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日本に二大政党制は無理 座談会

また昭和の繰り返し −−世論調査は平成の「統帥権」
半藤一利・保阪正康・松本健一

輝き一瞬の「二大政党政治」

半藤 先ほども話に出ましたが、昭和初期から戦争に至る時期と今の政治状況は似ている。「制度」的にみた共通点は、「二大政党制」だったということです。結論から言えば、僕は二大政党制、小選挙区選挙は、日本の政治風土には合わないのではないかと思うのですよ。
 戦前の二大政党政治は、大正末期に憲政会が加藤高明内閣で天下を取ってから始まります。この時、幣原喜重郎外相が「外交は変わりません」という、政権交代における最も重要とも言えるアナウンスを行った。

松本 幣原外交は「弱腰だ」などと批難されたのですが、外交の基本は一貫していなければいけないということを、彼はよく分かっていた。後に首相になる民政党の若槻禮次郎や濱口雄幸などの官僚出身者は、みんなそのことを理解していたわけですね。

半藤 そうです。その後、政友会が政権の座に就き、昭和四(一九二九)年に憲政会の流れを汲む民政党が再びそれを取り返す過程においても、国際協調という基本路線は堅持されました。翌年、濱口内閣は軍部の圧力をはねのけて、「ロンドン海軍軍縮条約」への調印を果たしました。議会制民主主義が最も輝きを放っていた時期だったと言ってもいいでしょう。

保阪 ところが、野党の政友会が「統帥権干犯問題」を持ち出してきて、それを政争の具としてしまった。犬養毅は「ロンドン条約破棄」まで口にしているのですからね。官僚上がりのリーダーが守り通してきた国策を、政党出身の犬養が森恪などの誘いで平気で覆し、そこから日本はどんどんきな臭い方向に向かうことになります。

松本 党人派の欠陥が露呈した。

半藤 だから、あの時期には二大政党制がうまく機能した瞬間もあったのです。でも長続きはしなかった。通してみても、二大政党政治は八年間しかありません。結局は党利党略に走り、政策論争などそっちのけになる。

保阪 とにかく、政権を取ることが唯一絶対の目的で、そのためには相手のスキャンダル探しだろうが、賄賂のばらまきだろうが、何でもあり。以前に政友会の質問の議事録を読んだのですが、信じがたいほどの品のなさです(笑)。罵詈雑言というか、とても国会でのやりとりとは思えないほど。

半藤 数合わせだの引き抜きだのも、日常茶飯だった。

松本 鳩山由紀夫さんの爺さんの鳩山一郎も、もともと民政党のはずが、原敬の時代に政友会に引き抜かれたんです。彼は、犬養の尻馬に乗って、「統帥権干犯」で、民政党を攻撃します。結果的に、その行為が政党政治そのものを壊すことになってしまった。若干の後ろめたさがあるのか、その後の「翼賛選挙」には翼賛候補になっていません。
 解せないのは、そうした経緯を自伝でまったく触れていない。恐らく孫も知らない「事実」でしょう。

半藤 実は、実際の執筆者は細川隆元さんですが、『鳩山一郎回顧録』の担当編集者は僕なんです。いわゆる?鳩山御殿?にはよく通いました。で、「統帥権干犯事件の時の話がまったく出てきませんね」と本人に言ったら、「君たちは、そんなこと知らないでよろしい」と。(笑)

保阪 翼賛政治以降は、「反軍部」のリベラル派の中に身を置きますから、そのポジションを崩したくなかったんでしょうね。

松本 でもそれは、日本の政治にとっていいことではありませんよ。あの時期、なぜ政党政治が危機に陥ったのかをしっかり検証することは、今の二大政党制の課題につながる問題なのです。当事者がちゃんと総括して、孫にも読ませるべきでした。

(全文は本誌でお読み下さい)

〔『中央公論』2010年8月号より〕