河野規制改革大臣に聞く日本経済再生
『中央公論』12月号の対談記事から一部抜粋して掲載。本誌では「脱ハンコ」の背景、電波免許のオークションについても議論している。
ビットコインで町おこし
坂井 河野大臣は、長年ツイッターやYouTubeで発信されています。情報公開や説明という目的もおありでしょうが、もともと新しい技術がお好きなのでしょうか。
河野 私はアメリカのジョージタウン大学に留学したのですが、在学中最後の論文を書く時に、友人がコンパック社の初期のパソコンを買ったのです。CRTディスプレイに緑色の文字が出て、「タイプを間違ったら消せる」「文字を選択すると入れ替えられる」と、それまでのタイプライターではできないことができることを見せられた。
「すげえな、俺にも貸せよ」と、手書きの文章を最後に印刷する時に貸してもらって、便利なものがあると感動しました。卒業後は富士ゼロックスに入社し、そこでは全世界のゼロックスがネットワークでつながれていて、電子メールのやりとりが行われていることに驚きました。次に部品メーカーに転職するのですが、机にパソコンがポンと置いてあるものの、通信はしていない。そこで総務の人に「このパソコンつながってないよ」と言ったら、コンセントの差し込み口を確認して、「大丈夫、つながっていますよ」って。(笑)
日本ではITが普及するまでに少し時間がかかりましたね。私は一九九六年十月に衆議院議員に初当選するのですが、ホームページを立ち上げようと言っても、事務所のスタッフに「いやいや、誰が見るの?」と言われる始末。じゃあ俺がやろうと、自分でホームページを作って、以来、いまだに私がいろいろいじっています。事務所では「あれは本人の趣味です」となっていますよ。(笑)
坂井 テクノロジーへの関心は留学時代に遡るのですね。河野大臣は仮想通貨にも早くから関心を持たれていて、二〇一四年四月の「東京ビットコイン・ミートアップ」に参加しています。同年九月には、平塚の飲食店で、仮想通貨ビットコインを利用してはしご酒をする「平塚ビットシティプロジェクト」も開かれた。この時期は、とある交換所のハッキング事件が注目されて、ビットコインへの世間のイメージはあまりよくなかったと思うのです。それでも大臣は情報を集め続け、イベント開催までなさったわけですよね。
河野 平塚でビットコインのプロジェクトをやったのは、町おこしのためです。平塚は横浜、鎌倉と箱根の間にあって、日本や外国からの観光客を呼び込みたくても、どうしても通過点になってしまう。何か仕掛けが必要だろうと考え、そこで思いついたのが、注目が集まっていたビットコインです。「平塚ではビットコインで酒が飲める、飯が食える」となれば、面白がってくれる日本人、外国人が集まるのではないかと考えた。そこで一四年の九月に、数十軒の飲食店の中から七軒を三五〇〇円分のビットコインを使ってはしごしてもらう実験をしました。それまでも、紙のチケットを使ってはしご酒をするイベントはありましたが、仮想通貨を使えばもっと便利なはずです。一方で、ビットコインは値動きが大きいので、最初に入金した分が、店を回っているうちに価値が下がっちゃって「精算できません」ということもありました。翌日、事務局で「すみません」と不足分を現金で補充して回ったりもしましたね。
仮想通貨という便利な物を使えばどうなるのか覗いてみた。新しい知恵をもらおうと思ったわけですね。
坂井 ビットコインはブロックチェーン技術が支えています。これは記録の新技術で、権利の電子証明書を安全かつ簡単に発行できるようになる。例えば一〇億円のビルを一〇億枚の電子トークンに分割するといったことができる。一〇億円のビルを共同で所有したり、証券のように自分の持ち分だけ売ったりできるようになる。この技術は資産の管理や売買に非常に便利なのですが、日本は金融庁の規制が強く、そうしたサービスを運営するのがとてもやりにくい状況です。
国の役割の一つは法規制をかけることなのでしょう。一方で法規制は、イノベーションを阻みもします。今世界では、国家間で規制の上手いかけ方競争のようなことが起こっています。強い規制は国際競争に不利です。このような国家間競争についてはどうお考えでしょうか。
河野 日本は世界一の高齢化社会に突入していて、医療や介護の人的・金銭的な負担、国としても財政的な負担が大きくなっています。一方で技術も発達していて、例えばスマートウォッチで自分の健康状態を知り、健康を改善することもできるようになっている。日本の技術力をもってすれば、医療におけるハードやソフトを作れるはずなのですが、規制が障害となって、薬の開発が遅れるドラッグラグや医療機器の開発が遅れるデバイスラグが生じている。日本は高齢化率トップなのに、いつも医療面で世界に後れを取ってしまうのです。これはまずい。むしろ日本が医療、介護の最先端を走らなければなりません。そのためには、厚生労働省の従来の規制の考え方を一八〇度変えてもらわなきゃいけない。それができないんだったら人を代えるか、もう、規制の監督を厚労省から別なところへ移すしかない。
もはや「頑張ります」「しっかりやります」は通用しません。規制の担当省庁、担当部局には今までとはまったく違う方向に進んでもらう。そのことを認識しているか、行動できるかが、今問われています。
〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕
1963年神奈川県生まれ。慶應義塾大学を経て、85年米・ジョージタウン大学卒業。86年富士ゼロックス入社、93年日本端子入社。96年衆議院議員選挙に神奈川15区から出馬し初当選。以後、当選8回。2015年に国家公安委員会委員長、行政改革担当、国家公務員制度担当の国務大臣。外務大臣、防衛大臣を経て、現在は行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(規制改革・沖縄及び北方対策)。
◆坂井豊貴〔さかいとよたか〕
1975年広島県生まれ。米・ロチェスター大学Ph.D.(経済学)。オークション方式、投票制度、暗号通貨のインセンティブ設計を研究。Economics Design Inc.取締役。著書に『多数決を疑う』、共著に『メカニズムデザインで勝つ』など。