日本は、「ふつうの国」にはなれません 内田 樹
新五五年体制は到来するか
民主党が政権を取ることで、戦後の日本政治を象徴してきた、いわゆる「五五年体制」は終焉したとされています。でも、僕はそうじゃないと思う。日本において安定的な政治体制は、必ず五五年体制に準拠したものにならざるを得ないから。
心理学者の岸田秀さんは、日本人は近代化を達成するときに「内向きの自己=内的自己」と「外向きの自己=外的自己」に分裂することで集団的に狂ったという仮説を立てました。五五年体制というのはその二種類の自己が均衡していた状態だと僕は思います。
内的自己は日本人の本音です。土着の言語で、ベタな生活実感を語る。「結局、人間、色と欲でしょ」というようなべたついた本音を語り、「どうせオレたちは今ある程度の人間なんだから、高望みしても無理だよ」と居直る。自民党は久しくこの内的自己を代弁してきました。だから政策的一貫性なんか重んじない。その場しのぎの嘘もつくし、公約を反古にすることも厭わない。でも、つねに日本人の生活実感にはぴったりと寄り添ってきた。
一方の社会党は、それなりに整合性があり、国際的共通性のある政治言語を語ってきました。「『世界標準』にキャッチアップすべきだ。日本人は世界に遅れている」と、外国の成功事例を挙げては、「だから日本は駄目なんだ」と叱咤した。外から「良い子」に見られたがる外的自己を左翼が代表してきた。
日本はそんなふうにして明治維新以来一五〇年間ずっと、内的自己と外的自己に分裂してきた。どちらかに針が振り切れないように、分裂しつつ均衡するというかたちでなんとか国民統合を果たしてきた。
今の民主党は、「内向きの自己」を小沢一郎が、「外向きの自己」を鳩山由紀夫が代表しています。そうすることで一つの党の中に二種類の言語が「公用語」として通じるようになっている。
でも、今の民主党はバランスがあまりよくないですね。これなら小沢党と鳩山党に分裂する方がむしろうまく機能するのかもしれない。だから、参院選のあと、政界再編が起こって、鳩山系と小沢系に分かれることはあるかもしれないと思います。小沢系に自民党の残党が流れ込んで、鳩山系が社民党と組んで少数派野党になると、晴れて「新五五年体制」の完成です。
(全文は本誌でお読みください。)
〔『中央公論』2010年3月号より〕