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世界に誇る「水の都」東京を楽しもう

対談○スカイツリーと水辺の魅力
川本三郎(評論家)×陣内秀信(法政大学教授) 構成・葉上太郎(地方自治ジャーナリスト)

川本 今日、五月二十二日、東京スカイツリー(墨田区、六三四メートル)が開業しました。もう登られましたか。

陣内 開業前の十五日に招かれました。あいにくの雨で展望台からは景色がよく見えませんでした。冬にアメリカ人の都市計画家の友人を連れて真下まで見に行ったときは、雪で足元だけしか見えませんでした。幻想的な風景ではありましたけれど、あれだけ高いと天候に左右されますね。

川本 それにしても日本の建築技術はすごいですね。霞が関ビル(千代田区霞が関、一九六八年開業、一四七メートル)ができた時に『超高層のあけぼの』という映画が製作されました。工事中に上のほうから作業員が工具を落としてしまうシーンがあるのですが、轟音を発して、下に停めてあったトラックか何かが壊れてしまうのです。それより何倍も高いんですからねぇ。

 スカイツリーは東日本大震災でも無事でした。震災後、津波や液状化があるから湾岸に住むのは危険だという考えが強まったでしょう。でも隅田川沿いのスカイツリーが無事だったのだから、地震への恐怖を和らげることには役立ったのではないでしょうか。

陣内 そうですね。ただ、あのあたりは都内でも有数の古い神社が多く、地盤が結構しっかりしているんです。だから少し南の亀戸にかけては、古くから人が住んでいました。

 実は私は「第二東京タワー」の場所を選定する委員会に入っていました。さいたま市が名乗りを上げるなど自治体が誘致合戦をしていて、結局、後から手を挙げた墨田区が選ばれたのですが、今の場所だから話題性があったと考えています。東京は中心が西へ西へと移動していて、華やかな話題や開発は全部「西」での出来事でした。ウォーターフロントブームが一九八〇年代に起きて、少し「東」が注目されましたが、その後はまた「西」ばかり。「東」は取り残されて、産業は空洞化するし、商店街も寂れていく。そうした時にスカイツリーができたのです。

川本 スカイツリーの足元は、永井荷風の『濹東綺譚』の舞台になった玉ノ井に近い。戦前からの向島橘銀座商店街も近くにあって、まだまだ下町の雰囲気を残していました。周辺の再開発でマンションだらけになりつつあるので、下町好きの人間としては心配ですね。地元の人は喜んでいるようですが。

陣内 建設地を決めた時に、本当は地元からかなり反対があると予想していました。ところが意外に反対はなかったので、驚きました。

川本 下町の人って新しもの好きなのかもしれませんね。アサヒビールの本社ビル(墨田区吾妻橋、一九八九年完成)の上に金色の「炎のオブジェ」ができた時には悪口を言う人が多かったのに、下町の人はすぐに受け入れて、観光客でいっぱいになりました。いや、日本人がそうなのかな。当初は酷評された京都タワー(京都市、一九六四年完成)も、今や京都人はあれを見ないと寂しいと言うんだから。

陣内 スカイツリーでは皆さん、開業にあやかって商売をしていますね。タワーに似せたお菓子やグッズなどを作ったり、六三四の数字を語呂合わせしたりして。青山とか原宿のようなおしゃれなセンスではなく、下町の庶民感覚そのままに歓迎し、それをビジネスに結びつけているのは面白い。下町という土地の文脈は全く変わらないのに、スカイツリーだけが突出してハイテクになっているんです。

〔『中央公論』2012年7月号より〕