【ルポ】 菅首相の郷里・秋田に見る地方の苦境
首相グッズの数々
饅頭、どら焼、うどん、ビール、清酒、キーホルダー......。
菅義偉首相の故郷、秋田県湯沢市の土産物店に入ると、「菅もの」の商品が山のように置いてある。
パッケージに菅首相の似顔絵を描くなどした商品が九月十六日の総理大臣就任後、雨後の筍のように売り出されたのだ。
「この際、乗れるものには皆で乗っかろうという感じでした。新しく開発されたお菓子もありますが、既存の商品にシールを張っただけのような物までかなり売れました」。土産物店の女性が苦笑する。
人気があったのは収穫したばかりのあきたこまちの袋詰めだ。「新米総理」という絶妙なネーミングに感心して買っていく人が多かった。
「玄米と白米を炊き合わせて、乳酸菌を入れたレトルトのご飯は、いろんなものがミックスされているから、アベノミクスからスガノミクスへという意味なんだそうです。美容と健康にもいいということで」と土産物店の女性がおかしそうに話す。
「たたき揚げ」と名付けられたかりんとうは、田舎から上京し、たたき上げで首相まで上り詰めたサクセスストーリーを彷彿とさせるのか、多くの人が「なるほど」と頷きながら手に取るのだという。
「いつもは閑散としている湯沢のまちも、九月中は随分と賑わいました。ただ、お客さんには必ずと言っていいほど『駅前商店街は休みなのですか』と尋ねられました。休みじゃなくて、軒並み廃業してしまったんです。昔は賑わっていたんですよ、と何度も説明しているうちに悲しくなりますね」
短期間にあれだけの商品群を開発する力があるまちなのに残念だ。私が訪れた十月中旬には、「新首相の地元観光」も一段落し、以前通りの閑散とした商店街に戻っていた。
客のいない土産物店で「令和まんじゅう」を買った。菅氏は官房長官時代、新元号の「令和」を発表したことから「令和おじさん」と呼ばれている。これにひっかけた商品だ。
売店の女性は丁寧に紙袋に入れて、最後はピッとシールを張ってくれた。そのシールには、菅首相の似顔絵と一緒に「地方を元気に」という文字が刷り込んであった。
「私も乗らなきゃと思って、似顔絵を描きました。『地方を元気に』とは『おらほの首相』への期待を込めてです」と女性が語る。
「スガ首相におスガりしたい気持ちの表れですね」とだじゃれを返してハッとした。商魂たくましく首相グッズでもうけようとしているというよりも、こうまでしなければ商機が乏しい地区なのだ。
「出て行った人」にすがる
秋田県の人口は、二〇一九年十月時点の推計で約九六万六〇〇〇人だった。前年同月比の減少率は一・四八%と、七年連続で日本一だ。なかでも最南端に位置する湯沢市の人口は毎年一〇〇〇人弱のペースで減少しており、今年九月末時点で四万三五四八人になった。
菅首相は、その湯沢市内でも雪が二メートル近く積もる豪雪地帯で育った。高校卒業後は農家を継ぐのを嫌い、東京に出て働いた。その後、一念発起して大学へ進む。サラリーマン生活を経て、国会議員の秘書になり、横浜市議を二期、衆院議員を八期務めて、ついには政権の中枢を担うようになった。まるで、スゴロクのような人生である。
ただ、言い方は悪いかもしれないが、田舎を出て行った人だ。しかも、神奈川二区で選出された衆院議員である。選挙区は横浜駅のある横浜市西区・南区・港南区なので、利益代表という意味では、大都市の代弁者だろう。「田舎出身」をことさら強調したのは、自民党総裁選で地方票を得るための戦略だったという見方もある。
菅氏は安倍晋三内閣の要となる官房長官を七年八ヵ月も務めた。在任期間は歴代一位。となれば、このところの自民党政府の政策は、菅首相そのものであったと言えるかもしれない。その政権下で、湯沢市は他の田舎と呼ばれる地区と同じように劣化が進んだ。
にもかかわらず、手放しで首相就任を祝い、頼ろうとする人々。「これで湯沢にもようやく光が当たる」と話す人が何人もいた。
「出て行った人」に頼らざるを得ない悲しさ。菅内閣での湯沢市はどうなっていくのだろうか。
現代の「陸の孤島」
湯沢のまちは青く彩られていた。菅首相の就任を祝う青いのぼり旗が至る所に立てられていたのだ。
圧巻は市役所だろう。道路沿いにズラリと並べられただけでなく、玄関前にも驚くほどの本数がある。市役所もまた首相にすがろうとしているのか。その疑問を口にすると、協働事業推進課の小原勉・若者女性未来班長は「総理大臣には普通の人が簡単になれるわけではありません。だから市内には一生懸命に応援しようという雰囲気があり、その反映です」と淡々と語る。企画課の企画政策班、小山貢主幹は「以前は新型コロナウイルスに負けるなというのぼり旗ばかりでした。ちょうどまちが沈んでいた時の明るい話題でした」と人々の湧き立つ気持ちを代弁する。
二人は「地方創生」の担当者だ。
これは安倍政権の肝入りの施策で、二〇一四年に始まった。「東京圏への人口の過度の集中を是正し、それぞれの地域で住みよい環境を確保して、将来にわたって活力ある日本社会を維持」するというのが能書きだが、要するに田舎の人口減少に歯止めをかけようという施策である。
このため政府は、各自治体に「人口ビジョン」の策定を求め、今後の人口見通しと目標値を定めさせた。その目標を達成させるために、それぞれ「総合戦略」を作らせた。
五年ごとに行われる国勢調査で、湯沢市の人口が最も多かったのは一九五五年の七万九七二七人だ。二〇一〇年には五万八四九人と三分の二以下になった。
国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が一三年に行った推計によると、四〇年にはさらに二万八三九六人にまで減るとされた。
しかし、市は同年の人口を三万一六六四人にできると、人口ビジョンで打ち出した。転出者が転入者を上回る「転出超過」をなくし、一〇年に一・四五だった合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数の平均)を二・〇七に引き上げれば、社人研の推計より約三二七〇人増やせると踏んだのである。
だが、合計特殊出生率は増えるどころか下落を続けた。一九年にはついに一・〇〇を切って、〇・九二にまで落ち込んだ。
これでは人口目標の達成どころではない。子供の減少で小中学校の統廃合を一気に進めなければならなくなり、二〇〇五年四月一日に一九校(児童数三一〇二人)あった小学校は、今年十月一日時点で一一校(同一五七〇人)になった。中学校は辛うじて一校統合しただけの六校体制を維持しているが、生徒数は一七一八人から八七〇人に減った。
こうして減る一方の若者は、高校卒業と同時に多くが出て行く。「七割が進学するのに、地元に大学や専門学校がないのです。県内の大学も通えるような距離にはありません」と小原班長は語る。都市部へ進学すると、そのまま就職してしまう人が多い。「親が子に『こんな何もないところからは出て行った方がいい』と言ってきたのも原因かもしれません」と小原班長は自嘲的に話す。
高卒で就職する子も、地元での採用は少ない。「来年三月の高校卒業時に就職する生徒は、県外就職希望者が六二人、県内就職希望者は四四人しかいません。県内希望の四四人も市内での就職は一部に過ぎないでしょう」と同班長は分析する。
このような事態になってしまうのは、秋田県の経済状況の厳しさに加え、湯沢市の地理的な要因も影響しているようだ。
「湯沢にはJRの奥羽本線が通っています。東北本線側の宮城県や岩手県に東北新幹線が開通した後、次は奥羽本線側だと私たちは思いました。まず福島から山形新幹線が開通し、これを秋田まで北に延ばす予定だったのです。しかし、JRは田沢湖や角館の観光を重視して、盛岡から秋田に走る秋田新幹線に変更してしまいました。このため、湯沢には新幹線が通らず、奥羽本線も普通列車だけのローカル路線になってしまいました」と小原班長は残念がる。
市内を通過する予定の高速道路は完成していない。秋田空港からも車で一時間かかる。県内の高速交通網が整備されればされるほど、取り残される形になってしまった。
総合戦略の「公助」
企画課の小山主幹は「企業は交通の便のいい場所に集まるので、湯沢では働く場がなかなか増えません。若者が遊びに行くのも、列車で一時間半、バスでは二時間かかる秋田市などになってしまいます。冬は雪との闘いで、市中心部でも一メートルほど積もります」と話す。
仕事が少ない。遊び場は乏しい。冬には除雪が欠かせない。そうした環境だからだろうか、市が今年四~五月、十五歳以上の約一四〇〇人を対象に行った「市民満足度調査」では、「二十歳未満」「二十歳代」「五十歳代」の各年代で四割以上が「他のところに移りたい」と回答した。
これらの対策のための総合戦略だったが、成果は上がっていない。
第一期の戦略は二〇一五年に策定し、五年計画で多くの施策を盛り込んだ。だが、目標に対する達成度は、転出超過の抑制数が七二%、新たに海外展開に取り組む企業数が一〇%、新規就農者数が七六%、市内の宿泊者数が五七%などと未達成が多かった。「そもそも、それぞれの達成度が人口減少にどう影響するかの"ひもづけ"も明確ではありませんでした」と小原班長は反省点を口にする。
このため、今年二月に策定した新たな五年間の第二期戦略は、人口増加に直接関係する三つの柱に絞り込んだ。都市部との交流で湯沢に興味を持つ人を増やしたり、地元の若者が将来帰ってくるような就学支援をしたり、結婚・出産・子育て支援策を充実させたりする。
このうち、市が力を入れようとしているのは、都市部へ進学した子を「還流」させる方法だ。市内には、少ないながらも若者の採用を望む企業がある。だが、行政で実情がつかめていない。そこで、従業員が三〇人以上の事業所約七〇社にどのような採用を考えているかアンケートを行うことにした。必要な人材が明らかになれば、育成のための奨学金を出すことも検討する。
また、高校時代までに地元にどんな企業があるか知っていれば、郷里への愛着やUターン希望者が増えるとする研究があることから、中学・高校生らに企業を紹介する取り組みにも本腰を入れる。
こうした施策から透けて見えるのは、公助で地域を何とかしようとしてもがく自治体の姿だ。
菅首相は就任会見で「まずは自分でやってみる」と語り、自助・共助・公助のうち、自助を優先させる姿勢をにじませた。
だが、「自助に任せていたら、菅首相のように皆出て行ってしまう」と駅前のシャッター通りを歩いていた初老の男性は吐き捨てる。
それだけではない。公助がなければ、自助がなかなか機能しない場面もある。市の総合戦略では「子育て環境や支援に満足している人の割合」が三一・二%と、目標としていた五〇%に届かなかった。
「『隣の横手市の方がいい』という声が市民の中からありました。そこで支援策を比較してみたのですが、実際には遜色なく、むしろ湯沢市独自の事業がかなりありました。産後ケアは湯沢市が県内で初めて導入しました。産後のお母さんの体調管理や心理サポートのために保健師が家庭訪問をしたり、一週間の範囲で産院に泊まってもらったりするのです。また、新生児には今年から特産の曲げ木家具の椅子を名前入りで贈っています」と市子ども未来課の佐藤美奈子・児童福祉班長は話す。
横手市との違いは、親子で立ち寄れる子育て支援施設で気軽に相談し、仲間と様々な活動ができるかどうか、ホームページでの情報発信が充実しているかどうかだった。
「つまり、制度だけあっても、情報が届いていなければ利用できないのと同じで、満足度が低かったのです」と佐藤班長は語る。そこで市は子育てに特化したホームページを開設すべく準備を進めている。
子育てという自助を充実させるには、きめ細かい公助があってこそだったのだ。
〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕
全国紙記者を経て、二〇〇〇年よりフリーに。月刊誌などにルポを発表している。著書に『日本最初の盲導犬』『瓦礫にあらず』『都知事、不思議の国のあるじ』などがある。