W辞任で狂う安倍官邸の解散戦略
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」
第一次、第二次内閣を合わせた首相在職日数一〇〇〇日達成を翌日に控えた九月十九日。安倍晋三首相は講演で、宮本武蔵の兵法指南『五輪書』の言葉を引用した。
「とにかく修業あるべし、ということだ。確かに一〇〇〇日といえば長いようだが、まだまだ日々反省の連続だ」。首相はこう説明した上で「これからも常に緊張感をもちながら政権運営にあたっていく覚悟だ」と長期政権への意欲をにじませた。
政権が順調に推移すれば、来年五月に祖父、岸信介元首相の在職日数一二四一日を超える。
「祖父超え」へ、二〇一二年十二月二十六日の第二次政権発足から順調な航海を続けてきた安倍政権だが、九月の内閣改造から一ヵ月半後の十月二十日、女性閣僚二人が「ダブル辞任」に追い込まれ、試練にぶち当たった。
小渕優子経済産業相(当時)の後援会で、支援者向け観劇会の収支に大きな差額や不記載があることが判明。松島みどり法相(同)も、地元選挙区で「うちわ」を配布した問題で、民主党が東京地検特捜部に公職選挙法違反の告発状を提出。二人とも明確な説明ができずに行き詰まった末の引責辞任だった。
松島氏の「うちわ」問題が国会で取り上げられた時、首相は当初、守るつもりでいた。だが、小渕氏の「政治とカネ」の問題も表面化した段階で急遽方針転換し、ダブル辞任を決断した。この時、首相を後押ししたものが二つあった。一つは第一次政権の時のトラウマだ。「政治とカネ」の問題を抱えた閣僚が次々現れ、かばい続けた結果、傷口が広がり、辞任ドミノの末に政権は崩壊した。もう一つは、信頼する側近の菅義偉官房長官が「国会審議への影響を考えると、ダブル辞任は早くした方がいいと思います」と早々に進言していたことだ。
迅速な対応だったとはいえ、小渕、松島両氏は女性の活躍を掲げる政権の看板だっただけにダメージは大きい。久々の「見せ場」に活気づく野党は他の閣僚の不祥事も入念に調べている。自民党からも「もう一人、不祥事で閣僚が辞任する事態になれば、政権はレッドゾーン突入だ」との声が聞かれるようになった。
ダブル辞任が首相の衆院解散戦略に影響を及ぼすのも必至だ。それまでは、早期解散論のうわさが常にくすぶっていた。衆院議員の任期は二〇一六年十二月までで、あと二年以上も残っているが、一二年衆院選で圧勝し、三〇〇議席以上を持つ与党が、野党が選挙態勢を整える前に一気に勝負をかけるという見方だ。
年内解散説はダブル辞任騒動でしぼむとみられているが、年明け解散説はまだ残っている。
〈来年一月の通常国会冒頭で大型補正予算を成立させた上で解散し、二月総選挙......〉
この策を練っているとされるのが菅氏だ。来年十月から消費税率を一〇%に引き上げた場合、秋の解散は与党に逆風となる恐れがある。この時期をずらし、来年四月の統一地方選前に解散に踏み切るストーリーだ。
自民党にすれば、数多く擁する地方議員をフル稼働させるには、「統一地方選前の方が自らの当落に直接影響するだけに応援の真剣味が全然違う」という事情もある。
これに対し、麻生太郎副総理兼財務相らは解散先送りを主張している。来年、消費増税を確実に実施するためには、増税が争点となる早期解散は避けた方が得策という論だ。一六年参院選とのダブル選論者も含まれる。
首相を支える側近の意見は割れており、解散時期の判断は、政権中枢の主導権争いとも絡みそうな様相だ。首相は日頃の政策判断では菅氏の意見を尊重しているが、九月の自民党役員人事では麻生氏の案を取り入れ、幹事長に総裁経験者の谷垣禎一氏を起用。改造直後の内閣支持率アップに成功した。
首相は「野党がバラバラのうちに解散した方がいいが、さすがにやることをやらないと」と周囲に漏らしている。
早期解散を否定したと見る向きがある一方、「臨時国会で重要政策に掲げる『地方創生』などの法案を成立させて解散ということだ」との見方も出ている。
「攻めは強いが、守りに弱い」(民主党幹部)との評もある首相。ダブル辞任の痛手から迅速に立て直して安定軌道に戻すか、それとも、負の連鎖に陥って不安定な政権運営が続くか。その行方が衆院解散の時期を占う上での試金石となりそうだ。(真)
(了)
〔『中央公論』2014年12月号より〕