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派閥は与党であればこそ

臨床政治学 永田町のウラを読む〈第40回〉
伊藤惇夫(政治アナリスト)

最強軍団とも派閥の中の派閥とも称された田中派なぞ今は昔......。自民党の派閥なんて、もはや村の青年団以下。一方、政権交代で民主党には新たな変化が

「人間、三人集まると二つの派閥ができるんだよ」

 大平正芳元総理の言葉である。

 学校、会社、サークル......。人間が集団を組織すれば、そこには必ずといっていいほど「派閥」が形成される。中でも政治の世界はその象徴的存在といってもいいだろう。かつての自民党は「派閥連合政党」と呼ばれ、「派閥あって党なし」などと批判されるなど、派閥の存在が極めて大きかった。だが、今やその自民党では派閥が崩壊の危機を迎えている。今では、額賀派と聞いて、そのルーツが「最強軍団」とも「派閥の中の派閥」とも称された田中派であることを知るものも少なくなってしまったといった話を聞くと、昔日の感がある。その額賀派に属している某中堅議員に「最近の額賀派は?」と聞くと、「うちはもう『老人クラブ』みたいなもの。会合があっても、出たくない奴は出ない。村の青年団だって、会合を休めば、『何でこなかった?』と聞かれるけど、欠席したって何のお咎めもないからね」とか。

 ではなぜ、自民党の派閥は衰退してしまったのだろうか。理由は極めて簡単。政権与党の座から転落、野党になってしまったからである。かつて、派閥を構成するための「三要件」といわれたのが「カネと選挙とポスト」。派閥は所属議員に対し、資金、選挙での支援、大臣等のポストを与える見返りとして絶対服従を求めた。衆議院の選挙制度が小選挙区制に変わったこと、政治資金が政党交付金中心となったことなどが理由となって、ずいぶん以前からこのうちの「カネと選挙」はほとんど機能しなくなっていたが、「ポスト」は最後まで残っていた。ところが野党転落。野党になれば当然、大臣や副大臣といったポストはない。党内のポストはあるものの、与党と比べると、その重みは「月とすっぽん」ほども違う。自民党の派閥が衰退、消滅の危機を迎えるのも当然である。

 一方、政権与党となった民主党では、このところ全く対照的に"派閥化"の動きが強まっている。もともと民主党の場合、派閥ではなく「グループ」と呼ばれる集団が八つほど存在していた。なぜ派閥ではなく「グループ」なのかといえば、参加・不参加も自由なら、複数のグループに所属するものも少なくないなど、派閥に比べると極めて結束力の弱い集団だったからである。メンバーも完全には固定していない。いまだに「○○グループは約××人」と、必ず「約」が付くのはそのためだ。
 だが、前原外相率いる「前原グループ」が毎週木曜日に定例会合を持つことにしたり、当選二回以上の「一新会」と当選一回の「一新会倶楽部」に分かれていた小沢グループが統合に動いたりと、最近の民主党各グループは"派閥化"と取れるような動きが加速しつつある。なぜか。理由はいうまでもなく、政権与党の座に就いたから。

 では、与党になると、どうして派閥化が始まるのか。答えは「そこに権力があるから」であり、「すっぽん」に過ぎなかったポストが「月」に変わったからだといってもいい。与党でポストを手に入れることは、権力や利権を握ることと同義語である。おまけに総理の座という「究極のポスト」が視野の先に見えてくる。その座を巡る争いには「数の論理」が欠かせない。党内でより多くの支持者、それも強固な支持者を確保するためには「派閥」的集団の形成がもっとも有効な手段となる。

 実は民主党では先の代表選の前から、すでに「ポスト・トロイカ」を見据えた"次期総理レース"が始まっていた。小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人三氏が支配してきた時代は、いずれ来る菅政権の退陣とともに終わる。かつての自民党がそうだったように、総理の座を巡る争いは激烈なものになることが確実。その際、グループのような緩やかな組織では戦力にならない。当然、「戦う集団」である派閥への衣替えが進むことになる。まだ、グループから派閥への移行は始まったばかりだが、今後、その傾向が急速に強まることになるだろう。

 ところで、グループ志向だった民主党に「派閥文化」を持ち込んだのが、実は小沢一郎元幹事長。緩やかなグループばかりの民主党にあって唯一の派閥的組織だったのが小沢グループである。だが、他のグループの派閥化が進む中、トップ(小沢一郎)が総理の座に就く可能性がほぼ消えた小沢グループだけが、むしろ弱体化し始めているのは、何とも皮肉な感じではある。

(了)

〔『中央公論』2010年12月号より〕