、結婚相手にはふさわしくない。こうして低学歴の白人男性の婚姻率が下がっているが、その一方で、低学歴の白人女性の大半が少なくとも一人は婚外子を産んでいる。

 これらのデータが示す事実をひと言でいうならば、白人労働者階級の人生は「全面的な崩壊」に見舞われているのだ。

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