新日本プロレス前社長の"3カウント"取られない経営術
- 新日本プロレスで取り組んだこと
- 「モノ」から「コト」へ
- 現地に迎合せず日本の強みで勝負
新日本プロレスで取り組んだこと
―本日のテーマは、ウィズコロナ時代に、日本企業が"3カウント"を取られて敗北することなく、どのようにグローバルな経営を進めるかについてです。
伊藤 ハロルド・メイさんは本年十月二十三日をもって新日本プロレス(以下、新日本)社長を退任されますが、その前にはタカラトミーで社長を務めるなど、日本を代表する「プロ経営者」のお一人です。
メイ 私はこれまで日本企業三社、外資系三社で三三年間働いてきました。従って、日本の企業とグローバルな企業それぞれの良い点、悪い点をよく理解しているつもりです。
生まれはオランダですが、父の仕事の関係で八歳の時に日本に来て横浜で暮らしました。外国人でありながら日本語でも考えることができ、日本市場の特性を消費者の目線からも熟知しています。
実際、ビジネスにおいては、経営者として、日本企業、外国企業それぞれの文化に合わせて、硬軟とりまぜて対応してきたレアな存在だと自負しています。
伊藤 このたび新日本の社長を退任されることになったわけですが、二〇一九年に過去最高の売り上げを達成していますね。まず最初に、新日本での取り組みを、簡単に振り返っていただけますか。
メイ これまで私は新日本で、主にグローバルな展開を進めてきました。その象徴となったのが二〇一九年四月にプロレスの聖地として知られる米国マディソン・スクエア・ガーデン(以下、MSG)で開催した大会です。この時、一万六〇〇〇席のチケットがなんと一九分で完売したと言われています。これはMSG史上最速記録だったようですが、日本ブランドがマーケティングをきちんと行えば海外で成功できるという証明になったと思います。
伊藤 そこにいくまでに、心がけたことは何でしたか。
メイ 企業としての一体感です。それがないと大きな勝負に打って出ることができません。新日本で言えば、社員だけでなく選手にも、なぜ私たちがグローバル化に取り組み、MSGでの大会を成功させるべきなのかを分かりやすく説明できないといけないと考えました。
タカラトミーの社長だった時は「赤字を黒字にする」という分かりやすいテーマがありました。しかし、新日本は私の就任時すでに黒字だったので、特に何か困っていたわけではありません。ただし日本市場がそもそも小さく限られている中では、この先、成長していくためにはグローバル化していかないといけない。そのことを、総務省の人口推計を用いて説明しました。それによれば、日本の人口は二〇〇四年を一〇〇とした時、今後一年間に約一%ずつ減る。つまり、五年で五%、一〇年で一〇%、日本市場が縮んでしまうのです。会社としてこれを看過するわけにはいかない、だから海外に目を向けるしかないと、理解を求めました。
社員は私の話にしっかり耳を傾けてくれました。一方、選手も一緒に会社をもり立てていく仲間なので、選手とも一体感を持てるように丁寧に説明をしてきました。
「モノ」から「コト」へ
―メイさんはそもそもなぜ新日本の社長を引き受けたのですか。
メイ これまで私は主にメーカーで仕事をしてきました。歯磨きや飲料などの新商品・新ブランドを開発して日本のみならず外国にも売ってきました。新日本の社長を引き受けた当時も、「なぜ選んだのか」とよく質問されたのですが、まずプロレスが好きだったこと、そして私はこれから「モノ」に加えて「コト(体験)」が大きなビジネスになると考えました。新日本の素晴らしさを世界に伝えたかったのです。
日本で「コト」で輸出に成功した代表例はアニメやゲームです。プロレスも輸出できると考えました。新日本では動画配信にも取り組んできましたが、四割が海外からの視聴です。また、選手も二〇人以上の外国人が契約しており、社内の環境が大きくグローバル化してきています。
伊藤 プロレスもそうですが、アニメやゲームといったソフトはまだ外国に売っていくことができますね。こうした「クールジャパン」に関連して、私が好きな経営学者であるコトラーの言葉で「マーケティングとは手練手管ではない。価値を理解して、顧客に伝えていくことだ」というものがあるのですが、これがまさしくクールジャパンにも当てはまるもので、われわれ自身が自らの強みを整理して顧客に伝えていくことです。日本はその努力が足りていません。
メイ 日本の製品であることに誇りを持つことですよね。日本はいいものを持っています。例えばスタジオジブリの作品や、『君の名は。』といったアニメ作品は世界的に高い評価を得ています。ゲームやポケモン、ハローキティといったキャラクターも世界中で愛されています。
しかし、まだクールジャパンに対する政府の後押しが足りません。資金的な後押しはいろいろとやってくれているけれども、必要なのは日本製品を世界に出していくプロモーションであり、これは官民一体で動くことが多いと思いますが、「コト」を世界に打ち出していく仕掛けはまだまだ必要だと思います。日本のGDPのうち六割は「モノ」ですが、残り四割は「コト」です。その四割に見合うだけの力をかけているようには感じられない。ちなみに米国では日本と逆で、「モノ」と「コト」はそれぞれ四割と六割です。米国では音楽産業や映画産業に国として力を入れているのです。
現地に迎合せず日本の強みで勝負
伊藤 MSGでの大会開催がすごいことなので、もっと詳しいお話を伺っていきたいと思います。プロレスは、その国のカルチャーにも関わるものだと思います。米国に持っていってそのまま通用するとは限らない。勝算はあったのですか。
メイ 勝算はあると思っていました。というのは、プロレスは「格闘」で、これは人間の本能に関わるものだからです。英国、ロシア、どの国にも格闘技はあります。プロレスに親しんでいる国も多い。その中でも米国はプロレスに親しみがあり、日本の一〇倍以上の規模を持つ市場です。そこに、米国では見ることができない技の応酬がある、差別化した日本のプロレスを持っていったら米国人の心に響くのではないかと考えました。そのためにユーチューブでティーザー(予告動画)を事前に流して感触を探りました。その上で、「本物」を持っていったのです。
ちなみに米国のWWE(World Wrestling Entertainment, Inc.)が世界で一番大きなプロレス団体ですが、その社名の通り「エンタメ」なんですね。一方、新日本は世界第二位の団体ですが、社のシンボルマークであるライオンマークにも書かれている通り「キング・オブ・スポーツ」、つまりプロレスをスポーツとして真剣に取り組んでいるわけです。
実際、米国のプロレスはエンタメなので、マイク・パフォーマンスが見どころの一つであったり、会場の上空に花火を上げるなどして、観客を楽しませています。新日本はエンタメに偏ることなく、最初から最後まで戦います。スポーツ・格闘技としての本物のプロレスをしているのです。
海外に日本のものを持っていく場合、しばしば「現地化」させようとしますね。でもそれでは駄目です。むしろ、日本のものをそのまま持っていく方が外国からすれば魅力的なのです。だから選手紹介も、英語ではなく日本語でアナウンスしました。ここがこだわりのポイントです。
伊藤 SNSの活用と、日本の魅力を「本物」として発信していくことが大切なんですね。
メイ 日本のGDPは世界第三位。これはすごいことです。しかし世界全体から見るとたった六%のシェアにすぎない。新日本もこれまでこの六%を見ていた。でも、残りの九四%の市場も攻めた方がよいのではないか。これは新日本のみならず、日本全体の商品・サービスがめざすべき場所でもあると考えています。日本はまだまだいけると思う。日本の商品の品質はとてもいいし、安全性も世界から信頼されている。それに日本に親しみを持っている親日家は、世界中にたくさんいますから。
伊藤 それで思い出しましたが、醤油も日本らしさがそのまま世界で受け入れられています。『論語』に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(人物が優れていれば協調しても主体性を失わない。器の小さい人物はたやすく同意するが調和しないの意)」という言葉がありますが、グローバル化の本質を突いています。グローバル化においても協調しつつ本質は失わないことが重要ですね。
メイ コカ・コーラ社は代表的なグローバル企業ですが、商品では現地化しているものがあるものの、ロゴなど会社の顔としてのブランドは統一しています。先生がおっしゃる通りバランスが大事ですね。そういった私の経験を、これからいろんな会社に助言していきたい。日本の価値が世界に伝えられていない、もったいないことが多いのです。
〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕
1963年オランダ生まれ。8歳から13歳まで父親の仕事の関係で横浜で暮らす。その後インドネシアへ移り、大学からはアメリカへ。ニューヨーク大学(NYU)修士課程修了。ハイケネン、日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)、サンスター、日本コカ・ コーラ副社長、タカラトミー代表取締役社長、新日本プロレスリング社長兼CEOを歴任。日本語が堪能で6ヵ国語を話し、明るくユーモアのある人柄でも知られている。著書に『百戦錬磨』。
◆伊藤元重〔いとうもとしげ〕
1951年静岡県生まれ。東京大学経済学部卒業。米国ロチェスター大学大学院経済学博士号(Ph.D.)取得。96年より東京大学大学院経済学研究科教授。2016年より現職。復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員などを歴任。JR東日本旅客鉄道株式会社社外取締役。東京大学名誉教授。