「財務省二・二六事件」を封じた安倍首相、最後の一手

永田町政態学

 なぜ、年内の衆院解散・総選挙だったのか──。国民の多くはそんな疑問を感じ続けているようだ。

 安倍晋三首相が十一月二十一日に解散に踏み切った背景を検証すると、「内向き解散」とも呼べる実態が浮かび上がる。首相の真の狙いは、税率一〇%への消費増税を一年半先送りするため
に、自民党や財務省などの「増税派」勢力を抑え込むことにあった、という見方だ。

「アベノミクスの継続しか、日本経済を再生させる道はありません」

 首相は師走選挙で、全国の自民党公認候補がそう声をからす姿を満足げに見つめるだろう。有権者に対し、党が一体となって、増税の先送りを含む首相の経済政策「アベノミクス」への支持を懸命に訴えることになるのだ。党内の先送りへの異論は消え去った。

 元来、首相は増税に慎重だった。

「増税して経済が腰折れしたら税収も上がらず、元も子もなくなる」「一年半で消費税を五%から一〇%へと倍にした国なんてない」「一つの内閣で八%、一〇%と二回も増税した例はない」

 周辺にはことあるごとに、増税に慎重な考えを漏らしてきた。第二次安倍内閣の高い支持率は、好調な経済が原動力だ。増税は「内閣の生命線」とも言える景気回復に、急ブレーキをかけかねないためだ。

 二〇一四年八月に発表された四─六月期の国内総生産(GDP)は、四月の八%への増税の反動で、実質GDPが年率マイナス六・八%(速報値)と大きく下落した。「経済が腰折れするのでは」という首相の懸念は現実味を帯び始める。首相周辺は、「この頃から、首相は一〇%への増税の先送りに傾き始めた」と振り返る。

 最大の難問は、党内の大勢といっていい増税派の説得だった。

 増税派は、政府・自民党の中枢にも多数いた。首相の盟友・麻生太郎副総理兼財務相、自民党税制調査会の野田毅会長、首相の古巣・町村派会長の町村信孝党税調顧問らだ。民主党政権時代に自民党総裁として、民主、自民、公明の三党合意で増税を決めた谷垣禎一幹事長も増税派といっていい。

 増税の先送りには社会保障・税一体改革関連法を国会で改正する必要がある。首相と菅義偉官房長官らは十一月上旬、党内情勢を分析し、「増税先送りなら、増税派が法改正に反対し、党内政局になる」との認識で一致していた。内閣が一気に弱体化する危険が迫っていた。

「最強の増税派」ともいえる財務省は、夏頃からすでに増税先送りの空気を感じ取っていた。

「先送りなら幹部がそろって辞表を出す」と真顔で話す財務省幹部すらいた。仮に「財務省幹部の集団辞任」となれば、予算編成すらままならなくなり、内閣が倒れかねない。首相官邸内には、「財務省による二・二六事件だ」と緊迫した空気も流れた。首相は財務省幹部に、増税を先送りした時の税収見積もりを提出するよう指示したが、幹部は応じなかったという。

 予定通りの増税を求める勢力には、強硬な増税派である日本銀行の黒田東彦総裁も加わった。十月三十一日発表の「黒田バズーカ第二弾」と呼ばれる追加の金融緩和は、黒田氏による「増税しても、経済の腰折れを心配する必要はない」という強いメッセージともいえた。首相周辺には、「首相に増税させるために、財務省と日銀が結託したのではないか」との不信感が広がった。

 自民党、財務省、日銀の強い抵抗を肌身で感じた首相は、最近、周辺にこう語っている。
「自民党や財務省を抑え込むには、解散しかなかったんだよ」

「対野党」という視点がほとんどない、異例の突発解散劇は、こうして進んでいった。

 十一月十七日。アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議などの外交日程を終えた首相は、帰国の政府専用機内で、麻生氏と長時間、ひざをつき合わせた。

 増税先送りと衆院解散を説明する首相は、納得しかねる様子の麻生氏に、一つだけ譲歩の「カード」を切った。増税を一年半後に先送りした後、さらなる先送りはしないと約束したのだ。さらなる増税先送りを「最悪のシナリオ」とみる財務省が、麻生氏を通じて最後の抵抗を試みたとの見方がある。

 首相と党や財務省との暗闘は続く。(す)
(了)

〔『中央公論』2015年1月号より〕

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