「山小屋に爪楊枝はない」、そのワケは?

石丸謙二郎が語る、登山の愉しみ
石丸謙二郎
名バイプレイヤーとしてドラマや舞台で活躍しながら、『世界の車窓から』(TV朝日系列)のナレーションも30年以上にわたって務めている俳優の石丸謙二郎さん。『SASUKE』(TBS系列)では“肉体派”の一面も見せ、ウインドサーフィンはセミプロレベルと多趣味。そして、50年近く山に親しんできた、大の登山好き。
そんな石丸さんは言う。今こそ、山に登ってみませんか?

※本稿は、石丸謙二郎『山へようこそ -山小屋に爪楊枝はない』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

実は山登り歴50年です

 今まであえて公言していなかったが、山登りは50年近く楽しんできた。

 僕が本格登山を始めたころは、ひとりで行く「単独行スタイル」がほとんど。男女のカップルとか仲間で2、3人なんてほとんど見かけなかった。僕の場合も、初めは単独。修行僧のように黙々と登っていた。

 大学3年生になったとき、芝居をやるために大学をやめた。山歩きも、やめた。山歩きは楽しすぎる。芝居ひと筋の気持ちでいかないと役者になれない。中途半端な考えではなにも手に入れられないと思ったからだ。だから所属していた劇団では、僕が山登りをしていたことを誰ひとり知らない。

 40歳になってやっと、役者としてスタート地点立てた。そのころから山登りを再開し、今度は単独ではなく、仲間と歩くようになった。

 NHKのプロデューサーから、新しく始めるラジオ番組のパーソナリティをやらないかと声をかけてもらい、土曜朝の『石丸謙二郎の山カフェ』の放送が始まったのが2018年4月。翌19年、谷川岳のロッククライミングで鍛えたわけでもない「山が好きなごく普通のおじさん」の僕が、「山の日アンバサダー」にも選ばれた。アンバサダーとは大使の意味。「山へ行ってみたいけど、どうしようかなぁ」とためらっている人の重い腰を押して、山へ誘うのが役目だと思っている。

山の道具とおカネ

 まずは石丸流の山の歩き方についてお話ししましょう。
 山歩きの楽しみ方は、「何歳から始めるか」によって違ってくるのではないでしょうか。たとえば40代後半からの方なら、おカネにも時間にもゆとりができてくる。だから山歩きにおカネと時間をかけられる。そういう方には、「道具に頼りなさい、道具におカネをかけなさい」とアドバイスをする。どんなスポーツでも、道具におカネをかけると上達が早くなるし、ラクにできるようになる。

 山の道具の場合、おカネをかけることによってなにが変わるのかというと、まず、背負う持ち物を軽くできる。若いころは余裕がないので装備類にあまりおカネをかけられない。重たい装備でも気にせず、体力にまかせてどんどん登っていた。それができたからよかったのだが......。中高年になるとやはり体力の衰えは隠せない。ありがたいことに、最近は驚くほどに軽量化が図られたリュックサックがあるし、コッヘル(登山用鍋)でも極端に軽く、湯がすぐに沸く高機能なものもある。雨具も充実している。高価といっても、目の玉が飛び出すほどでないのが、山のいいところだ。

 もうひとつ別の考え方がある。若い人や、50歳を越えて「遅ればせながら、ちょっと山歩きをしてみたい」という人にお勧めなのは、「とりあえずは、いま持っているのを使って始めてみる」ことだ。普通の日帰りハイキングくらいなら、靴底にデコボコがあるスニーカーやトレッキングシューズで十分。足首まで覆うハイカットの登山靴でなくても、捻挫をしないように気をつけて歩くことから始めるのも良し。高尾山登山に、サンダル、ハイヒールはどうかと思うが、本格的な登山靴は必要ないだろう。慣れないうちに重たい靴を履いていると、かえって疲れてしまう。

着古したシャツでも十分!

 道具類は、山歩きに慣れ始めてから、たとえば2ステップくらいで買い替えるのがいい。2、3年で買い替えるのか、10年もつのを買うのか、どの山域でどういう山歩きを目指すのか。いくつかのパターンを考えてみる。ならば、次は登山用品店へ下調べをしに行こう。店員さんがいろいろ説明してくれる。もし登山に詳しい人がそばにいるなら、その人に同行してもらうのもひとつの方法だ。下調べが終わったら、いざ、山へ。まわりの人がどんな靴を履いているか、なにを着ているか、どんなものを持っているか、いろいろとまわりの登山者たちの道具やスタイルを見ることも勉強になる。

 山でまわりの登山者を見ていると、中・上級者向けの用具を初心者が揃えている例をまれに見る。「いろいろな用具や服装をきちんと揃えないと、山へ行ってはいけないんじゃないか」。この考えはよくわかる。しかし、初心者は初心者用でいい。ステップアップしていく楽しみは、初心者の特権だ。ゴルフなら、古く錆びたアイアンを持っているとちょっと恥ずかしいかな。だけど山はそうじゃない。古い道具でも恥ずかしくない。

素材の進歩は著しい

 山では、夏でも長袖シャツを着て長ズボンを穿く。半ズボンならその下に山用のタイツを履く。山道にはクマザサが多い。これで足を切ると痛くて風呂に入れなくなる。長袖を着るのは、木の枝や虫対策、転んだときのケガ予防など、いろいろな効果がある。ただしジーンズは避けること。ジーンズは雨に濡れると重くなって乾かないし、雪がつくと凍りついてゴワゴワに固まるからだ。(実は、僕の実体験です)

 木綿のシャツは温かいが、汗が乾きにくくて重いので登山には不向き。登山用の吸汗速乾性のモノを使おう。素材の進歩は著しい。少々濡れると逆に発熱して温かくなるモノまである。大事なのは「暑い」「寒い」をガマンしないこと。立ち止まり、脱いだり着たりを繰り返して調整する。汗で濡れたシャツが体を冷やすとカゼをひくことになるからだ。忘れがちだが、靴下も大事。むかしは木綿の靴下しかなかったから、靴の中で汗をかいて濡れてしまう。これが靴ずれの大きな原因になった。いまは新しい素材のものがいろいろある。僕は化繊の靴下だ。薄手の上に厚手の温かい靴下を重ねて履いている。

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三ッ峠山(山梨県)の山小屋から望む富士山(公式ブログより。撮影/石丸謙二郎)

山小屋に泊まってみよう

 もう一歩上の登山を楽しみたくなったら、山小屋に泊まってみよう。さて、ここで必要な心構えがある。
「すみませ~ん、爪楊枝ありますかあ?」。山小屋の食事のあとに、声をかける登山客がいる。実は、「山小屋に、爪楊枝はない」。なぜないのだろう? ここで初めて気づく。爪楊枝とはぜいたく品なのだ。食事や寝床など最低限のものを提供してくれるのが山小屋。「個人的に必要なものは各自持ってきてほしい」というのが基本的な考え方。
「爪楊枝は、必需品ではない!」

 山小屋で「爪楊枝をください」なんていうと、すぐに山小屋初心者だとバレてしまう。山小屋は、旅館やホテルとはまったく違う。ないない尽くしだ。(思いつくままに並べてみよう)

・ゴミ箱がない。ゴミは持ち帰る。
・浴衣などない。寝間着の工夫が必要。ハンガーはないと思ったほうがいい。
・歯ブラシもタオルもない。持って行く。
・スリッパはあったりなかったり。ないほうが多い。
・サンダルはちょっと戸外に出るときのために用意してあるところが多い。(現在は感染症対策として持参しよう)
・部屋にコンセントがない。スマホ用の充電器やデジタルカメラの予備電池を必ず持参する。充電スペースのある山小屋も一部あるが、制限がある。
・レンタル物はほとんどない。貸し傘はない。たまにヘルメットを貸すところはある。
・原則として風呂もない。あっても石鹸は使えない。

 なにしろ山の中なのだから、日ごろの生活との違いを楽しもう。

ちょっとした心遣い

 気をつけたいのが、コンビニやスーパーにあるレジ袋。これがなかなかのくせ者だ。以前は、リュックサックの中身を小分けするのに使う人が多かった。このレジ袋を触ったときの音が、かなりうるさくて耳障り。夜遅くや早立ちの早朝にシャカシャカやられたらたまらない。山と溪谷社の萩原浩司さんが「シャカシャカ」の音量を測ったところ、なんと77~78デシベル。これは電車が通るガード下にいるときの音量だとか。そこで萩原さんが騒音対策に考えたのが、ナイロン製の小袋やスタッフバッグなどと呼ばれる巾着袋を使うこと。

 山小屋では小銭も千円札も数が限られている。お釣りがなくなる心配をさせないよう工夫したい。あらかじめ料金をビニールの小袋に入れて持って行くなど、ちょっとした心遣いが喜ばれる。

 僕はいつも五百円玉を2個持っている。ビールや小物を買うときのためだ。缶ビールは350ミリリットル1本で500円が相場。高い? そうは思わない。町の居酒屋で飲む料金とさほど変わらないし、缶ビールはいまだにボッカ(人が荷物を担いで山小屋に運び上げること)に頼っているところが多いからだ。

 トイレも忘れてはいけない。山小屋のトイレは宿泊者以外は有料で、1回100円が多く、百円玉を専用の箱に入れる方式だから、山小屋泊まりに百円玉は必需品。

 おカネといえば賽銭箱に入れる小銭も必要だ。登山口などには山を祀った神社が多い。登山の安全を祈って、お賽銭をあげて拝む。そのときのためにも僕は小銭を何枚か持っていく。持ち合わせがなかったときにお願い事をしていると、何か睨まれているような気がして、首が縮こまる。

これからの山登り

 新たな世界規模の感染症という試練が襲い、山へのアプローチが大きく変わった。2020年というこのときを、おそらく生涯忘れないだろう。そもそも今回の感染症に関しては、山登りほど良きものはないだろうと考えている。人に接するのも少なく、密にもなりにくい。その上で、健康的な運動ができるとあれば、むしろ山登りは奨励されてしかるべきモノだと思える。ただし、ケガなどでレスキューされることを考えれば、それなりの覚悟をしなければならないだろう。特に山小屋での過ごし方もガラリと変わり始めている。

 これからの山登りがどうなっていくのか。それぞれ個人が考え、行動しなければならないのか? それとも、国もしくは、山の活動団体が、指針を促すのか? 柔軟な考え方をする登山者に任せてしまうという方法もあるが、四角四面のやり方では、うまく続かないかもしれない。いずれにしても、僕は山に登りたい。

「なぜ山に登るのですか?」山登りをする人にかけられる言葉。その質問にはこう答えたい。「それが日本にあるからです」
 日本の山という、海外から見ればうらやましい限りの四季に彩られた峰々のつらなり。高山の花や鳥たち、飛びかう蝶の群れ、どうどうとしぶきをあげる滝。沢の流れの清らかさ。息をのむ程に眩しく輝く紅葉。そして毎日のように新雪が降り積もる、ジャパウと呼ばれる雪山。日本の山という宝物を、ひとつひとつ数えるように登る。ひとつの山の頂から、さらに遠くのもうひとつの山を見つける、その喜び。

 さあ、山にでかけてみませんか。アナタが歩こうとしている山道は、長い間多くの山好きビトが、汗を流し続けた喜びの道なのです。その道を、是非繋いでもらいたい。一歩一歩。山はいつでもどこでも、一歩一歩。

※石丸謙二郎 公式ホームページ公式ブログ

山へようこそ-山小屋に爪楊枝はない

石丸謙二郎

「爪楊枝が、山小屋にはなぜないのだろう?」。山で感じる些細な疑問の数々に答えます! 道具の選び方や、山小屋でのマナー。おすすめのストレッチ法や、大自然との触れ合い方、そして、一歩上の山の愉しみ方……。50年近く山登りに親しんできた著者による、山へのいざない。

石丸謙二郎
1953年大分県生まれ。77年に、つかこうへい事務所の舞台『いつも心に太陽を』でデビュー。俳優として活躍するかたわら、87年から『世界の車窓から』(テレビ朝日系列)のナレーションを担当。2018年より、NHKラジオ『石丸謙二郎の山カフェ』にて「マスター」を務める。19年には「山の日」アンバサダーに選ばれた。登山のほか、ウインドサーフィン・釣り・将棋など多趣味。
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